第三章

1898年6月7日

 夜、『ペトラ』の露天艦橋で一人ポツンと万年筆を走らせるサラ。

 少しは左利きに慣れてきたのか、字体が元通りに戻りかけていた。

「…あと一人分。」

 書き終えた手紙を手紙の山に加えると、サラは次の宛先を確認するために手元のリストを確認した。

 軽い溜息がサラの唇をすり抜ける。

「これで最後か。後回しにしなければよかった。」

 数日前の出来事を再度思い出しながら、サラは万年筆のキャップを外す。


「1898年6月7日

 フーリエ

 艦隊司令部


 奥さま、

 この手紙が届いた時には、もう既に政府からの通知をお読みになったことでしょう。

 お悔やみ申し上げます…」

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二十五枚の手紙

第三章「A Victorious Loss」

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1898年5月24日

21時30分

 ポート・ヴィルヘルムには、フーリエ同様海からの攻撃への対処方法として沿岸砲台が複数あった。

 一つは街の隣に築かれた急ごしらえの砲台。土と土嚢で作られたそれは、攻めてくる敵艦隊に対する足止めの役割が限界である。戦艦などが相手であれば、艦砲射撃で返り討ちにされてもおかしくない。

 もう一つは、中世時代の古い城を改造した砲台。街からは少し離れた場所にあるそれは、単体で当時の戦艦並みの火力を持っていた。これを無力化しない限り、街への直接攻撃は厳しいと思われた。逆に、敵の手に渡ることがあれば、急ごしらえの砲台や港に停泊している艦艇に対する脅威になりえることも事実である。

 しかし、当の城の守備隊は、危機感が欠けているせいか、大半が持ち場から離れていた。他の仲間が好き勝手やっている中律儀に持ち場についていた裏口の門番でさえ、勤務中に欠伸をするしまつ。

