第四章
1898年6月20日
『ペトラ』の露天艦橋から、タイプライターの音が鳴り響く。
左には茶の入ったマグカップ。右には少し焦げ目のついたスケッチブック。その上には同じく少し焦げた一冊の本。
サラが打っているのは謝罪の手紙。宛先は中央図書館。
ミアが借りた本が焼けてしまい、返せなくなったことへの謝罪。
弁償金は政府が払ってくれる。
サラは、文章を書き終えると、紙をタイプライターから抜き出し、万年筆を取り出した。
既に日は落ち始め、街中からマグリブの祈りが聞こえてくる。
万年筆で手紙にサインをした後、サラはポケットから煙草の箱を取り出した。
一服と軽い咳、軽い溜息をするサラ。
「…もう、後戻りはできない、か。」
少し寂しそうに苦笑すると、サラは新しい紙をタイプライターに差し込んだ。
「1898年6月20日
お父様…」
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二十五枚の手紙
第四章「新たなる旅立ち」
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1898年6月15日
「停船せよ!さもなくば攻撃す!停船せよ!」
ロッツァ帝国海軍のコルベット『シャルロット』の艦長は不機嫌だった。
すでに旧式化し海軍兵学生の訓練に回されていた『シャルロット』が現役に駆り出されている帝国海軍の現状に対してではなく、輸送路の巡回警備と民間商船の臨検と言った「つまらない」任務を押し付けられたことに対してである。
通信士の一人が発光信号を打ち続ける間、艦長は軽く溜息をついた。
「止まってくれそうかい?」
首を横に振る通信士に対し、艦長は改めて溜息をついた。
「仕方がない。副長、砲撃戦用意。最初の一発は警告射撃だ。相手の艦首を横切る感じで撃ってくれ。」
しかし、副長が艦長の命令を伝令していた途中、見張りをしていた水兵の一人が驚きの声をあげた。
「艦長!二時半の方向に接近中の艦影!巡洋艦と思われます!」
眉を片方上げる艦長。
「増援か?来る予定は無いはずだが…。」
「巡洋艦、発砲!」
「何っ!?」
『シャルロット』の周辺に何本かの水柱が上がると同時に、水兵たちの間にパニックが広がる。
双眼鏡越しに巡洋艦を探す艦長。
「あの艦影は、『カイザーリン・アウグスタ』じゃないか!?」
「艦長、どうしますか!?」
「決まっている!撤退だ!勝負になるか!」
「敵艦、逃げにかかりました。護衛対象も無事のようです。」
報告を聞くなり、『カイザーリン・アウグスタ』改め『アスカロン』の艦橋にてイブラヒムが軽く溜息をついた。
「これでやっと三隻目ですね。まったく、こう一隻一隻別々に航行するのを止めてもらえないかな~。護衛する側の身にもなってみろよ。」
イブラヒムの愚痴に対し隣の副長は苦笑した。
「まだ二隻残っていますよ、艦長さん。」
天を仰ぐイブラヒムだった。
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ポート・ヴィルヘルム攻略戦から一ヶ月、フーリエ周辺の戦線は膠着状態になりつつあった。
攻略軍の敗戦はフーリエの反乱軍内に大きな影響を与えた。
まず、七万の寄せ集めの壊滅に対し二万前後の防衛部隊が組織され、帝国海軍から寝返ったゼークト提督が指揮官の座についた。
「先月の敗戦の後革命精神に目覚めたため反旗を翻した」と公式には発表されているが、単純に孫可愛さが理由だとも噂されていた。
その孫のヨセフが要塞防御指揮官に任命されたのも何やら関係しているだろう。
これらの人事を提案したサラは、「フーリエ海上防衛隊」の司令官に任命された。同時に、シャルルは副司令官に、ジークフリート・ヴェルナー准尉は情報部部長に、イブラヒムは巡洋戦隊司令官に任命された。
