第3話

「おはようございます」

 控えめなノックの後に現れたのは、昨日と同じ例の若い女性看護士だった。

 ということは恐らくまた朝が来たということだ。

 薄暗い病室のベッドでずっと横たわっている人間に時刻を知る術は無い。情報を知り得るのは、誰かがこうして外部から入ってくる時だけだ。

(にしても、またこの若い女か……)

 彼女がどういう経緯で俺の担当に選ばれたのかは知る由も無いが、大量殺人犯の担当になってしまうとは憐れな娘である。 

 彼女は昨日と同じようにように計器を見て検査を始めた。

 それが終わるとほぼ同時に再び病室のドアがノックされた。

 ゴンゴン、という強い音のノックは判で押したかのように昨日と同じで、来訪者が柴田であることはドアが開くまでもなく分かった。

「……おはようございます。新宿署の柴田です」

「お疲れさまです、柴田刑事」

「どうですか?柳田の様子は?」

 昨日と同じ柴田の問いかけに彼女は無言で首を横に振って、反応が無いということを伝えた。

「ただ、昨日よりも身体の状態は若干ですが、良くなってきています」

「……そうですか、ありがとうございます」

 抑揚の無い声で彼女に礼を告げると、柴田はベッドの俺に向かってくると側にあった椅子に腰掛けた。

「……なあ柳田、いい加減寝たフリはやめてくれないか?」

 それは今までの圧し殺した迫力を感じさせる話し方とは違った、優しく語りかけるような話し方だった。

 ただ単にそういった戦略として接してきたのかもしれないが、どこか本当に疲れているように俺には感じられた。

 だがもちろんそんな程度の揺さぶりで反応を示すつもりはなかった。

「なあ柳田、頼むよ。本当のことを俺たちに話してくれないか?……捜査はもちろん進んでる。だけど一番肝心な部分は、お前に話してもらわなきゃ、俺たちは何一つ知ることが出来ないんだ。……なあ、頼むよ」

(……何言ってやがる、コイツは)

 俺は思わず苦笑して吹き出しそうになってしまった。

 何でお前らにそんなことを教えてやる義務があるんだろうか?バカじゃねえのか? 

 俺がなぜやったのか、ということはお前らには一切関係の無い話だ。

「おい、柳田……いい加減にしろよ……」

 柴田は椅子から立ち上がると、俺の顔面に顔を近付けて凄んできた。

(……キレるのが早いよ!)

 まったく、もうちょい最初の作戦を継続できないもんかね?自分で決めた作戦だろ。

 ……あんまり顔を覗き込まれると、表情筋の強張りとかを見破られたりはしないかと心配になる。

「柴田刑事……柳田さんに身体的な接触をされては……」

 女性看護士がやんわりと柴田をたしなめた。

「……これは失礼。そういったつもりは無かったのですが」

 柴田が表情を緩め、彼女に向き合う。

「……柳田さんが目を覚まさないのは、もしかしたら心理的なストレスのせいなのかもしれません。……事件を起こした本人にも強くトラウマが刻まれているのかもしれません」

「……自業自得という以外はありませんね」

 看護士の言葉に、柴田はため息混じりに答えた。

「ええ、それはそうなんですが……」

 しかし、この女性看護士はなぜ俺を庇うような発言をするのだろうか?

 彼女も俺が大量殺人犯であることは知っているだろうに、どういうつもりなのだろうか?女という生き物がそうなのか、看護士という職業の人間がそうなのか、まるで見当が付かなかったが彼女が奇特な存在であることは確かだ。


 その後、例のヒョロガリメガネの医者も入ってきて、三人で俺のことをごちゃごちゃと話していた。

 なんとなく感じたのは、想像以上に俺の身柄を大事に扱わなくてはいけない、という空気だ。

 病院側にも警察側にもそういった指示が、かなり上から与えられているようだった。

(……何か多少ムリな要求をしても通るんじゃねえか?)

 ふとそんなことを考えた。

 それが自分勝手な都合の良い考えであることは分かっていた。

 でもどんな状況でも想像だけは自由だ。神と言えども頭の中まで縛ることはできない。

 何の制約がないとしたら、今何がしたいだろうか?そんな想像をしてみる。

(……ガッツリ肉が食いたいな)

 出てきたのはあまりに原始的な欲求だった。

 無理もない。最近は金が無くてロクな飯を食っていなかった。チェーン店の牛丼でさえこの数ヵ月は食っていない。

 それでも身体は肉の味を覚えており、飢えているからこそ想像だけでそれを再現することができた。 

 香ばしい匂い、噛み締めたときの食感、溢れ出る肉汁と旨味……それでもって熱い白飯を掻き込みたかった。

 もう一度死ぬ前に腹一杯食いたい。


 俺がそんなことを考えているうちに三人の話はいつの間にか終わり、柴田と医者は病室を出ていった。

 






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