第3話
三、
あたしは何もやっていない。断じて何もしてない。ただちょっと自由気ままに生きてきすぎただけで、でもそれでももちろん人の目を気にするときは気にしたし、真面目におとなしく暮らしていたつもりだ、これでもあたしなりに。
それでもあいつらはあたしを憎む。あたしにいわれのない敵対心を抱く。今なら理由がなんとなくわかるような気がするが、あたしは当時はわからなかった。あたしは今二十七歳になった。今からざっと十年前の話だ。あたしは自分で言うのもなんだが、ちょっとだけ可愛らしいというか綺麗というか、まあその、わりと整った顔をしていたのだった。周りの人たちから美人だと言われてちやほやされていたんだ。あのころは自分のルックスに自信が持てなかったけど、十年の間に出会ったいろいろな男たちから褒められて大事にされて愛されてきたので、納得がいくようになった。そうか、あたしは美しいのか。そんでここは狭い小さな田舎町だったから、美人がすごく珍しいようなのだった。まああたしの外見のことは照れくさいからそのくらいにして、あたしは女子高校生のころ、それなりにモテていた。諸悪の根源のようなあの汚い妄想ばっかり脳みその中に破裂しそうなほど詰め込んだ男子生徒に、標的にされ、つけまわされていた。それがうれしかったらお話はそこで終わるのが、あたしにとっては迷惑で鬱陶しくて失礼極まりない憤慨ものだし、そもそもただ恐怖でしかなかった。なんらかの媒体によりひどく凶悪の方向に汚染されたうす汚れた賎しい男子生徒たちは、明らかにあたしを手に入れたがっていた。あたしを好きなのかはよくわからないが、あたしと寝たいだけだということだけはまあよくわかった、だがその表現方法がまずかった。夏田をレイプしたら本当に孕むのか試してみたいだとか今日の下着の柄(あたしは制服のシャツのボタンはきっちり留めていたしキャミソールを着ていたのでブラチラや胸チラしたりしていないし一度たりともパンチラなんてしていないし、一分丈スパッツを履いていたので下着は絶対に見えない)を妄想して当てるゲームとかしていた。廊下ですれ違いざまにあたしに聞こえるように卑猥な放送禁止用語を連呼したりするとか夏田に顔射したいとか大きな声で言うとか拉致したいとか。とにかくあたしを震え慄かせるような方法でその幼稚な願望を表現するので、あたしはかれらを憎んでいた。ひどく嫌った。死ねばいいと毎日思っていた。それであたしは悪意と敵意を体中からまき散らし、誰も近寄って来るなオーラを出し、般若の仮面のような両目のひどく吊り上がった恐ろしい顔つきをしていて、オタク系で真面目な女子たち以外とはだれとも口を利かなかった。だれも近寄って来れなかったんだろう。しかし高校の男子なんてそんなもの、とそう冷静に受け流せるほど、あたしは大人ではなかった。家族やまわりの人なんかが、美花はねーまだ幼いからねー、とため息をついてどうしようもないのだとこぼすほど、あたしは性的に未熟だった。直接的に露骨に下品に性的な対象にされることに対して、嫌悪感しか抱かなかった。理想は高く、夢見がちで、なんにしろそういうことに関しては奥手で控えめで真面目で、まだ精神的にも大人にはなりきれなかった。どうして好感を持つことができない相手の性的ファンタジーを受け入れてやらなければならないのだろうか? それが不思議でならなかった。いくら頼み込まれたって、絶対に断る。好きでもない相手と性的な関係を持とうとしても、そんな困難なことがこのあたしにできるわけがないのだが。そんなことをするくらいならあたしは自殺を選ぶと思う、とほのめかした遺書を書いて引き出しにしまったこともある。そう、あいつらとすこしでも関わるくらいなら、あたしは死んだ方がましなのである。なんで夏田は森木(露骨にあたしにお熱だ。品がなくて汚い表現しかしてこないけど)たちと話さんの? 女子としかしゃべらんし、まるで女子高の生徒みたいやね、などと陰口をたたかれたこともある。だから、あたしは男子生徒どもが恐怖をもたらす存在でしかなかったし、彼らが妄想をバラまいてあたしを汚染する、そのうす汚さをただ軽蔑した。卑俗で下賤な猿ども。あたしはいつも彼らを見下していた。彼らの声が聞こえてくるだけで吐き気を催し、恐怖の妄想話をニタニタしながら群れでしゃべっている姿を見るだけで途方もない怒りを感じ、家では勉強中に不意に彼らのことを思い出すと(あたしはノイローゼにもなっていた)そのたびに鉛筆をへし折って床中に散らかして捨てたり、あいつらの失礼な発言が頭から離れなくて猛烈に腹が立った場合は部屋の壁を拳で殴りつけて穴だらけにして母に家を壊さないでと怒られたりした。精神に異常をきたしてとうとう重度の精神病を患うようになってしまった。あたしは二十キロ痩せてほとんど骨と皮の状態になってしまった。もう死にかけていたのである。夏田ダイエット失敗したっぽいね、と噂がささやかれていたが、違う。