 そんな門番を、いきなり何者かが後ろから口を塞ぎ横腹に刃物を突き刺した。

 声も上げられずに力尽き倒れる門番、そしてその軍服で血まみれのナイフを拭くヨセフ・ナイトハルト・フォン・ゼークト大尉。

 ぞろぞろと茂みの中から革命軍の兵たちが現れる。

「今のところは順調ですね、隊長。」

「余計な事を言うな。」

 部下の発言を封じるヨセフ。

「…あと一時間か。よし。急ぐぞ。」

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「で、陸戦隊を使って城の砲台を占拠すると。」

「その通りです、ゼークト大尉。」

 前日、改めて作戦内容を確認するヨセフとサラ。

 目の前のテーブルにはポート・ヴィルヘルムとその周辺の地図。

「方法は任せますが、可及的速やかにやってください。予定では貴官の部隊の上陸から三時間後ぐらいに本隊が到着することになっています。それまでに。」

 一度軽く深呼吸をするヨセフ。

「で、万が一失敗したら、どうするんです?」

「私の首が物理的に飛ぶ。多分。」

 そんな発言にヨセフはキョトンとした表情を浮かべた。

「…それはそうでしょうな。しかし失敗した場合の対処もお考えなのでは?」

「そんなものは無いさ。地上の作戦は恐らく失敗するだろうし、そうなったらポート・ヴィルヘルムを確保しても害にしかならない。だが逆に、」

 サラが視線を地図からヨセフへと向ける。

「こちらの作戦の成功には自信がある。貴官は優秀だ。便りにしてる。」

「…一応私は帝国貴族の出身です。裏切る可能性もありますが?」

「その点は個人的には論外だ。私は貴官を全面的に信用しているつもりだしね。」

 近くに置いてあったティーカップを手に取り、紅茶を一口飲むサラ。

「貴官のお爺さん同様。」

 軽くため息をつくヨセフ。

「なるほど。そこまでお信じになってくれるのでしたら、こちらも期待に応えなければなりませんな。」

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 城の至る所から銃声と足音が鳴り響く。

 目の前のドアを蹴り倒したヨセフは、部下と共に部屋へ流れ込んだ。

 ヨセフはコートの内側から折り畳み式連発散弾銃ブルジェス・フォールディング・ショットガンを素早く取り出した。

 12ゲージの散弾が部屋の床と壁を跳弾しながら敵の警備兵たちを襲う。

 カットラスを持った敵の兵士がヨセフを襲うが、その攻撃を素早くかわす。

 兵士の股間に一発蹴りを入れたヨセフは、次の瞬間ショットガンの後床を兵士の顎に思いっきり叩きつけた。

 ボキッと何かが折れる音がする。

 兵士が床に倒れる間、別の敵兵が拳銃をヨセフに向ける。

 が、ヨセフの部下の一人が敵兵の頭を散弾で吹き飛ばした。

 それを見て恐怖したのか、残った敵の兵士たちが一斉に武器を捨て両手を上げる。

 軽くため息をつくヨセフ。

「とりあえずここの15cm砲は確保したか。シュナイダー!フセイン!捕虜たちを縛り上げろ!本命の21㎝榴弾砲はどうした!まだ奪取できないのか!?」

 突然、城の別の区画から機関銃の音が鳴り響く。

「…遅いわけだ。あと十分前後しかないのに。ジェマル!ザンデルズ!三人ぐらい連れてついてこい、あの機関銃を黙らせる!」

 そう言うと、ヨセフはショットガンの弾倉に弾を込めながら部屋を出て行った。________________________________________

 本来なら緊張感が高まっているはず『ペトラ』の乗員たちだが、この時状況に似合わない陽気さに身を包んでいた。

 普段は通信室に籠るのが仕事だったミアもその例外ではなかった。この時彼女は、少し夜風に当たるため甲板に出ていたのである。

 無意識に視線が星空に向く。

「いつもの夢かい?」

 いきなり声をかけられたミアは驚いた表情で振り向いた。

「あ、姐さん。」

 声をかけたサラが微笑を浮かべながらコーラのガラス瓶を渡した。その渡された瓶をミア珍しそうに見つめた。

「そういえば、飲むのは初めてだったね。」

「はい。地元では、こういう異国の飲み物は滅多に手に入りませんから。」

 瓶を開け中のコーラを一口飲むミア。

「…美味しいです。」

「そいつはよかった。」

 サラはあらかじめ開けておいたコーラの瓶から一口飲むと、視線がミアの持っていたノートに向けられた。

「それは?」

「あ、海鳥の設計をして見たんです。計算が合っていれば二人ぐらい乗せて空を飛べます。最も、一番の問題はエンジンですが。」

 えへへ、と苦笑するミア。

「…見てみますか?」

 ぜひ見てみた、と言いたげそうな表情を浮かべながらも、サラは自分の注意をその時サラを呼びに来たユステンセン准尉に向けた。

「司令。間もなく作戦海域に入ります。艦橋へお戻りください。」

 普段よりも深い溜息をつくサラ。

「やれやれ。相変わらず仕事からは逃げられないらしい。ゼークト大尉がうまくやっていることを祈るとするか。」

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「あれか!」

 ヨセフは、味方の行動を阻む機関銃陣地を発見すると、連れて来た部下に合図をし、それに乗じて部下が機関銃陣地めがけて火炎瓶を投げた。

 炎が城壁を照らし、敵の兵士たちが悲鳴を上げながら焼き焦がされる。

 ヨセフの放つ散弾が他の敵を蜂の巣にする。

「よし、これで少しは楽に…」

 そんな時、大きな爆発音が鳴り響いた。

「上手くいくと思いきやすぐこれだ。なにがあった!?」

 炭まみれの部下がせきをしながらヨセフのもとへ駆け寄る。

「敵が、榴弾砲の奪取を阻止するため、砲を爆破させようとしました!」

「させようとした?」

「はい。途中で近くの弾薬が誘爆したため、さっきの汚い花火が…。あ、味方はとりあえず全員軽傷ですみました。」

 報告を聞き一安心の溜息をつくヨセフのもとに、もう一人部下が駆け寄ってきた。

「大尉、通信室の占拠に成功しました。通信機材はすべて無事ですが、外の敵に回線を切られたようです。まあ、復旧自体は簡単な作業なので、作戦の支障にはならないと思いますが。」