一方、敗戦の結果救済同盟の首脳部の大半は失脚し、侵攻作戦に反対したと主張するシューマン博士がほぼ独裁権力に近い物を手中に収めた。サラらの人事を認めたのもシューマンである。
そんなサラは、相変わらず『ペトラ』の露天艦橋から湾内を眺めながら溜息をついていた。
「なぁ、シャルル、あのドクトルは何かしらの妖怪なのかい?」
「は?」
いきなりの質問に対し、シャルルはキョトンとした表情を浮かべた。
「藪から棒に何を言い出すんだ?」
「奴はたしか侵攻作戦開始時に盛大な演説をした記憶があるんだが?」
「一応侵攻作戦を強行したのは他の連中だからな。ドクトルはお飾りってことで。」
紅茶を一口飲むシャルル。
「まぁ、それが公式の見解だ。真実は俺にも分からん。」
サラも一口紅茶を飲むと湾内から鳴り響く民間船の笛の音に耳を傾ける。
「…ようやく物資が届いたか。やっぱりペースが遅いな。」
「最近はじめたんだから仕方がない。配給分の物資は間に合っているんだから良しとしようぜ。」
フーリエの軍港にて、『アスカロン』を降りたイブラヒムを聞き覚えのある声が出迎える。
「あ、イブ君、お帰り。」
「ただいま、リリー。『ツァハラ』の調子はどう?」
新しく鹵獲した『フロシュヴァイラー』改め『ツァハラ』の艦長になったリリアーナ・ヴェルナー准尉は軽く背伸びをした。
二人はどうやら最近仲が良くなったらしい。
「やっと船体の修理が終わった。これで少しは役に立ちそう。」
溜息をつくリリーに、イブラヒムが一本のガラス瓶を渡す。
「お!気が利くね!」
コーラの瓶を開けるリリー。
「これで今月の配給分最後の一本だから、味わって飲んでな。」
思わぬ発言にむせるリリーに対しクスクス笑うイブラヒム。
「…冗談でしょ?」
自分の分のコーラを取り出すイブラヒム。
「もちろん冗談さ。来月は冗談じゃなくなるかもしれないけど。」
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ロッツァ帝国は、開祖皇帝マクシミリアン一世から198年、第七代皇帝フランツ・オットーが帝位について35年、初めての大規模植民地反乱に頭を抱えていた。ドライズラントやその他植民地で過去に反乱などが行われていないわけではなかったが、それらの大半は植民地警備隊などの地元部隊により鎮圧されて来た。
しかし、今回は様々な要素のため帝国本土の中央政府は状況を把握できずにいた。
今日も、ドライズラントの事態への対応を決めるための議論が帝国議会にて行なわれていた。
「このような事態が続いては、我が帝国政府はまだしも、恐れ多くも皇帝陛下の名誉を傷つけることになる!直ちに討伐軍を組織し、賊を討ち、帝国に平安をもたらすべきである!」
「卿の考えは間違ってはいないが、そもそも誰に対し矛を向けるべきかもわからないではないか!まずはそこら辺の事情を明らかにするべきである!」
「卿らは何か考え違いをしているようだ。たかが植民地の劣等民族が騒いだところで何ほどのことがあろうか。これまで通り地元の警備部隊に任せればいい。問題は、この機に乗じて恐れ多くも皇帝陛下を排そうと画策する共和主義者や社会主義者どもである。今こそ国内の不穏分子を一掃するべきである!」
ガヤガヤワイワイと議論と暴言が飛び交う中、一人の議員が呆れたような表情で溜息をついた。
「浮かない顔ですな、ジーメンス議員。」
議論の休憩中、いきなり話しかけられたオイゲン・フォン・ジーメンス議員は声の主を見るなり少し驚いた。
「これは殿下!はい、このまま行けば今日も結論が出ないでしょう。そうなれば他の問題を解決する時間も無くなります。嘆かわしいことです。」
声をかけられた人物、アルブレヒト大公は軽く溜息をついた。
「まったくだ。父上にもう少し決断力があれば、少なくとも何らかの方向が決まっているだろうに。」
本来なら不卿にあたるかもしれない発言だが、罪に問われないのは恐らく皇族故の特権だろう。
「ところで、卿は今回の議題をどう思うか?」