重度のストレスで食事も喉を通らなかったのだ。しかし相変わらずあたしはあたしを熱っぽく見つめる視線を、一度たりともまともに受け止めてやらなかった。それでも彼らはあたしを視線で追いかけまわし、妄想話のネタに使った。恐ろしいことに、それ以上のことも当然していたのだろうが、知りたくもないからもう知らない。あいつらと接近したくはないから、修学旅行にも参加しなかった。ただそれが、他の女子生徒たちや不良女たちには鼻についたというか、不満だったのだろう。夢見がちな乙女でもある彼女たちは、あろうことか、あんな猿山の猿どもに恋をしていたのである! あたしにはあんな汚い奴隷どもには汚いという理由で一切性的に興奮しないのだが、彼女たちは、なんということだろうか、あんな汚い猿どもにいったいどういう仕組みかラブロマンスを感じていたのだろう。あたしにとっては、メスガキどもは頭がいかれているとしか思えないのだが、だから、彼女たちはあたしに対して、ムカつくだとか、調子に乗ってるだとか、メンチキルナ(どういう意味だかさっぱりわからないけど? メンチカツ? 美味しそうだね)とか悪口を言い、あからさまに悪意に満ちた目で睨むのだった。不良の女子たちは、地味なオタク系であるとても控えめな、真面目な生徒であるあたしを迫害した。髪を茶色に染め、ピアスを開け、化粧をし、制服のスカートを下着が見えるくらい短くし、男に媚びるあのメスガキどもは、いつもあたしを敵視し、あたしの昼食の際の箸の上げ下ろしまでいちいち貶した。あたしを自殺するまで追い詰めるとまで言い放った。いじめというものに適応性のないあたしはどうしたらいいのかわからなかった。とてつもない怒りのエネルギーで一杯になっていたあたしは、いつでもあいつらを心の底から思い切り罵倒する妄想をして時間を潰したりリストカットを繰り返したりした。気のないそぶりをして一切かかわろうとしないのにモテてしまうあたしと、女を武器にして下着をチラ見セしたりしてまでオス猿どもに媚びても一向にモテないあいつらは、まあ顔が違うんだから仕方ないだろうと大人になった今ならそう思うのだが、腹が立つのはまあわかる。理不尽だとか努力が報われないとか思うのもしょうがない。でもあたしだって、腹が立つ。あたしはあの汚いオス猿どもとは一言も口をとうとう卒業するまで、口をきいたことがないし、顔をまともに見てやったことも一度だってないし、そもそも好意のこの字すら持っていなかったんだ。それなのに、あの女子どもに、聞こえるところで悪口を言われたり、言動に対していちいちそばで舌打ちされたり、仲間外れにされる必要なんて、ないのではないのだろうかと今ならそう思うのだが、あたしは絶対に間違っていないと主張したい。
で、そんなこんなで、精神が病気になってしまった可哀そうなあたしは、ある日、とうとう怒り、というか嫉妬心、をむき出しにしたあいつらに放課後呼び出され、あたしたち以外誰もいなくなった教室で大喧嘩をしてしまった。あいつらも我慢の限界だったのだろうが、あたしだってもう耐えたくはない。はっきり言いたいことを言ってやって、ビンタの一発でもかましてやろうとすら思った。黙れ僻むなブスども。そう一言罵ってやれたら速攻で帰ろうと思った。
《夏田ぁ、おまえ森木のこと好きなん?》あいつらは本当に馬鹿だった。ボス猿の森木にぞっこんなふられんぼの不良。
《嫌い。思想が汚い》あの汚い芋くさい田舎男なんて、あたしは決して好きになったりしない。あたしは尊敬できる人が好きなんだ。森木は汚いし、人間として最低だから嫌いだ。
《は? ちょづいてんじゃねえぞ、糞が!》あいつらのうちの一人が言った。
《ちょづいてないし。おまえらの方が糞やし。犬の糞以下のくせに。汚物のくせに》あたしは言った。
《うっせえ! ダサいくせに、ナマ言ってんじゃねえ! キモオタ! キメえんだよ! 根暗! 気色悪いんじゃ! 気取るなや! ウラナリ!》
そう罵倒されて、とうとうあたしはキレた。あたしは毎日毎日ぐちぐちうるさいブスどもに教室の自分の近くにあった椅子を投げつけた。椅子は四人中一人の足首に当たった。《痛ってえぇし! イキがるな馬鹿が!》足を負傷した奴はそう吐き捨てて今度は机を思い切り投げ飛ばした。机は吹っ飛んだ。机はほかの机にぶち当たって倒れた。《いい加減にせえよ夏田あぁあ!》リーダー格の不良の一際ブスなメス猿は猛り狂って、吼えながら走ってきてあたしの身体を手で強く突き飛ばし、窓際に倒れたあと立ち上がったあたしの身体を掴み、暴れて抵抗するあたしの頭をぐいと押して教室の開いていた窓から無理やり突き落とした。《死ねやおらあ!》落下するとき、なんであたしが、と悔しく思った。地面でしたたかに後ろ頭を打ったとき、ぐしゃりと自分の体中の骨が折れる音を聞いて、あたしはそのまま意識を失った。
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