「了解した。信号弾の用意を。色は白だ。」________________________________________

「信号弾確認!白です!」

『ペトラ』の露天艦橋から状況を眺めるサラたち。

「「大幅成功」か。やっぱりね。これより我が艦隊は、敵沿岸砲台を叩く!」

『ペトラ』をはじめに『ナスル』と『アスカロン』が突入する。当然、それを阻止しようと急ごしらえの沿岸砲台が砲撃を開始する。

「おい、なんか砲の数報告よりも多くないか?」

「ええ、要塞砲や榴弾砲の他に野戦砲が混じっていますね。」

『ペトラ』たちの砲が大声で鳴り響く中、サラは考え込んでいた。

(…おかしい。妙にうまく行き過ぎているような。)

 艦隊からの砲弾が砲台に直撃し、破片と人が宙を舞う。

(まるで役者が全て揃っていない状態で劇を演じているような感覚だ。何が足りないんだ?)

「…あ。」


「おい、サラ?」

 サラの目の前で手を振るシャルル。

「沿岸砲台はとりあえず中立化したから、上陸を開始しょうと思うんだが…。」

「ああ、頼む。ちゃんとこちらからの砲撃支援は絶やさないように。」

「了解。」

 その指示を伝達すると、シャルルは改めて注意をサラに向けた。

「…大丈夫か?」

 二人だけが聞こえるように小声で問うシャルル。

「うん。多分大丈夫。」

 大丈夫じゃないだろ、と言いたそうな表情を浮かべるシャルルだが、あえてそれ以上の追求をしなかった。

 そのシャルルが別の方向へ振り向くと同時に、サラは軽く溜息をついた。

(まさか敵の戦艦がいないとは。さて、どうしたものか。)

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「先ほど上陸部隊がポート・ヴィルヘルムの各要所の占拠に成功したとの報告が入りました。司令官殿の懸念通り、理由は不明ですが駐留艦隊は外出中のようです。一応まだ敵との散発的な戦闘は続いていますが、港周辺は完全に確保したと見て間違いないでしょう。沿岸砲台に使われていた牽引砲を含め、武器、弾薬、その他物資も大量に鹵獲しました。しかし…。」

 報告の途中で戸惑うヨセフにサラは自分の視線を向ける。

「大量…?」

「司令官殿もそこにお気づきですか。正直、鹵獲した物資の量が怪しいほど多いんですよ。しかも、弾薬に当たっては駐屯部隊の使ってるやつとは別物ときた。」

「別物だぁ?どういうことだ?」

 頭を掻きながら問うシャルル。

 そんな時、ヨセフの部下が一人『ペトラ』の露天艦橋へとたどり着いた。

「大尉、捕虜たちの尋問の件なのですが、」

「なんだ、手こずってるのか?」

「と言うより、そもそも言葉が通じないのです。」

(ん?)

