第2話


 柴田と名乗った警察関係者が去った後も、俺は医者の呼び掛けに対して何の返答もしなかった。

 当然、脳波やら何やらを計測している彼らには、俺が意識を取り戻していることは分かっているのだろうが、彼らは無理矢理起こして返答を求めてくるようなことはなかった。

 簡単な検査を済ませ、点滴を俺の腕に刺すと医者と女性看護士は病室から出ていった。 

 一人きりになった病室で、ようやく少し気を緩め、集中してこれからのことを考えよう……と思ったところで本当に意識が遠のいていった。



(……くっそ、今何時だ?)

 再び目を覚ますと最初に思ったのはそんなことだった。

 なぜそれを思ったのかは、分からない。

 今の俺は仕事に合わせて起床する必要もないし、誰かが会いに来るわけでもないし、何か見たいテレビがある訳でもない。

 そもそも、どんな行動の自由も今の俺には与えられていないのだ。

 それでも今が何時なのかを知りたかった。

 それは何か人間にとっての本能的なものなのかもしれない。


 ベッドに横たわったまま首をもたげるが、この病室には窓も無いようで、陽当たりや外の様子で時刻を判断することは出来ない。

 病室だろうと時計の一つくらいはあるだろうと、回りを見ようとさらに体を起こしかけたところで、衝撃が走った。

(痛い!!!)

 背中と腰が痛かった。猛烈に痛かった。

 産まれて初めての強さの痛みに、ムリヤリにでも身体を起こそうという気持ちは奪い去られた。

 昨日一瞬目を覚ました時には全く意識に上らなかったのだが、俺の身体はかなりボロボロのようだ。

(……やべえ、どこもかしこもメチャクチャ痛い……)

 体を起こそうとしたのが契機となったのか、全身が猛烈な痛みを主張し始めた。

 膝、太もも、腰、背中、肩、首、頭……どこも今まで味わったことのないほどの痛みだった。 

(……クソ!)

 せめて寝返りを打てば背中の痛みくらいは少し和らぐのではないか、と試してみたのだが、寝返りを打つことすら今の俺には出来ないようだ。どこにも力が入らなかった。

 いっそまた眠ってしまえばこの痛みも感じないで済むのに……と考えたが、意識はどんどん覚醒してゆくばかりだった。


 コンコン、と病室のドアをノックする音がした。

 実際にはそれほど大きな音ではなかっただろうが、痛みで感覚が鋭敏になっている俺にはガラスが割れるような激しい音に聞こえ、体をビクッと跳ねさせた。


「おはようございます、柳田さん……」 

 入ってきたのは昨日と同じ若い女性看護士だった。

「御気分はいかがですか?」

 そう呼び掛けながら俺のベッドに近付いてきた。

 もちろん俺は呼び掛けに応じるつもりはないし、向こうもそれを期待はしていないだろう。痛みを隠し、眠った振りを自然に続ける。

「……あら?」

 彼女は俺を見て何か状態の変化に気付いたようだった。

 一旦部屋を出てゆくと、注射器を持って再び入ってきた。

「鎮痛剤です。これで少し楽になると思います」

 彼女が俺のどういった変化に気付いたのかは分からない。

 さっき痛みに悶えた時のシーツの乱れなのか、表情の微妙な強張りなのか、それとも何かの数値から判断したのかは分からないが、その処置は適切なものだった。

 この女性看護士は、ついこの前まで学生だったかのような雰囲気をまとっているので少しなめていたが、実は優秀な看護士なのかもしれない。


 ゴンゴン、と再び病室のドアがノックされた。

 彼女が入って来た時とは明らかに違う種類のノックだった。

「あ、お疲れさまです。柴田刑事!」

 彼女が明るい声で挨拶をした。 

(……やっぱりコイツか……)

