第7話
次の日も柴田は10時ほぼ丁度にやってきた。
挨拶もそこそこに前回の話の続きが始まった。
「なあ柳田、昨日の話を聴いて俺なりに考えてみたんだが、俺はお前という人間がますます分からなくなったよ」
「……そうですか。まあそもそも他人を分かろうとすること自体が、意味のない行為だと俺は思いますけどね」
自分が伝えるべきことは全て昨日のうちに伝えたという気持ちがあったので、俺はもう面倒臭くなってきていた。
「まあそう言うな。……遺族の方達はお前がなぜ事件を起こしたかを知りたいんだ。そして俺もお前を知りたい……正直に言えば、お前のような人間を知ることによって俺の今後の刑事生活に役立てたい、ということだがな」
「なるほど、ずいぶん正直ですね。……でも柴田さん、俺みたいなキ○ガイを相手にすることに慣れちゃうと、自分が普通の日常生活を送ることに支障が出たりはしないんですか?」
自分の考えをこの男に理解させようということには興味を失っていたが、柴田という人間自体には少し興味が残っていた。
柴田は苦笑しながら答えた。
「……キ○ガイにはこれまで何人も当たってきたよ。実際にそう診断された人間もいたし、そう診断はされなくても知能や精神が普通とは異なっている、と感じさせる人間が多かった。だが柳田、お前は俺が今まで当たった犯罪者の誰とも違っているよ」
「いやぁ、そう言われると照れますね……」
誉められることなど、この十数年なかった気がする。茶化す以外に反応の仕方が分からなかった。
「……お前みたいな人間こそが本物のキ○ガイなのかもな。俺が話している限りでは知能や精神には問題がなさそうだ。……お前の望み通り死刑になることは間違いないだろう」
「前から思ってたんですけど、その精神的な病気だと診断されれば刑を免れる、っていう現在の法律はおかしいですよね!ましてや重大な犯罪を犯しといて『自分は精神疾患で正常な判断が出来なかったので無罪です!』とか言い出す奴らは許せませんよ!」
柴田が呆れた顔で俺を見る。
「……それを言い出すのがお前じゃなきゃ、もう少し聞く耳を持てるんだがな……なあ、お前は本当に死ぬことが怖くはないのか?」
俺は即答した。
「もちろん。死とは未知のもので、無闇に恐れるものではないですよ。……逆に聞きたいんですが柴田さんは死ぬことが怖いんですか?」
「……そうだな。俺は怖いよ。……刑事という職業をしてながら自分の身が危ないという場面には幸運にも遭っていない。……今のところはな。でも普通の人より死が身近にあることは確かだ。そう感じる度に思うのは『絶対に死にたくない!』ということだ……。おかしく思うかもしれないが、だからこそ被害者の痛みが分かるし、刑事という仕事へのモチベーションにもなるんだ。……まあ、お前に話すことじゃなかったな」
そう言うと、柴田は少し恥ずかしそうに顔を歪めて鼻をすすった。
「でも、それって柴田さんスゴいストレスを抱えていることになりませんか?死を誰よりも恐れながら、死に一番近い仕事をしているって……」
もちろん柴田の感覚が理解出来た訳ではないが、何かとても示唆に富んだ話のようで、少し感動した。
「……良いんだよ、俺の話は。お前に心配される筋合いは無いよ」
柴田はそこで少し間をおいた。
俺という人間について考えているのか、自分の刑事という仕事について思いを馳せているのか……それとも何か違うことを考えているのかは判別出来なかった。
沈黙は数十秒あったが心地よいものに感じた。
「……なあ、どうすればお前はこんな事件を引き起こさずに済んだんだ?」
「どうすれば?そんなことはあり得ません!俺は綿密に計画を練って今回に挑んだんです」
俺は誇りを持って即答した。実際俺の計画は完璧だった。それが結果として出ているのだ。
「そうじゃなくてだな……どうすればお前の心を止めることが出来たんだろう?ってな……なあこんな事件を起こせば自分が法律で罰せられることは分かっていたんだよな?」
……またその話かよ、さすがに少し苛立った。
「分かってますよ!それでも俺は社会が少しでも良くなるようにと思ってやったんです!……本音を言えば表彰されて然るべき英雄行為だと思いますが、そんなことが出来るほど日本政府に先見の明がないことは分かってますよ。まあ自己犠牲的な精神ですね」
「……分かった、もういい。……それ以上お前の話を聞いていると俺の精神がヤバくなりそうだ。……時間もちょうど良いし今日は帰る。身体を大事にしろよ……」