「はぁ?ロッツァ語もドライズラント語標準語も通じないのか?」

「現地語も何個か試したのですが、どれも通じません。」

「困りましたなぁ、司令官殿。」

 いきなり話題を振られたサラだったが、当人はただ溜息をつくだけだった。

「大尉、その言葉の通じない捕虜に会いたいのだが、できそうかな?」

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 この時ミアは、要塞の通信室にいた。

『ペトラ』の通信士の一人として機材の復旧に手を貸していたのである。

 とは言え、訓練の途中で前線に駆り出されたせいで電子機器に対する知識が少ないため、気づけば一人だけ暇を持て余していた。

 軽く溜息をつきながら、ミアはポケットから日記帳を取り出した。

「…今日まだ何も書いてないな。」

 そう呟きながら今まで埋めたページを見返すミア。

「あ。」

 一つのページに描かれた子供の落書きのようなものが目立つ。

 ミアは苦笑しながら落書きを書いたと思われる少年を思い出す。

「お姉ちゃん、か。」


「曹長、今通信回線を繫ぎ直した。通信機の電源を入れてくれ、そろそろ試しの電文が届くはずだ。」

「あ、はい!」

 少し驚いたミアは、言われた通りに要塞の通信機の電源を入れた。

 予想通り電文が届くと、ミアを含めた室内の全員がほっとした。

「よし、これで俺の仕事は終わりだな。後はよろしく、通信使諸君。」

「はい、ありがとうございます。」

 漫勉の笑みで敬礼するミア。

 そんな時、通信室の受信機が突然動き出した。

「あれ、おかしいな。当分報告とかは来ないはずなんだが…」

 反射的に届いた電文を書き出し解読するミア。

「…あ。これ、敵からです。」

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「連中は『マリアグリ王国』出身だ。言葉が通じないわけだ。」

「帝国本土最大の属国のあのマリアグリか?ってことは、地上部隊が相手にする連中は、」

「恐らく『オンベド』の部隊だろう。やれやれ、これで地上部隊の敗北は恐らく確定かな。」

「しかし驚きましたなぁ、司令官殿がマリアグ語を喋れるとは。」

「まあ、色々あってね。」

 サラ、シャルル、ヨセフが捕虜の尋問を終えた中、ユステンセン一人はポカーンとした表情を浮かべていた。

「あの、敵がオンベドだからといって、地上部隊の勝敗が決まるとは思えません。オンベドって結局は民兵部隊ですし。」

 疑問を述べるユステンセン。

「まあ、法律上はそうなのだが、その実はマリアグリの正規軍だ。帝国に飲み込まれる妥協として、マリアグリは帝国内での自治権を求めた。その妥協の一部が固有の武力、つまり正規軍、の保有。それを合法にするため法律上は民兵扱いとなった。」

 軽く溜息をつくサラ。

「要するに、我が方の武装市民が帝国の正規兵と正面衝突するわけだ。負けは決まったも同然さ。」

 ユステンセンが「なるほど」というような表情を浮かべながら、シャルルがサラの隣へと近寄る。

「お前、そんなに歴史に詳しかったっけ?」

 ひそひそと問うシャルル。

「誰かさんのせい。」

 同様にひそひそと答えるサラ。

 そんな中、その誰かさんが少し困った顔で駆け寄って来た。

「姐さん!敵の通信を傍受していたのですが、」

 そう言いながら、ミアは通信文を書き写した紙をサラに渡す。

「…なるほど。駐留艦隊が居ないわけだ。別の地方反乱の鎮圧中だったらしい。」

「あ、それと…」

 サラがいずれ戻ってくる敵艦隊にどう備えるか考えていた途中、ミアがもう一つ通信文をサラに渡した。

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「敗走だと!?!?」

 フーリエの街、救済同盟の首脳部にいち早く悲報が伝わった。

「はっ!ポート・ヴィルヘルム攻略軍は、およそ二十万の帝国軍による奇襲に会い、完膚なきまで撃ち減らされたとのこと!敵は騎兵、野戦砲、榴弾砲、連発銃の数が多く、将兵の大半は精鋭ばかり!寄せ集めの我が方はなすすべもなく敗退しました!」

 この報告は帝国軍の戦力をいささか過剰に評価していた。

 実際の戦力は四万前後。大半はオンベドの正規兵ではあったものの、約三分の一は植民地警備隊や信帝国派の民兵で構成されていた。救済同盟に敵が二倍の数に見えたのは、帝国軍が高速で移動し、三方向から進軍していたポート・ヴィルヘルム攻略軍を各個撃破したからである。この素早い進軍ゆえ、救済同盟側は帝国軍が広大な防衛線を張り、それに見合うだけの戦力を有していたと勘違いしたのである。

 将兵の品質に加え、武装にも大きな差があった。

 帝国軍の大半が最新式、あるいはそれに匹敵する武装を装備している一方、ポート・ヴィルヘルム攻略軍の装備は旧式の銃砲がほとんど。中には三四十年前の前装式ライフルや滑降砲なども。