「自分としては、この大規模反乱は人民が現体制に反対だということなのは明らかでございます。これは保守派や軍国主義者たちを議会から一掃し、政権を交代させる好機かと。」
一瞬、話している相手が誰か再確認したのか、議員が一瞬黙り込む。
それに対し軽く笑う大公。
「気にするでない。卿の政治思想は前々から存知ている。丁度いい。卿にこれをわたそう。」
そう言いながら、アルブレヒト大公はカバンから一冊のファイルを取り出した。
「…これは?」
「部下の報告書をまとめた物だ。政府の方針に役立ててくれ。」
「で?うまくいきましたか?」
ロッツァ帝国の帝都ヴェニアムから少し離れた皇宮にて、帝国陸軍の礼服に着替えたアルブレヒト大公は昼の休憩の一環として一杯のコーヒーを楽しんでいた。
「うむ。実に良い報告書だったよ、ファルケ。卿がドライズラントの現状を調べてくれたお陰で政府もやっと重い腰を上げてくれたよ。」
大公は視線を近くに立っていたルーカス・ファルケ少佐に向けた。
「それは良かったです。で、方針は?」
「現在反徒たちの中でも最大勢力である『反帝同盟』とやらに集中するそうだ。卿の進言どおりにな。」
「総力戦の準備は…?」
軽く溜息をつくアルブレヒト大公。
「相変わらず察しがいいな。連中は総力戦の必要性どころか、戦争であるとの事実すら認めたくないらしい。法律上は『警察行動』として処理されるそうだ。」
ふと何かを思い出すかのように瞬きする大公。
「あ、そうそう。君が気にしていたフーリエの社会主義者たちは当分の間放置するそうだ。連中は籠城戦に徹したらしいから、申し訳程度の包囲網で十分だと。」
「…はぁ。」
何か反論したそうな表情をしていたルーカスだったが、発言できる前にヴィーシャが部屋に入って来た。
「失礼します!殿下、少佐、大公妃殿下がお戻りになりました。お迎えした方がよろしいかと…。」
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「…だいぶ変わったな。」
フーリエの街、商店街に足を踏み入れたサラはそう呟いた。二月前までは活気に満ちていたここも、今やほとんどの店が閉店していた。それ故、訪れる客も激減していた。
「こんなご時世になった以上、変わらざるおえないだろうよ。」
隣で歩いていたシャルルが呟く。
「唯一の救いは配給がちゃんと配られているってことだ。海外に協力者がいて助かったよ。」
「…」
二人の会話は途切れ、気づけばフーリエ政府の仮本部として使われていた市庁舎ビルが視界に入ってきた。
「本当に来ないのか?一緒に来た方が説得力あるぞ?」
「方針への大した変更はしてないから大丈夫。」
その発言に対して何やら不満そうな表情を見せるシャルル。
「…何?」
「いや、本当に方針はこれでいいのかな、って思っててさ。」
軽く溜息をつくサラ。
「現在の我々は積極的に行動したくても戦力が足りてない。おまけに陸では包囲されてるし他の反帝国運動ともあまり仲が良くない、つまり戦略的にも政治的にも孤立している。状況を動かすことができない以上、別の誰かが状況を動かすのを待たなくてはならない。それ故の籠城戦。」
頭を掻きながら視線をシャルルに向けるサラ。
「報告書にもそう書いたはずだけど。」
なにか反論したそうなシャルルだったが、何かを察したのか言葉を飲み込んだ。
「…戻ったらなんかおごれよ。」
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一方、商店街とは一変し、遊郭は相変わらず陽気な空気に包まれていた。現在、フーリエの住人の多くが軍人である以上、こういう形での癒しを求める者が少ないはずがない。当時の他の軍隊に比べて、兵士たちの男女比率が割と近かったため、異性との交流も少なくなかったが、男性兵士の性的欲求を女性兵士に向けさせるわけにはいかず、逆も然りである。
