第4話

「……なあ、腹が減ったんだけど……」

 次の日の朝、同じ時間に病室に入ってきた例の女性看護士に俺はそう告げていた。

 まるで幽霊にでも会ったかのようにぎょっと驚いて固まり、恐る恐るといった感じで彼女はこちらを振り向いた。

「病院食とかってどんな感じなの?」

 今まで意識不明だと思っていた人間から話しかけられたのだ。彼女がとても驚いていることは分かっていたが、俺はちょっとした悪戯心もあり再び話しかけた。

「…………しばらくは点滴か流動食になると思います。……柳田さんはアゴも怪我をしていますし、通常の食事に戻れるのは早くても二週間くらいはかかると思います」

 頭の悪い人間というのは、質問に対してきちんと答えないで、関連の薄い自分の言いたいことを言う。

 驚いた状態であろうとも質問に対して正面から答えたということが、彼女が冷静で頭の良い人間であることを示している。

 まあ……正確に言えば俺が訊きたかったのは、ここの病院食のメニューがどんなものなのか?味の評判はどうなのか?といった部分ではあるのだが、看護士という彼女の立場を考えればその答えは正しいものだっただろう。

「……意識が戻られたんです、ね……」

 少しの間があって彼女は俺にそう尋ねてきた。

「ああ、うん。三日前からかな?」

「……そうですか……じゃあもしかして、先生と刑事さんの話とかも聞いていたんですか?」

「柴田!……アイツ本当に警察の人間なの? 反社会組織の人間なんじゃないの?」

「……本当に刑事さんだと思いますよ。警察手帳も見せてもらいましたし……」

 半ば冗談ではあったのだが、彼女は真っ直ぐ答えた。生真面目な性格なのだろう。

 間を持たせる為に何かもう少し話しかけたいとも思ったのだが、話すべき内容を何も思い付かなかった。

「……先生を呼んで来ますね」

 彼女は病室を出て、例のヒョロガリ医者を連れてきた。

 医者はあまり読めない表情をしていた。

 俺が話せるようになったことを喜んでいるのだろうか?それとも意識がありながら何の反応も示さず、寝た振りを続けてきたことを怒っているのだろうか?

 どちらの感情も表に出すことなく、穏やかだが事務的な口調で医者は検査を始めた。

 だが、検査は予想していたような本格的なものではなかった。

 寝ていてた時にも行われた検温・血圧等の検査が終わると、視力や聴力等の感覚器官が正常に働いているかの検査が、ベッドの上で可能な範囲で行われた。

 どうやら、俺の身体はまだベッドから起き上がれるほどには回復していないようだ。

 それから問診が始まった。

 生年月日、名前、出身地といった基本的なことを訊かれ、そこから記憶等に問題がないかを探っているようだった。

 無論、俺の記憶は明晰だ。事件時の様子はスローモーションのように脳に焼き付いている。事件の様子も医者に詳細に語ってやろうとしたら「それは刑事さんに話してあげて下さい」と遮られてしまった。

 それにしても、少し話しただけで顎や口の周囲が痛くなってしまった。話し方を忘れて、話す時に使う筋肉が衰えてしまったためかと勝手に考えていたが、どうやら怪我の影響のようだ。 


「良いですか、柳田さん」 

 しばらくカルテを見ながらブツブツ独り言を言っていたヒョロガリメガネが、顔を上げて俺の顔を見つめた。

 メガネの奥にあったのは知性と意志を感じさせる眼だった。

 彼の顔をきちんと見たのは、この時が初めてだったことに気付いた。

「まず外傷の方から説明しますね。左右の足首の靭帯が損傷し、左脚の大腿骨が骨折しています。……上半身で言うと肋骨に三ヶ所ヒビが入り……さらに右手の第四指、五指……薬指と小指ですね、こちらが骨折しています。あとは顎の骨も骨折していますね」

 こうして改めて告げられるだけで、全身が痛み出してくるような気がする。

「主な外傷はそれだけですが、あとはガスの影響が有ります。……こちらはまだ検査を進めていかなければなりませんが、神経に作用しているので後遺症が残る可能性が有ります。ただ幸い視覚、聴覚等には影響無いようですし、言語障害、記憶障害等も無さそうです」