 勝敗は戦う前から既に決していたと言えよう。

「バカな!出陣してから二日も経っていないではないか!?」

「いや、遠征軍の指揮官たちが裏切ったに違いない!そうでもなければ説明がつかん!」

「そう言う貴様こそ、敵に情報を売っていたのではないのか!?」

「なにぃ!?もう一度言ってみろ!」

 救済同盟の首脳が責任転換と言い訳を言い争う。

 そんな中、シューマン博士だけが無言で座っていた。

 自分が必死に笑いをこらえていたことは、当人以外だれも知らなかった。________________________________________

「ゼークト大尉、間に合いそうですか?」

 兵士たちが鹵獲した物資をあたふたしながら輸送船に積み込む。

 この作業の監督を不幸にも引き受けたヨセフが、その意識を一瞬サラに向ける。

「ああ、もう少しかかりそうですよ。戦利品に比べて人手が足りないもんで。帝国軍がレーダから戻って来る前には確実に間に合うと思いますが。」

 サラが頷く後、誰かが服の袖を引く感覚がした。

「姐さん、例の敵戦艦ですが、」

 そう言いながら、ミアがサラに通信文を渡した。

 それは、帝国軍の戦艦からポート・ヴィルヘルムの駐屯部隊に宛てた物で、状況報告を求めていた。

「もう無線が繋がる距離まで近づいているのか?」

「いいえ、中継地点を何個か経由しての通信のようですので、ここに着くまでまだ時間はあります。」

 中継地点の位置や通信にかかった時間を考慮して帝国軍の戦艦の到着予想推定時刻を割り出したミア。その情報をドヤ顔でサラに報告しようとするが、当のサラは何やら考え事に没頭中だった。

(この状況、利用できないものだろうか?)

「…シャルル、日の出まではあと何時間だい?」

「あと五時間ちょいだ。」

 シャルルの視線が一瞬サラの少しばかりキラキラする目を向く。表面は落ち着いた表情だったサラだが、恐らく内心駄菓子屋を目の前にした子供のような心境だろう。

「…おい、まさか、」

 頷くサラを見てシャルルは呆れたような溜息をついた。

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 ロッツァ帝国海軍の前弩級戦艦『フロシュヴァイラー』。

 常備排水量10,013トン。速力16.5ノット。主砲28cm二連装砲三門。魚雷発射管六門。その他副砲多数。単艦でもサラたちにとっては驚異だった。

 そんな印象とは裏腹に、当艦の艦橋は不穏な空気が漂っていた。

「ポート・ヴィルヘルムで反乱だと!?」

「はい。一部兵士の反乱が勃発し、来援が必要だと。」

『フロシュヴァイラー』の艦長は、その報告を聞くなり舌打ちをした。

植民地守備軍シュッツトルッペの無能どもが。己の兵士たちの面倒すらできないとは。通信は暗号電文か?」

「それが、平文でして、」

「は?」


「なるほど。そういうことか。」

時を同じくして、『フロシュヴァイラー』に随伴していた通報艦アヴィーソ『ヤークト』も同様の通信文を入手していた。

 しかし、『ヤークト』を預かっていた艦長のルーカス・ファルケ少佐は困惑するどころか納得したような表情を浮かべていた。

 溜息と共に、自分の東洋人のような黒髪をいじるルーカス。

「この通信文は、恐らく罠に見せかけた時間稼ぎだ。」

「と言いますと?」

 ルーカスの後ろから『ヤークト』の保安主任ヴィスラーヴァ・フォン・ハーゼ少尉がひょこっと顔を出す。

 珍しい赤髪碧眼が目立つ。

「通信文を読んだ我々はどう対処するか決めなくてはいけない。この通信文を真に受けて母港に急いで戻るか。罠だと捉えて撤退するか。無視して当初の任務に戻るか。どの選択肢を取るか考えるだけでも十分な時間稼ぎになる。」