 何となくそんな気はしていた。そして柴田という男がやはり刑事だということも今分かった。

「おはようございます。……どうですか、様子は?」

 相変わらず地獄の底から響くような低い声だった。

「……脳波は覚醒を示していますが反応は無いです。ただ先程、痛みが出てきた様子があったので鎮痛剤を注射しました」

 それを聞くと柴田は軽く鼻で笑った。

「柳田、お前も痛みには敏感なんだな。……でもなあ、お前に殺された人たちは、お前のちっぽけな痛みとは比べ物にならない苦痛を味わって死んでいったんだぞ」

 柴田はそこで、ベッドに横たわる俺の耳元に近付いて続けた。

「……いつまでも狸寝入りを決め込んでないで、とっとと起きて説明を始めろ。この卑怯者!」

 ……とっとと起きて説明しろ!と言われても、そんな迫力で凄まれては、恐怖で固まってしまう。

 もう少し優しい声で「説明してほしいにゃん」とか言えないものだろうか?強面のコイツがそんな作戦で来たら、思わず吹き出してしまっただろう。

 ……冗談はさておき、コイツが怖いのは、刑事としての使命感ではなく恐らく本気で俺のことを憎んでいるということが伝わってくるという点だ。この場で俺の首を絞めて殺したいのを、必死に理性で抑えているという感じがひしひしと伝わってくるのだ。

 警察、それも刑事という職業は、目の前の犯罪や悪にストレートに憎しみを表せる人間だけが就けるものなのかもしれない。

「……あの、柴田刑事?」

 女性看護士が恐る恐るといった感じで声を発した。

「……何ですか?」

 そんな柴田も彼女に対しては少し雰囲気を弛めざるを得ない。

「柳田さんは確かに脳波では覚醒を示していますが、言葉をきちんと受け取れているか、受け取れていても身体が反応を示せるか、言語を発して応答できるか……といった点は検査の進んでいない現在の状態では、まだ何とも言えないんです……」

 柴田は少し興をそがれた様子だったが、彼女の言うことももっともだと思い直したのか素直にうなずいた。

「……分かりました。コイツに話を聞くのは検査が進み次第ということにします。……ただどうしても今、伝えておきたいことがあります。……もちろん今は聞こえていないという可能性を考慮し、意識が戻った時にまた伝えますが」

 柴田はどうしても俺の意識が戻っている、という立場を取りたいようだ。……まあ実際そうなのだが。

「柳田、聞こえているものとして伝えておく。被害者のことだ。今日新たに1人の死亡が確認された。これで死者は全部で15人。意識不明の重体が3人。その他の重傷者が23人。軽傷者は30人以上。これがお前のやったことだ。良いな?」

 女性看護士が驚いて、息を飲む音が不自然なほど大きく聞こえた。


(……何だ、意外と少なかったな)

 というのが俺にとっての正直な感想だった。

 死者が15人に負傷者が50人ちょい……あの時のパチンコ店には客が100人以上、従業員が10人ほど居たはずである。

 それで死傷者が60人程度ということは、残りの半数は無傷で逃げおおせたということだ。

(……ちょっと悔しいな)

 別に全員を殺せると思って計画を練ったわけではなかったが、こうして結果が数字になって表れてくると、自分の仕事の不完全さを突き付けられたような気になってしまう。

 出口の封鎖の仕方が甘かったのだろうか?いや、毒ガスを散布する場所とタイミングがベストではなかったのだろうか?

 いやいや、あの場面ではあの行動がベストだった!……いや、だがもっと出来たのではないか?

 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

(……まあ良い!立派な結果だ!)

 しばらくはそんなことをグチグチ考えていたが、自分にそう言い聞かせ、そこで思考に終止符を打った。

 過去のことは変えられないのだ。

 それに結果はベストのものではなかったかもしれないが、自分自身はベストを尽くした。

 何よりも勇気を出して行動した、ということを誇るべきことなのだ! 

 無論俺はバカや狂人では無い。

 幾ら相手が「コロナ禍で密集を避けるように」という方針に従わず、パチンコに熱中してしまうような、社会に寄生する愚かな中毒者達だとしても、彼らが法律的に人間として認められている以上、俺がした行為は殺人ということになるだろう。

 そして殺人が法律によって裁かれる行為であることも理解している。

 被害者が数十人出ている以上俺は恐らく死刑ということになるだろう。

 そんなことは分かった上で、俺は行動を起こしたのだ!

 世に蔓延る、立派な言説を偉そうに垂れ流すくせに何も行動しない偽善者たちに見せつけてやりたい誇らしい気持ちで一杯だった!






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