第11話
「……ギダさん、……柳田さん」
気付くと目の前に赤木ちゃんの顔があった。
意外と凛々しい顔だった。くしゃっと子供っぽい笑顔の印象だったが、間近で見る真顔は意志と聡明さに母性が混じったような中性的な顔だった。
「夕食の時間ですが、食べられそうですか?」
目を覚ました俺に、にっこりと微笑む彼女の顔はいつもの表情に戻っていた。
「……ああ、そうだな。一応食べようか」
柴田による取り調べは俺の体調の回復を考慮し、1時間にまで延長されていた。
だが今日の午前中にあった取り調べはもっと長いものに感じられた。あれから柴田が何を話し、どんなタイミングで出ていったかの記憶は全くなかった。
柴田がいつの間にか出ていってからの俺は、過去の出来事を思い出していたのか、意識を失い夢を見ていたのか曖昧だった。
ランダムに色々な場面の映像が浮かんできた。
子供の頃の母親との場面も再び浮かんできたし、つい先日の事件のことも浮かんできた。パニックになって逃げ惑う様々な人間がいた筈だったが、その表情は誰のものも似通っていた気がする。
東京に出てきてからの5年間のことも浮かんできた。さして親しくもない同僚の顔……彼らは俺のことをどう思っていたのだろうか?そんなことは確かめようもないし、端的に言って俺には何の関係もないことだ。
……でも、こうして浮かんでくるということは本当は俺も気にかかっていたことなのかもしれない。もしかして彼らの誰か一人とでも良好な友人関係を築くことが出来ていたら、俺の人生は違うものになっていたのだろうか?
母親が死んで俺は東京に出てきた。保証人の要らないボロアパートを借り、バイトを決めた。
その時の俺は25才。可能性が無限にあるわけではないが、世間的に言えば十分若い年齢だ。母親という最大の呪縛はもうないのだ!これからの俺は自由だ。自分の人生を凄まじく謳歌してやるぜ!と思っていた。
だけど俺は何も変われなかった。人との接し方を変えることは出来なかったし、何か趣味にのめり込むこともなかった。いつか何かきっかけがあれば変わる……と思っていた。だが何も変わらず時だけが過ぎていった。
俺が何か強い意志をもって臨んでいたら状況は変わっていたのだろうか?でも……俺がそういった強い意志を持てなかったのは俺のせいなのだろうか?
赤木ちゃんは俺の口に半ば強引に夕食を押し込むと帰っていった。
夜勤の看護士は少ない人数で多くの患者を担当しているのだろう。接する機会はあまり多くなく、彼らに対して人間的な興味を抱くことは難しかった。
翌日も柴田はきっちりと時間通り10時に来た。
そして昨日はあれほど強く俺を責め立てたくせに、今日はまたいつもの落ち着いたテンションに戻っていた。そこに久しく忘れていた柴田の人間的な強さを思い出した。
「なあ柳田、お前の家庭環境……特に唯一と言って良い肉親の母親との関係に問題があったことは分かった。……そこには多少の同情の余地があるとは言える。だが、そこから何故今回のような事件を起こすほどの精神状態になったんだ?教えてくれ!これはお前にしか説明の出来ないことなんだ!」
昨日ので取り調べの第一段階は済んだとでも思っているのだろうか?自分の推測を前提として次の段階に進もうとしていた。
その推測に反論出来ないのも事実だったが、それを俺自身が完全に認めることなど出来なかった。
となると、俺から言うべきことは何もなかった。
俺は最初の頃のように柴田の問いかけを一切無視した。最初と違う点はもう寝た振りは出来ないということだ。
何も喋らない俺に対して柴田が感情的になり激昂することはなかったが、間違いなく苛ついているのは伝わってきた。
「なあ、柳田。確かにお前にも同情の余地はある。だが悪いのはお前だ。間違いなくお前だ。……実の親から虐待を受けたり、もっと酷い状況で産まれてくる人はたくさん居る。それでもほとんどの人は、そうした逆境を乗り越え立派に社会に出て貢献している。そうしてこなかったのはお前の責任だ、それを認めろ!」
(……お前が俺の人生を経験してきたわけでもないのに、なぜそんなことが言える?)
柴田の言葉を内心で嘲笑って、俺は自分の内面に没頭した。
(俺が、今の俺以外の人生を選ぶことなど出来たのだろうか?)
例えば3つ変わった職場のどこかでもっと親しい人間や恋人を作れたら俺の人生は変わっていただろうか?……だがそうしなかったのは特に興味を持てる人間が周囲に居なかったからだ。さして興味のない人間と関係を築いていくことが俺の人生に於いて重要なこととは思えなかった。
あるいはもっと仕事に精力を費やせば収入も上がり、人生観も変わっただろうか?……だが東京に出てきて俺がしていた仕事は3つともバイトだった。バイトだったが生活してゆくには充分だったし、仕事自体は楽なものばかりだったから特に無理をして収入を増やそうという気にもならなかった。身近な正社員はいつもストレスを抱えてい愚痴ばかり言っている割にさして収入が上がるわけでもなく、ああはなりたくない!と思わせられるような人間ばかりだった。
結局俺は母親が死んでからも、自分を変えられなかった。不完全燃焼のまま生きてきたという実感は自分でもある。
何も反応しない俺に柴田は焦れたのか、別の言葉をかけてきた。
「なあ柳田。お前が散々言っていた通り動機がどうであれお前の死刑は免れられない。……それでも遺族の方々に謝罪をしろ……それが遺族の方のためでもあるし、お前のためでもあるんだ……。最後だとしても人間の心を取り戻すべきなんだ!」
「……ぷっ」
徹底的に無視を決め込もうとしていたが、柴田のあまりに真剣でそれゆえに滑稽な物言いを聞いては吹き出すのを堪えることはできなかった。
「……はは、ははは、うはははは…………」
「どうした柳田、何がおかしい?」
柴田が本気で心配した顔をしたのが余計におかしかった。
「柴田さんって……刑事さんかと思ってたら、精神科医でもあり、神父さんでもあったんですね。……ひょっとしたら俺の父親でもあるのかな?」
「……おい、何を言ってる?」
俺の言っていることが本気で分からなかったのだろう。ぎょっとした顔で俺を見ると、警戒したのか俺から少し距離をとるようになった。
その後の俺は柴田が何をどんな風に話してきても完全に黙殺した。
柴田は苛ついていたようだが、途中からは俺に対して失望し諦めたようであった。
「なんだかんだと御託を並べていたが、所詮は意志の弱い犯罪者でしかなかった」と値踏みされているのが伝わってきたが、もう俺にとってそんなことはどうでも良いことだった。
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