 軽くため息をついてから視線を隣の戦艦に向けるルーカス。

「で、罠だと気付かせるためにあえて平文で通信を送った、ということですね?」

 通信文の書いた紙をルーカスの手から摘み取りながら、ヴィスラーヴァは言う。

「その通りだ、ヴィーシャ。本当に駐留部隊が送った文なら暗号化するだろうし、平文で送るほど焦っているならわざわざ我々だけに宛てるとも思えないからね。」

 ヴィーシャの問に答えながら彼女の手から通信文を摘み取り返すルーカス。

「どうします?『フロシュヴァイラー』にこのこと警告しますか?」

「そうだね。伝えておいて損はないだろう。あの艦長のことだから、無視されるだろうけど。」

 軽く溜息をつくルーカス。

「さてさて、どうなることやら。」

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「哨戒行動中の水雷砲艦『イルディリム』より無線通信!接近する艦影を捕捉、戦艦『フロシュヴァイラー』と思われます!」

 報告を聞いて頷くサラに対し、シャルルが軽くため息をつく。

「本当にやるのか…。」

 サラは、一瞬だけ申し訳なさそうな表現をシャルルに向けると、視線を水平線の方へ戻した。

「よし。全艦、作戦を開始する。」


「艦長、守備軍からまた入電しました。」

『フロシュヴァイラー』の艦長が報告した副長に視線を向ける。

「読め。」

「はっ。『我、ポート・ヴィルヘルムを攻撃する反徒どもの軍艦を撃退するも、依然危機的状況下にあり。至急来援を乞う』と。」

 嘲笑う艦長。

「よほど己の部下を怒らせたと見えるな。先を急ぐぞ。守備軍の連中に恩を売るいい機会だ。」

 そんな時、見知らぬ艦影が現れた。甲板からは煙が上がり、まるで己を引きずるように進んでいた。

「守備軍が撃退した例の軍艦でしょうか?炎上しているようですし速力も遅めです。だいぶコテンパンにやられたようですね。」

 副長がそう言った瞬間、所属不明の艦影から砲煙が上がり、砲弾が『フロシュヴァイラー』の近くに着弾した。

 舌打ちをする艦長。

「中途半端な仕事をしやがって。これより我が艦は、あの死にぞこないを楽にさせてやる。『ヤークト』には先回りしてポート・ヴィルヘルムの偵察に行かせろ。」


「あの馬鹿。明らかな罠だろうに。」

『フロシュヴァイラー』からの命令を受けたルーカスは呆れたようにそう口にした。

「どうします?一応我々はアルブレヒト大公の特命で動いているのですから、あの馬鹿の命令を聞く必要はありませんが。」

「それは違うな、ヴィーシャ。ここで勝手な行動を取ればただでさえ危うい大公の政治的地盤がさらに不安定になる。逆にここであの『フロシュヴァイラー』の艦長が失態を起こしてくれれば、皇帝陛下も少しは大公の言うことに耳を傾けるだろう。」

 軽く溜息をつくルーカス。

「では、一応再度罠の可能性を警告しておきます。また無視されると思いますけど。」

 宣言した通りヴィーシャが警告をすると、早めに返事が返ってきた。

「…で?」

「『調子に乗るな!』だそうです。」


「艦長!敵艦が加速をはじめました!」

「何!?馬鹿な!」

 焦りながら双眼鏡を手にする『フロシュヴァイラー』の艦長。

「見た限り、機関部に直撃を受けていたはずだ!それほ実用的な加速ができるはずがない!」

 そう口にしながらも、艦長は自分の考えに対する疑いを否定すべく双眼鏡を覗いた。

「なッ!あれは!?」

 艦長が目にしたのは驚くべき光景だった。

 反乱軍の軍艦の甲板上には、無数の箱が置いてあり、そこから真っ黒な煙が上がっていた。さらに軍艦が加速すると同時に水兵たちが甲板からその箱を蹴り落とす。

「謀られた!奴は無傷だ!撃て!早く撃つんだ!」

「敵艦発砲!」

「艦長!早く司令塔へ!」

 そんな時、『フロシュヴァイラー』の前半分がいきなり煙に覆われたのである。

 