国内の三大宗教の役人が取り壊しを求めるにもかかわらずフーリエに遊郭が残っていたのはそのためである。
とは言え、数分前に遊郭へと足を踏み入れたヨセフは数少ない例外かもしれない。
外見は落ち着いているように見えたが、内心かなり動揺している様子。
度々遊女たちが店に連れ込もうと迫ったがヨセフは毎度丁寧に誘いを断った。帝国貴族としての育ちの良さも少し関係があった行動だったが、何より彼は今日仕事でこの遊郭に来ている。
もう一人遊女の誘いを断ったその時、近くの店から見覚えのある人物が転げ出て来た。
呆れた表情で軽く溜息をつくと、ヨセフはその人物を路上から引き起こした。
「随分と楽しんだようですな、ヴェルナー准尉。大分待ちましたぞ。」
「おお、大尉殿か。ため口でいいと言っただろうに、階級上なんだし。」
軍服から酒臭を放ち定期的にしゃっくりをしながら答えるジーク。息も少々酒臭い。
「あんたは私から見たら年上ですからね。それより、急ぎましょう。軍議に遅れます。」
「少なくとも名前で呼んでくださいよ。妹と紛らわしくなる。」
「…以上が外でのんびり包囲網を張ってる帝国軍の情報だ。今から本気で出陣すれば連中をボコボコに叩きのめすことができるが、その後の追撃は多分むりだな。」
「わかりました、ジークさん。ご苦労様です。」
ヨセフは少しばかり困惑していた。
一時間ほど前にアルコール中毒者の鏡のような酔い方をしていたジークが、今は何事もなかったかのように報告書をサラに提出している。
酒の臭いも服からは完全に消えている上、サラが何も反応していないという事は口からの酒臭も大分消えているのだろう。
あれは演技だったのだろうか?
だとすれば、週二に近いペースで遊郭に通っているのも何かしらのカモフラージュなのだろうか?
情報部のトップとしての仕事は十分こなせているらしい。
ヨセフの心情に気づかず報告を終えるジークに対し、サラは軽く溜息をついた。
「それにしても、派遣されて来た帝国軍のほとんどが属国や少数民族の部隊とは。敵ながら統率しなければいけない奴が可哀想だ。一通の命令を何か国語に訳さなければならないのやら。」
「言語の問題は、こちら側も同じだろ?」
そんな時、部屋の中に政府への報告を終えたシャルルが入ってきた。どうもくたびれた様子で、後ろには荷物持ちを押し付けられた可哀想な政治士官もいた。
荷物の中身は、シャルルが自分とサラのために取り寄せたタイプライターだったが、「そんなことより」と言いたそうな表情で一通の通信文をサラの机の上に置いた。
「おい、ミラクって街の革命軍から救援要請が来た。『救援要請』って言っても実際は悲鳴だ。四方八方平文で助けを求めてる。」
一瞬、サラの表情が暗くなるが、瞬時に元に近い状態に戻る。
「ドクトルの命令は?」
「現場指揮官の判断に任せると。何かして欲しそうな目つきはしてたけど。」
溜息をつきながら面倒くさそうな表情を浮かべるサラ。
「…見捨てるわけにわいかないか。」
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フーリエから数十キロ離れた場所に位置し、かつては古代文明の中枢都市として栄えていた(と思われる)街、ミラク。
革命分子がここで蜂起したのはフーリエとほぼ同時で、街の外にも徐々に勢力を拡大していた。
それが過去形で語らなければならなくなったのは今月に入ってからである。
帝国軍の大規模「警察行動」の結果、ミラクの革命軍を含め多くの反帝国武装勢力がミンチにされつつあった。
今まで頑張って占領に成功した土地も、たったの一週間で全て無と化した。
今は街は包囲され、激しい戦闘が続いている。
ミラクの近くに『ペトラ』をはじめとするフーリエの小艦隊が到着した時、その戦闘はクライマックスに達しようとしていた。
「司令、陸との通信ブイへの接続が終わりました。」
「ん。ご苦労。」
普段は露天艦橋から指揮をするサラが、珍しく司令塔にいる。
