第6話
次の日も同じ午前10時に柴田はやって来た。
10時丁度から30秒の遅れもなくドアがノックされたことに柴田の人間性が表れているだろう。
「どうだ、よく眠れたか?」
「そうですね。柴田さんは……あんまり眠れてなさそうですね」
柴田の眼は真っ赤に充血していた。
「当たり前だ、誰のせいだと思ってるんだ。これだけの事件だぞ。今この事件に関わってる警察の人間で十分な睡眠が取れている奴がいたらブッ飛ばしてるよ」
「やっぱり警察ってのは未だにパワハラ三昧なんですか? 前時代的ですね……」
「ないよ、パワハラなんて!……おい、悪いが雑談をしている時間は無いんだ」
そう言うと柴田は表情を引き締めた。
その変化はどこかわざとらしく、少しの軽口が俺から出てきたことを喜んでいるようにも思えた。
「……えーと、なんでしたっけ?」
「お前がなぜ今回の事件を起こしたのか?動機の部分を教えてくれって話だ」
「ああ、そうでしたね……」
なぜコイツはこんなにも、そこにこだわるのだろうか?
「柴田さんに逆に聞きたいんですけど……」
理解されるとは思えないが、彼の熱意に負けて少しだけ話してみようと思う。
「俺、別に死刑になっても構わないんですけど、人を殺してはいけない理由って何か有ります?」
「……は?……何を言ってるんだ?」
幽霊にでも出くわしたようにギョッとした顔で柴田が俺を見る。
出た出た!動機を話してくれっていうから話したら、この顔かよ。
「俺は別に死刑になっても構わないんですよ。だからこの自粛自粛のご時世にも関わらず、パチンコ店という密閉空間に集まる潜在的クラスターを排除するために自分の命を捧げようと思ったんですよ。動機ということを強いてあげるならばこれに尽きますね」
語り始めるまでは、自分の考えを述べるのは意味がないし恥ずかしいという気持ちが強かったが、語り始めるとノッってくるのが分かる。柴田に理解されるかどうかなんかはどうでも良い。自分の考えを言葉にしていくことが大事なんだ!という気持ちになってきた。
「……ちょっと待て!パチンコ店からクラスターが出たという事例はまだ報告されていないぞ……というかそういう問題じゃなくてだな……」
「いや、コロナ騒ぎがなかろうとパチンコなんてやってる人間はクズでしょう?ああいうクズがいるからパチンコ業界なんていうヤクザみたいな商売が成り立つんですよ。そもそもパチンコってギャンブルですよね?国はギャンブルを違法としてるのに、何でパチンコだけは認められてるんですか?」
「……それは俺やお前が決めるべき問題じゃない。そんな点よりもお前が『ああいう人間は殺しても良い』と主張していることの方ががよっぽど恐ろしいことだ!」
俺の主張を矮小化されては困る。こっちもそれなりのリスクを背負って行動したわけだ。俺は誇りを持って訂正した。
「『殺しても良い』じゃなくて『殺すべきだ』と俺は言ってるんです!……そして世に蔓延る口だけで行動を伴わないクズどもとは違い、俺はそれを実行した!……まあ成果は予定していたほどは出ませんでしたが、それでも俺の姿勢を見て少しでも若い人たちに何か感銘みたいなものを与えられたらな、と思っています」
柴田は俺の顔を見つめると、自らの頭をボリボリと掻いた。
「……柳田。……俺はお前をもう少しまともな人間だと思っていたよ」
一呼吸置くと、柴田は俺の目をまっすぐに睨んだ。
「良いか!誰かを殺して良い人間なんてこの世には一人もいないし、殺されて良い人間も一人もいないんだよ。どんな命も尊いものなんだ!子供でも知っていることだぞ……」
(……はあ、めんどくせえな)
柴田の目は自分の言ったことを100パーセント信じている人間のものだった。
「……別に俺の意見を押し付けるつもりはないですし、柴田さんと議論をするつもりはないんですが、命って尊いものなんですか?」
「当たり前だ!『人一人の命は地球よりも重い』という言葉もあるくらいだ。命があることが全ての出発点だろ」
「でも、どんな人間もいつかは死んでしまいますよね?」
「だからこそだ!限りある命だから人は精一杯生きようとする中に幸せがあるんだ。それにな……限りある命だからこそ命を紡いでゆくことの意味がある。命は自分一人のものに見えて自分一人の命ではないんだよ」
(へえ……叩き上げの脳筋バカ刑事かと思ってたけど、意外と色んなこと考えてるんだな)
俺は柴田という人間への評価を少し改めたが、だからと言って自分の意見が揺らぐようなことはない。
「……柴田さん、お子さん居るんですか?」
「おい……何の関係があるんだよ?俺の話は今関係ないだろ」
自分の個人的なことに話が及ぶとは思っていなかったのだろう。柴田は少し狼狽えた。
俺はあえて返事をせずに柴田を見つめた。
「……ああ、居るよ。中学生の娘が一人な」
不本意ながら……という感じで柴田は呟いた。多少は自身を晒してでも、俺の供述を引き出した方がメリットは大きいと踏んだのだろう。
「柴田さんはさっき、命は尊いって言いましたけど、もし今回の事件の中に娘さんが居たらどうですか?」
俺はあえて少し濁した言い方をしたが、柴田はすぐに意味を理解し顔色を変えた。
「……流石にこうして冷静に対面していられる自信はないな。お前をこの手で……」
柴田は直情的で感情豊かな人間なんだろう。本当に怒りに打ち震えるように立ち上がった。