「うまく釣れましたな、司令官殿。」

 ヨセフのコメントに対して鼻で笑うサラ。

「さっきはぐれた通報艦アヴィーソは?」

「港の方に向かった。」

 シャルルの報告にサラが頷く。

「よし。そっちは『アスカロン』に任せて、我々は敵の戦艦を奪取するぞ。」

 命令を受けたミアはニコニコしながら敬礼し電信室へと向かう。

 またとない好機に目をキラキラさせるサラに対し、シャルルは軽くため息をついた。

「戦列艦の時代じゃあるまし…。備砲斉射用意!弾種:キャニスターカルテーシュ!」

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「前方、及び左舷甲板炎上中!!」

 激しい咳をしながら報告する帝国軍水兵。

「早く消せ!この煙では何も見えん!」

 煙幕が展開する前にぎりぎり司令塔に逃げ込んだ艦長は、ほぼ無関心に命令する。

 無理もない。

 艦の司令塔にこもっていた艦長は、正に灯台下暗しといった状況である。

 遠くの敵艦隊は見えても、己の船の甲板上に転がる焼死体は見えない。

 本来は空中で炸裂し煙幕を展開する煙幕弾だが、信管の誤作動のため海面や敵艦への着弾と同時に起爆した。

 海面に着弾したものは早めに鎮火したものの、『フロシュヴァイラー』に直撃した煙幕弾は着弾と同時に大量の白リンを吹き飛ばした。その白リンが甲板や壁、人間などに付着し発火、更には消火作業に駆け付けた水兵たちにも付着、発火し、結果『フロシュヴァイラー』は人員面で致命的と言ってもいいほどの被害を被ってしまった。

 そしてそれは『フロシュヴァイラー』の艦長には見えていない。

「『ヤークト』を呼び戻せ!敵艦を背後から挟撃させるんだ!」

「だめです!火災が通信室にも広がり、電信機が使えません!」

「だったら発光信号やら旗信号やらで連絡をとれ!」

「この火災でですか!?」

 艦長は、「上官の命令に背くか」など「平民は口答えするな」などと反論したかっただろうが、状況がその隙すら与えなかった。

「艦長!敵艦が!」


 海面を蔽う煙幕を『ペトラ』が全速力で突っ切るのと同時に、左舷前方の88mm砲が雷鳴を上げる。砲身からは砲弾では無く石や釘、鉄の破片などが『フロシュヴァイラー』の甲板から帝国軍水兵たちを薙ぎ払う。

 この時代の戦艦は、1860年代などの経験が設計に生かされている。当時は砲弾で鋼鉄艦などの装甲は貫通出来ず、ラムアタックなどが唯一有効な攻撃手段だった。それ以来、大半の戦闘艦には衝角が艦首に組み込まれている。

『ペトラ』も例外ではない。

「総員、衝撃に備えよ!」

 巨大な衝撃と共に、『ペトラ』の衝角が『フロシュヴァイラー』の船体に大きな傷を抉り出す。

「大尉、頼みます!」

 サラの声に反応してショットガンを取り出すヨセフ。

「よし!野郎ども、ひと暴れしに行くぞ!」

 合図と共にヨセフの陸戦隊が『フロシュヴァイラー』に飛び移る。その間『ペトラ』では数名の水兵がライフルや拳銃で攻撃し、無論『フロシュヴァイラー』の水兵も応戦していた。

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「『イルディリム』被弾!戦線を離脱します!」

 鳴り響く砲声の中、防御巡洋艦『アスカロン』の艦橋にいたイブラヒムは軽く舌打ちをした。

通報艦アヴィーソ一隻にこれほど手間取るなんて…。距離をとれ!このままじゃ魚雷の射程内に入ってしまう!」

 その間、『アスカロン』の砲撃で周辺の海面が水柱だらけになっていた通報艦(アヴィーソ)『ヤークト』の艦橋で、ルーカスは同じように軽く舌打ちをした。

「こいつら、ゼークト提督の艦隊を破った連中か!ここまでやれるわけだ、まったく港に近づけん!」

 明らかに状況を楽しんでいるかのような表情を浮かべている彼だった。

「敵水雷砲艦、撤退して行きます!こちらの魚雷が一本当たったようです!」

 同じく明るい表情で報告するヴィーシャ。

「『フロシュヴァイラー』は!?」

「それが、先ほどから連絡が取れません!」

「発光信号すらないのか?」

「はい。煙幕のようなものが展開されているようで、状況が全くわかりません。

「煙幕?」

 双眼鏡を『フロシュヴァイラー』と『ペトラ』に向けるルーカス。

「…まずいな。」

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『フロシュヴァイラー』からの銃弾や破片が『ペトラ』の露天艦橋を襲う。