 こうして説明されてもイマイチ実感が湧かない。違う誰かのことのようだ。

 もちろん自分の身体を自由に動かせないことは分かっていたが、こうして説明されることによって初めて俺もなかなかの重症だということを理解した。

「……何か質問があれば答えますが」

 その頃には俺はもうこのヒョロガリメガネに対してはあまり意地を張る気を失っていた。だから思い付いたことをそのまま尋ねてみた。

「どうせ、俺って死刑になるんですよね?だったら別に検査とかしても仕方ないんじゃないですか?」

 俺の率直な問いに医者は少し沈黙し、メガネを指で押し上げてから返答した。

「……柳田さんが死刑になるかどうか、私には分かりません。柴田刑事を始め警察関係者からもあなたの治療を『よろしく頼む』と言われておりますが、そんなことは関係なく、あなたは私の患者ですから私は治療の為に全力を尽くすだけです」

 相変わらず抑揚の無い声で医者はそう告げた。

 15人殺した犯人はどう足掻いても死刑になるだろうが、それを分からないと言ってしまう彼の真意がどこにあるのだろうか?だがそれを探ろうとすることがあまり意味のある行為だとは思わなかったので深くは考えなかった。単純にそれが彼の仕事であり、俺のような人間でも治療すれば金が入ってくるし病院の評判も上がるのだろう。

  

 それから1時間ほどで息を切らして刑事の柴田がやって来た。

 病室のノックが、今までより少しだけ優しかったような気がする。

 入ってきたのは柴田だけではなく、医者と看護士を含めた3人だ。

「目を覚ましたんだな、柳田。俺は新宿署の……」

「柴田さんでしょ?前に名乗ったじゃないですか」

 俺の反応に柴田はもっと腹を立てるかと思っていたが、あまり表情を動かさなかった。予想していたことなのかもしれないし、恐らくは医者からその旨の連絡を受けていたのだろう。

「……そうだったな。いつから目を覚ましていたんだ?」

「3日前ですかね。『脳波は覚醒を示しています』って先生が言っていたのは覚えていますよ」

 そこで柴田は医者の方を振り返る。

「3日前の午後ですね」

 医者が確認して柴田に告げる。

「……なぜ今まで反応を示さなかったんだ?」

「あんなおっかない顔で凄まれたら、誰だってビビるでしょ。どう反応すれば良いのか分からなかっただけですよ」

 俺は苦笑混じりに答えた。まあ本音と言えば本音だ。

「そうか。……確かに俺の言い方にも問題があったかもしれんな。……ただどうしても俺は刑事の使命として真相を突き止めなければならない。そのことは理解してくれ」

「真相?……死者が15人の負傷者が50人ちょい、って柴田さん言ってませんでしたっけ?」

 柳田は柴田が何を言っているのかよく理解できなかった。

「被害者の数はその通りだ。だが、真相というのはそういうことじゃない……お前がなぜこんな事件を起こしたか、だ」

 柴田の声のトーンが上がる。

(……なぜ俺が事件を起こしたか?……そんなことが知りたいのか?) 

 柳田は柴田が自分に何を求めているのか、よく理解できなかった。

 なぜ?って訊かれても、俺がそうしたかったから、俺にはそうすることしか出来なかったから……としか答えようがないのだがそれを説明しろってことか?

「……なかなか一筋縄ではいかなそうだな」

 俺の困惑する表情を見て、柴田はため息をついた。

「柴田さん、まだあまり長時間話すことは身体の負担が心配です……」

 ヒョロガリメガネが横から口を挟んできた。

 今回の横槍は好都合なものだった。柴田との対面は俺にとってもあまり長時間続けたいものではない。

「失礼、そうでしたね。……柳田、明日もまた来る。身体の負担を考え長い時間は避けるが、今回の事件に関するお前の行動については全て話してもらうからな」 

 そう告げると柴田は去って行った。

 残った医者と看護士も、今後の治療や生活のことを軽く説明すると病室を出ていった。


 




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