柴田はそう告げると、いそいそと病室を出ていった。
もちろんそんなことは無いだろうが、柴田のあまりにあっさりとした退室は、反論の余地がなくなり逃げていったかのようだった。
次の日は10時になっても柴田はやって来なかった。
朝に入ってきたのもいつもの若いショートカットの女性の看護士ではなく、男性看護士だった。
何となくソワソワ落ち着かなくなって初めて、自分が柴田を待っていたという事実に気付き苦笑した。
あんなにも怖く、俺の心を掻き乱していると思っていた存在が目の前に現れない、ということがこんなにストレスになるとは思いもよらなかった。
(……DVに遭いながらも別れられない女性って、こんな感じなのかもな)
ふとそんなことを思ったが、それを確かめうる術はない。俺は人生に於いてDV被害にあったことはないし、これからもそれと関わることは無いのだ。
コンコンコンと病室のドアがノックされ男性看護士が入ってきた。
若く清潔感はあるが、所作の一つ一つに体育会系の人間の匂いがして、俺が苦手とするタイプの人間だ。
「……なあ、今日はいつもの女の子じゃないんだな?」
俺は苦手な人間にこそ気を遣ってしまう癖がある。一緒に居て全然話さないのは、むしろ気を許している相手だ。
「ああ、赤木さんですか?今日明日と連休です。また明後日から柳田さんの担当になりますよ!」
思っていた通りの張りのある声が返ってきた。
(……そうか、彼女は赤木というのか)
その時初めて彼女の名前を知った。
……いや、実際には看護士は皆、右胸に名札を付けているから目にする機会は無数にあったが、全く気に止めていなかったというのが正しいだろう。
「なあ、刑事も今日は来ないのか?」
俺はもう一つ気になっていたことを彼に尋ねてみた。
「刑事さんですか?それは僕の方ではちょっと分からないですね」
最初と同じ爽やかさで彼は答えたが、その変わらぬ爽やかさこそが俺を苛立たせた。
「……分からないだと!ふざけるな!」
思ったよりも大きな声が自分から出てきたことに少し驚いた。寝たきりの生活が続いてはいても、まだ俺の生命力は回復していっている途中なのだということが実感できた。
「すぐに調べてはっきりとした答えを持ってこい!!」
「落ち着いて下さい、柳田さん。……申し訳ないんですが、我々看護士は捜査に関しては何も聞かされていないんですよ」
調子に乗ってきたためにより声が大きくなったという側面はあるが、彼の余裕ぶった態度が苛立ちを増幅させた。
「ふざけるな!それならすぐに柴田に連絡して、確認しろ!」
「そんな……刑事さんにこちらから連絡するなんてことは出来ませんよ」
(……ああ、この眼だ!)
彼は露骨に嫌な顔をした。
厄介なものに関わってしまった、といううんざりした眼だ。この眼には今まで何度か遭ってきた。
それからの俺は感情の制御が出来なかった。
大声で怒鳴り付けるていると、医者……例のヒョロガリメガネがいつの間にか病室に入ってきていた。
ヒョロガリメガネが無言で促すと、男性看護士は入れ替わりで病室を出ていった。
「……柳田さん、柴田刑事は今日明日と来ないそうですよ」
抑揚の薄い声でそう告げると、ヒョロガリメガネはぎこちない微笑みを俺に向けた。
「……そうか、分かった」
その下手くそな笑顔を目にすると、俺の怒る気持ちはどこかに消えてしまっていた。
「なあ……柴田は昨日帰る時にそう言い残していったのか?」
「いえ……彼の言った通り我々は何も聞かされていないんです。なので今電話して聞きました」
けろっとした顔でヒョロガリメガネは答えた。
「……こちらも配慮が足りませんでしたね。次回からは柴田刑事に聞いておくようにしますよ」
「ああ、そうしてもらえると助かる」
実にあっさりと俺は冷静さを取り戻していた。
「柳田さんにとっては柴田刑事との面会が一日の内で最も大きなイベントですもんね。それが有るのか無いのか分からないのはストレスですよね」
「……そうだな。その通りだ」
……何だろう?コイツの複雑な表情にこちらのストレートな感情は分解されるというか……感情的に振る舞うことを抑制させられるというか、とにかくコイツは俺が今まで会ったことのない不思議な人間だった。
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