 それに答えるように露天艦橋に設置された機関銃ポテトディガーが鉛の雨を降らせる。

 ここまでは状況が思い通りに展開し、少しばかり満足そうなサラ。

 とはいえ、そんなサラも露天艦橋に設けられた土嚢の後ろに隠れずにはいられなかった。

「おーい!少しはドンパチに参加してくれないかな!?」

 隣で拳銃に弾を込めるシャルル。

「あのなぁ、右利きの私が銃を撃ったとして、当たると思うか?」

 本来なら右腕が通っているはずの右袖をブンブン振るサラ。

「…前言撤回。そのまま隠れてろ。」

 激しい銃撃の中、一人の水兵が駆け寄る。

「姐さん!敵の通報艦アヴィーソがこちらに向かっています!」

 身を低くしながら、ミアはサラに一通の電文を渡す。

「それと、フーリエの司令部からの帰還命令です!」

 もう一通、こんどは少し血が付着した電文。

 それに気付いたのか、ミアは軽く苦笑した。

「えへへ、少しかすったみたいです…」

「いや、かすり傷低度ではないでしょうが!」

 近くで弾丸が跳弾する。

「とりあえず、水雷砲艦を二隻回してもらうよう連絡!その後医療室に顔を出すように!いいね!?」

「はい!」

 駆け足で露天艦橋から飛び出すミア。

 しかし、まさにその時、『フロシュヴァイラー』の中央砲塔が動き始めた。

 サラが気付いた時には既に遅かった。

 11インチ二連装砲から砲煙が上がり爆音が鳴り響く。

 ゼロ距離からの直撃が『ペトラ』の上部建造を一部吹き飛ばす。

 それに乗じてか、『ペトラ』の9.4インチ副砲が『フロシュヴァイラー』の中央砲塔を返り討ちにする。

 時を同じくして、『フロシュヴァイラー』のメインマストに白旗が上がる。

 シャルル達が何か叫んでいるようだが、サラには聞こえない。

 周囲の音は何も聞こえない。

 周囲の出来事は何も見えない。

 瓦礫の下からはみ出る見覚えのある手を除いては。

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1898年6月7日

『ペトラ』の露天艦橋から万年筆が紙にこすれる音が聞こえる。

 日は既に落ち、月明かりを頼りに手紙をひと段落書き終えるサラ。

「紅茶、持って来たぞ。」

 階段のほうからシャルルが告げる。

「ん。そこ置いといて。」

 万年筆で使っていた机の一部を叩くサラ。

 シャルルの視線が自然と机の上の手紙に止まる。

「…変わりに書こうか?」

「いい。自分でやる。」

(自分でやらないと…)

 サラの暗い表情を見ながらシャルルは溜息をついた。

「無理するなよ。」

「心配ありがとう。」

 シャルルが紅茶を置いて立ち去ると、サラは改めて万年筆のキャップを外した。


「…どのような言葉をもってしても奥さまのお悲しみを癒すことは不可能でしょうし、当人の戦死に責任がある自分が奥さまを癒そうとするのは間違っているかもしれません。

 ミアは自分の友人でした。その友人がこの馬鹿げた戦争から解放されたことが奥さまと自分にとって唯一の慰めでしょう。

 願わくは神があなたの悲しみを和らげ、幸せな思い出だけをあなたに残すことを。


 心より敬意をこめて


 フーリエ民主政府軍 艦隊司令官

 サラ・エッセル少尉」

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二十五枚の手紙

第三章

END

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次回:第四章「新たなる旅立ち」

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