「殺しますか?でもそれって命が平等でないことの証拠なんじゃないですか?柴田さんも自分の娘さんと今回の被害者とでは対応に明らかに差をつけているってことですもんね?」
その時そばで見ていた例の女性看護士が、初めて口を開いた。
「柴田刑事、柳田さんの血圧が上がっています。あまり興奮させないようにして下さい」
「……これは失礼。柳田、済まなかった」
柴田は素直に頭を下げた。
「いえ俺が始めた話ですし、柴田さんが謝ることではないですよ」
自分では冷静に話していると思っていたのだが、俺も興奮していた、というのが意外だった。
少し呼吸を置いて話を戻した。
「……そうだな。たしかに『全ての人の命を平等に思っているか』と訊かれたらそうではないかもしれん。だがな……身近な人間の命をより大事に思うのは人間として普通だと思うし、決して他の人の命が軽いと思っているわけではないぞ。それに、身近な人間を大事に思うから、被害者の方々の家族の気持ちも想像出来るんだ」
「……その『相手の気持ちを考える』ってヤツたまに聞いたことありますけど……何か意味あるんですかね?そもそも実際には誰もそんなこと考えて行動はしてないでしょ?」
柴田が理想を語っているのか、本音を語っているのか微妙に分からなかったので、俺は純粋に疑問をぶつけてみた。
「そんなことは無いだろ。人間には他人を思いやる心があるから、こうして社会は成り立っているんだ」
「うーん……でも、例えば会社とかはどうですか?経営者は労働力を搾取することで不当に儲けてますよね?」
「……別に不当ではないだろ。法で認められた範囲内で誰もが平等にチャンスを与えられ、頑張っているだけだ」
「法律だって金持ちを守る為に作られている、って俺は感じますけどね。そもそも資本主義ってのは何だかんだ綺麗事を並べてますけど、要は弱肉強食ってことですよね?」
「……まあ、そういう側面があることは確かだろうが……経済的な敗者が人生の敗者ってわけでもないだろう?日本は充分福祉が整った先進国だぞ」
柴田が本人もさして思っていないであろう綺麗事を述べたので、俺は無視して続けた。
「しかもアイツら『貧乏人?本人が努力をしなかっただけ。自己責任だろ?』って言って社会に還元しないどころか、税金すらちゃんと納めようとしないじゃないですか。……それならそれで、誰かが弱肉強食の本来の意味を教えて差し上げるべきなんじゃないか?という警告の意味を込めて、俺は今回の事件を起こしたんですよ。『あんまり庶民を舐めたやり方で自分が儲けることばかり考えていると、こういう天罰が下るかもしれないぞ!』っていうね」
こうして言葉にしてみることで、自分のした行為がとても大義に則ったものであるということが再確認出来て、誇らしい気持ちが抑えきれなくなってくる。
柴田は俺を、未確認の大型動物を発見したような警戒の目で見ている。
……もう少し話が分かるヤツと思っていたが、所詮は警察などという古い権力にしがみついている人間でしか無いのだろう。
「……なあ?お前のその理論でいけば、ターゲットにすべきは搾取をしている大企業の社長だとか政治家とかになるんじゃないのか?」
ため息混じりに柴田は尋ねてきた。
「もちろんそれは考えたんですけどね、なかなかターゲットを絞るのって難しいし、彼らを見つけて狙うのは骨が折れるじゃないですか?まずは何よりも行動を起こすことが大事。こうして世間に示すことが出来れば、必ず誰か俺の意志を継いでくれる同志が現れてくるんじゃないかな、と期待しております!」
話している内に全身に鳥肌が立ってくるのが分かる。これは大きなことを成し遂げた人間にしか分からないであろう、荘厳な気持ちだ。
「……いや、お前それ本気で言ってるのか?パチンコを打ってる人間なんてお前と同じような庶民だろ?」
荘厳な気持ちに水を差され、柴田が憐れむような声で尋ねてきたのがカチンと来た!
「アンタみたいな人間に何が分かるんだよ、警察なんて組織にいるような人間に!……年金でパチンコ打ってる老人たちなんて今の若い世代に支えられて遊んでるクズだろうが!まずは身近なクズから始末していくことが大事なんだよ!」
自らの血が沸騰してくるのがはっきりと感じられた。
とにかく柴田の物言いによって自らの行為が汚されたような感覚を覚えた。それが俺は許せなかった。
お前らがお前らの基準で俺を罪にして俺を死刑にする、それは構わないが俺の神聖な部分にまで土足で入り込んで来るんじゃねえよ!という気持ちで一杯だった。
俺を嗜めたのは柴田ではなく、看護士の方だった。
「柳田さん興奮し過ぎです!これ以上血圧が上がるようならば危険ですよ。……柴田刑事これ以上続けることは看護士としておすすめ出来ません。そもそも予定の30分をもう過ぎています!」
そこで初めて柴田も時計を確認し、あっ、という顔をした。
「そうでしたね……重ね重ね申し訳ない。柳田、今日はもうこれで終わりにしよう……」
柴田は俺と看護士に頭を下げ、帰り支度を始めた。
「柳田……お前の考えが聴けて良かったよ。もちろん1ミリも共感は出来ないがな。とにかく身体を大事にしろ」
お決まりのようにそう告げると柴田は去っていった。
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