電話の受話器が露天艦橋には無い、と個人では理由を付けていたが、シャルルなどにとっては違和感しか無い選択だった。
電話のベルが鳴り、シャルルがサラの代わりに受話器を取る。
「こちら、フーリエ海上防衛艦隊旗艦『ペトラ』。射撃指示を乞う。」
そうシャルルが告げると、電話の反対側から爆発音、銃声、悲鳴に交じって返事が返ってきた。
「現在我々の状況は危機的だ!あとどれぐらい持ちこたえられるかわからん!」
「もう少し耐えてくれ。今我々の輸送船が港に向かった。民間人の収容が完了したらあんたらも載せてやる。」
「…かたじけない。射撃指示は地図上の座標で伝える!座標は…!」
『ペトラ』の乗組員たちが一斉に動き出す。
命令を伝達する者。
弾薬を運ぶ者。
砲の照準を合わせる者。
『ペトラ』各砲が一斉に雷鳴をあげ、数秒後帝国軍の近くで砲弾が着弾、起爆する。
それを観測していたミラクの兵は、射撃の修正を上官へ報告し、その上官が修正指示を電話線を通して『ペトラ』に伝える。『ペトラ』は、その修正指示に合わせて砲の照準を改め、再度砲撃する。
これの繰り返し。
とは言え、民間人の脱出までの時間稼ぎとしては十分効果があった。
出撃前、ヨセフが陸戦隊を連れて他の反帝国勢力との合流を図る、との案も出たが、サラはそれを拒否した。
「余計な犠牲を出したくない。」というのがサラの理由だった。
指揮下の将兵としてはありがたい理由だったが、やはりシャルルは少しばかり不満だった。
ようやく帝国軍が反乱分子の砲撃が海から来ているのに気づいたのか、『ペトラ』の周りに砲弾が着弾する。
ほとんどがあまり口径の大きくない野戦砲などによる砲撃だったが、中には攻城戦用に配置されていた重砲や榴弾砲も加わっていた。
対する『ペトラ』は、支援砲撃のため錨を下していたため、回避行動が取れない。
砲弾数発が『ペトラ』に直撃し、同時に陸との通信も途絶する。
被弾の衝撃で散った破片が司令塔内のみんなを襲う。
「…!」
痛みと同時にシャルルの左腕から血が流れ出してくる。
しかし、そんなシャルルにも他に優先していたものがあった。
慌ててサラの安否を確認するシャルルに対し、サラは衝撃で足場を失い倒れている以外は無事に見えた。
一瞬見えた表情以外は。
サラの視線は負傷したシャルルの腕に固定され、明らかに怯えている様子だった。しかも、視線はシャルルに向けられていたものの、視点は合っていない。
だが、それは一瞬だけ見せた表情で、サラは瞬時に元の表情にもどりポケットからハンカチを取り出しながらシャルルに近づいた。
「…大丈夫?」
「気にするな。死にはしない。」
そう言いながらシャルルはサラからハンカチを受け取り、絆創膏代わりに腕に巻き付けた。
「…そっちこそ大丈夫か?」
サラの表情が一瞬固くなる。
「大丈夫。ちょっとさっき肘を打ったがそれ以外は…」
「とぼけてんじゃねぇ。」
サラの軍服を掴み近くに引きずり込むシャルル。
「今回の作戦といい、街の籠城戦といい、最近のお前はなんかおかしい。選択が消極的すぎる。」
わざと他の水兵たちが聞こえないように小声で指摘するシャルル。
「前も言ったはず。戦略的にこれが一番最良だから…!」
シャルルに説明しているというより、自分に言い聞かせ、自分を説得させようとしているような言い方で答えるサラ。
だが、その発言をシャルルは遮った。
「気にしてんのはそこじゃねぇ。お前らしくないって言いたいんだよ、こっちは。いつもの積極性はどうした?常に先手先手を打って、シミュレーションで俺を散々苦しめていたお前はどこに行ったんだよ?」
「余計なお世話だ、人の気も知らないで!そもそも、こうなったのもシャルルが私に嫌な役目を押し付けるからだ!」
「なっ!?お前今更…!」
突然、司令塔内の電話が鳴った。
後十秒でも遅ければ、二人の間で喧嘩になっていただろう。
しかも兵士たちの前で。
