第10話
柴田の口調は俺を嘲笑するかのようなものだった。
……まったく、俺を理解出来ないからといってそんな態度で接するとは、思っていたよりも柴田は子供っぽい一面を持っているのだな。……まあ良い。感情的にならずにこちらは普通に接してやるのが大人というものだろう。
「もちろん、本気ですよ。……別に柴田さんに理解されるとは思っていないですがね。あなたが俺の気持ちを説明しろと再三言うから説明したまでですよ」
「なあ柳田……よく聞け。お前は結局マザコンなんだよ。……母親が亡くなり、一人になった時点で何故東京に出てきた?東京に出てきて何故もっと地に足の着いた生活をしなかった?東京に出てきてからのお前は仕事も生活もまるで無軌道じゃないか。……日本を良くするだとか、偉そうな綺麗事は全部後付け。お前はただヤケクソになって、自殺に大勢の人間を巻き込んだだけのどうしようも無いクズだよ。死ぬんなら一人で死んでおくべきだったな」
「おいおい、柴田さん大丈夫かよ?……刑事ってのは犯人になら何を言っても良いってのか?人権だなんだで問題になるんじゃないのか?」
柴田の態度はさっきまでとは別人のようになっていた。
俺の責めるような言及も、ノッてきた柴田の前では意味をなさなかったようだ。柴田は得意気な顔で俺に尋ねた。
「柳田、答えてみろ。なぜ母親が死んだタイミングで東京に出てきた?」
「しつこいな、アンタも。……なぜってそんなに深い理由は無いですよ。特に地元に残る意味もなかったし、地方民として東京に対する漠然とした憧れはあった。だから東京に出てきた、それだけのことだよ」
「……深い理由は無かった?違う。お前本人には意識出来ていなかっただけのことだ。お前が東京に出てきたのは母親の呪縛から逃れる為だよ」
「……呪縛?柴田さんドラマの見過ぎなんじゃないですか?」
そんな言葉を本当に使う人間が存在するとは思わず、吹き出してしまった。
「お前は母親の死んだのを契機に自分の人生をリセットしようと思って東京に出てきた。……だがリセット出来なかった。お前を縛ってきた母親は既に死んでいるとは言え、お前の生きてきた25年間がそんな簡単にリセット出来る訳もない。そういうことだろう?……そしてお前は変われない自分に絶望して自暴自棄になってきただけなんだよ」
「おい、つまんない推測はやめてくれ……いやそんなのはアンタの単なる妄想だよ。アンタは精神科医か何かなのか?」
柴田が何を言いたいのかはっきりとしなかったが、得意気な顔と口調とがとにかく鼻についた。
「なあ、柳田。……一回冷静に思い出してみろよ。お前本当に母親に愛されていたのか?」
柴田が言っている言葉は相変わらず理解出来なかったが、その瞬間、不意に母親との昔の映像がフラッシュバックしてきた。
幼少期に母親と近所の公園で遊んでいた時の映像。
小学生になり、同級生とのケンカに負けて泣いているを抱き締めてくれた母親。
俺が中学生になると、夜の仕事で疲れた母親の顔ばかりを見ていた気がする。
……結局俺は高校を卒業してすぐ地元の自動車工場で働き始めた。「高校卒業してまた勉強するのなんてダルいから、とっとと金貰える方が良いわ」と言っていたけど……本当は大学に行きたかったような気もする。選択肢なんて無かったと言い聞かせて自分ではそのことについて考えないようにしてきたが、進学せず好きでもなんでもない自動車工場に就職を決めたのは……きっと母親を助ける為だった。
だけど……俺が就職を決めたことを伝えると、母親は鼻を鳴らした。
「え、自動車工場?そんな仕事じゃあ、私まだまだ働かなくちゃいけないじゃない。……まあ仕方ないか。私とアイツの子だもんね」
その言葉と、諦念と嘲りの混じった微妙な笑いを……俺は今の今まで一度も思い出すことがなかった。
実際母親の言った通り、高卒一年目の給料では親子二人が食べてゆくには到底足りなかった。
そしてその頃には既に母親は病魔に蝕まれつつあった。
高卒とは言え新卒で入った俺の給料は思ったよりも順調に上がっていったが、それらは全て母親の治療費に消えた。
病床の母親は殊更に愚痴っぽくなり、過去の全てを否定するような言葉ばかりを並べていた。「なぜあんな男と結婚したのだろう。なんでお前みたいな息子を産んだのだろう?」と。
たまに俺に対する感謝を述べることもあったが、だからと言ってその10倍は並べている愚痴が、本心でない訳がないだろう。
結局母親はそのまま死んだ。
母親が死んだ日の夜「俺も死のうかな?」とふと思った。何の脈絡も必然性もない、ただ浮かんできた言葉だった。本気でそれを実行しようと考えた訳ではない、そんな言葉が浮かんでくる意味がその時は分からなかった。「色々あって疲れていると人間色んなことを考えるんだなぁ」くらいにしか考えなかった。
でも今になってようやくその意味が分かった。
結局、俺は母親の為に生きていたのだ。母親の為に生きることを自分の生きる意味にしていたのだ。だから母親が死んだ時に俺の生きる意味は消失したのだ。
その後の人生はオマケみたいなものだったのかもしれない。東京に出てきても心境は変わらなかった。
俺を縛っていた母親は死に、地元も捨てて大都会東京に出てきたにも関わらずである。
無論「もう俺は自由なのだ!俺もまだ20代半ばと若い、これから人生を思いっきり謳歌してやろう!」と何度自分に言い聞かせたかは分からない。
だけど俺は変わることが出来なかった。
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