一度深呼吸をすると、シャルルは電話の方へと向かった。
受話器に手を伸ばすと同時に、隣から微かな声が聞こえる。
「…ごめん。」
サラからの素の謝罪。
「気にするな。こっちこそ悪かった。とにかく、今は戦闘に集中してくれ。」
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1898年6月18日
『ペトラ』の露天艦橋からタイプライターの音が鳴り響く。
シャルルが先日取り寄せたタイプライターの上をサラの指が走る。
とは言え、片手のみで打っているため進捗はあまり早くなく、少しばかり手書きの方が楽なのではとまで思うサラだった。
(でも、慣れてない状態でも十分早いし、慣れればさらに早くなるから、別にいいか。)
報告書を打っていたその時、露天艦橋への階段を上る音が聞こえた。
「あ。」
振り向くとそこにはシャルルが立っていた。
(…気まずい。)
どうやら先方も同様に思っていたようで、シャルルも「やぁ…」とぎこちなく挨拶をすると、露天艦橋の奥へと進んだ。
シャルルがサラの机を通り過ぎると、ふとその視線がサラのティーポットに向けられた。
「…見慣れない茶だな。」
「飲んでみる?」
マグカップをシャルルに進めるサラ。
そのマグカップを躊躇なく手に取り一口飲んでみるシャルル。
「美味いな。何茶だ、これ?」
「そうだね、『そこらへんの雑草茶』とでも名付ようかな?」
もう一口飲もうとしたシャルルは思わずむせてしまった。
「配給リストにちゃんと紅茶入れたよな、俺。」
「今はそれよりも優先順位の高い品の輸入に専念しているらしい。仕方がない。」
一瞬、二人の間に沈黙が。
「…気になってるんだけどさ、」
沈黙を破ったのはシャルルだった。
「やっぱり、まだ引きずってるよな、あいつのこと。」
「…うん。」
素の返事。
「授業でたまに出たよね、『犠牲は少なければ少ないほど、成功した時の候が大きくなる』って。」
「ああ、覚えてる。」
「でも、授業やシミュレーションでは教えてくれないこともある。特に、扱っている軍艦には人間が乗っているってこととか。」
苦笑するサラ。
「頭ではわかってた。わかってたつもりのことだった。けど、やっぱり直接体験すると…ね。」
「…」
一瞬考え込むシャルルだったが、サラの悩みに助言をしようとした瞬間、サラにその発言を封じられた。
「悪い、シャルル。君が私を心配してくれてるのはわかる。でも、」
軽く溜息をするサラ。
「この件に関してはもう何も言わないでほしい。代わりに少し時間がほしい。時間があれば立ち直る。立ち直れるのはわかってる、大切な人を失うのは初めてじゃないから。」
シャルルは、明らかに何か反論したそうな表情だったが、結局はサラに折れた。
溜息をつくと共に、ポケットから煙草の箱とマッチを取り出すシャルル。
「シャルル、煙草吸ってたっけ?」
「最近吸い始めた。ストレス軽減の効果があるんだと。」
「…それ、嘘じゃないのかい?」
「さぁな。ただのプラシーボ効果かもしれねぇ。」
そう言いながらシャルルは口でくわえた煙草に火をつける。
すると、横からサラがその煙草を摘み取った。
「まあ、この際プラシーボ効果でもいいや。」
そう言いながらサラは煙草を口にし、一服しようとする。
案の定激しく咳き込むサラ。
「なにこれ…!まず…!」
苦笑するシャルルだったが、サラが奪った煙草を返してくれそうにないと悟ったのか、溜息をつきながら箱からもう一本煙草を取り出した。
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二十五枚の手紙
第四章
END
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次回:第五章「世界の戦争」
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