第二章

1898年5月18日

 書類の山を万年筆で突っつきながら、サラは軽くため息をついた。

「また徹夜しちゃった。」

 机の上には書きかけの手紙、周辺地域と海域の地図、昨日の新聞。

(少し片付けた方がいいかも…)

「いや、それより、」

 自分の狭い部屋をサラが見渡す。

「せっかくの寝床が書類に埋もれちゃった。」

 また軽くため息をつく。

「『艦隊司令』の仕事なんてそもそもやりたくないんだけどな。シャルルも余計な事をしてくれた。」

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二十五枚の手紙

第二章「紅茶と友と」

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 1898年5月15日

(暇だ~)

 流石にそんなことを考えている場合ではないにしても、サラはそう思っていた。

 コの字に並べられた机の真ん中に立つサラ。

 目の前には「救済同盟」上層部の面々。大学教授や学生合わせて十人ぐらい。

 戦争のノウハウを知らずに革命戦争を起こした理想主義者たちの集団。

 ペンが紙にこすれる音や電話の鳴る音が室内に響く。

 サラの目が一瞬壁に貼ってある地図を見る。

(…無能というわけではなさそうだ。)

 地図にはフーリエ街の内陸部が描かれており、至る所に駒らしき記号が書かれていた。

(街への補給路を確保する形で部隊が配置されてる。「腹が減っては戦ができぬ」ということは心得ているようだ。)

「さて、サラ・エッセル少尉、」

 名前を呼ばれたサラは、訓練の影響か、姿勢を正しつつ視線を正面の男性に向ける。

 三十路前後のその男は、シャルルの報告書を机の上に置くと眼鏡越しにサラを見た。

「イルファン少尉の報告書によれば、11インチ砲の使用を許可したのは貴官とのことだが、事実かね?」

「…はい。事実です、ドクトル。」

 一瞬異様なまでの静けさが部屋を包み、至る所から鋭い視線がサラを貫く。

 部屋に入ってから時々感じていた視線だったが、一斉に睨まれるのはさすがに辛い、なにせ今度は視線の中に殺意が混じっていた。

 それに対してサラはその場で突っ立っていることしかできなかった。

 まるで向けられる視線に固定されているかのように。

 いくら士官学校の卒業生と雖も、本物の殺意を直接向けられるのは、サラにとって今回が初めてである。

 とはいえ、そのような状況でも己の動揺をギリギリ真顔で隠せたのは、士官学校での訓練の結果と言えただろう。

「救済同盟」の盟主ムラド・シューマン博士は軽く溜息をついた。

「少尉、別に緊張する必要はない。あの状況下ではやむを得ない決断だったと我々も理解している。しているのだが、」

 シューマン博士の視線が報告書に戻る。

「11インチ砲の弾が不足しているのは事実だ。そしてこれが命令違反であることも。」

「存じています。」

「本来なら、ケッセルリンク大尉に責任を問うべきなのだが、当人がすでに死んでいてはな。そういえば、」

 ふと、わざとらしく何かを思い出したかのような仕草をするシューマン博士。

「そういえば、貴官も我が軍の粛清リストに名を連ねていたねー。イルファン少尉に外すよう頼まれていたが。」

 つばを飲み込むサラ。

 手持ちのパイプから一服するシューマン博士。

「弾薬不足の件、どうすればいいかね?」

 シューマン博士の視線がサラに突き刺さる。

「…足りない物は敵から奪取するのはどうでしょう?戦争なんですし。」

 一瞬部屋が黙り込む。

(あれ?しくじったかな?)

 鼓動が早まり冷や汗をかきはじめるサラ。

 模範解答を提示しても正解が取れたか自信のない子供の心境。

 ところが、シューマン博士は怒ることはなかった。

 むしろ妙案を聞いたような表情をしていた。

「…少尉、1730にまた戻って来てくれ。詳しい話はその時にしよう。解散。」

 そう言い残すと、博士は他の幹部を集め地図のある壁へ向かった。

 キョトンとした顔をしたサラを残して。

(…へ?)

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1898年5月16日。

「司令、今日の新聞見ましたか?」

 ユステンセン准尉の言葉にサラは視線を手元の書類から目の前の面々に向けた。

 先日サラがシャルルに頼んだ人選の結果選ばれた人達。

「どうしたんです?」

 発言したのは、帝国軍から鹵獲した防御巡洋艦『アスカロン』を任され、数日前の戦闘の際に『シェヒール要塞』から雷撃を行ったイブラヒム・ヴォス准尉だった。当人はまだ十七歳だが、救済同盟上層部が推選してきた人員の中で唯一実戦経験があるため採用された。当人の明るい性格が他者に好まれているのも事実である。

 サラは、ユステンセンから渡された新聞紙に軽く目を通すと、軽くため息をつきながら新聞紙をイブラヒムに手渡した。

 それは、フーリエに近い村で反乱分子による民間人の大量虐殺が行われたことを告げる記事だった。

 その新聞紙をイブラヒムの隣の士官がチラッと見る。

「これは…とんでもないことをやってくれましたね。どうします、先輩?方針を変えますか?」

 発言の後に軽く溜息をつく女性士官はリリアーナ・ヴェルナー准尉。サラの士官学校時代の後輩で、成績はさておき才能はサラが認めるほどである。

 ちなみにイブラヒムと同じの十七歳である。

「恐らくその必要はないだろう、リリー。革命政府の面々は虐殺に関わった連中とは距離を取りたいらしい。」

 そう答えたサラの視線が別の人物に向けられる。

「…不満そうな顔ですね、大尉。」

 サラの発言に対し軽くため息をついたのは、先日の戦闘で『シェヒール要塞』への強襲を指揮したヨセフ・ナイトハルト・フォン・ゼークト大尉だった。

「顔に出てましたか、?」

「ああ。」

 鼻で笑うヨセフ。

「これは失礼。しかし、現在我々が置かれている状況を不満に思っているのは自分だけではないでしょう。」

「それもそうだ。」

 軽くあたりを見まわすサラ。

(一人いない…)

 そんな時、司令室のドアが開いた。

「遅れて申し訳ない。ちょっとした急用で、」

 司令室に入って来たジークフリート・ヴェルナー准尉が早速言い訳をしようとした。二十五歳のくせに准尉にとどまった理由は、彼の実力の有無ではなく極めて政治的なものだ。

「兄ちゃん、また遅刻。」

 多少呆れたため息をつくリリー。

「いやだからごめんって。」

「ジークさん、」

 兄妹の会話に切り込むサラ。

「せめて軍服についたキスマークを落としてから来てください。」

「え!?」

 慌てて自分の軍服を調べるジークに対し、サラはため息をついた。

 ちなみに、キスマークは存在しない。

「やっぱり遊郭に行ってたんですか。まったく、自重してくださいね。」

「…悪い。ってか、人が悪いな、サラちゃん、そういう探り方をするのは。」

「情報戦が得意分野のくせに引っかかるジークさんが悪いです。」

 再度ため息をつくサラ。

(とにかく、これで全員か。)


「諸君らも知っているとおり、先日ミストレーラが帝国軍の手に落ちた。それ故、この街は帝国軍とその他敵対組織に半包囲されている。陸からの補給路は全て断たれ、海路での補給に頼らなければいけない状態だ。しかし、幸いなことに、街に対する敵の包囲網はまだ完成していない。

 そこで革命政府はこの機に大規模な反抗作戦に出ることを決定した。これをもって敵の包囲網を崩し、補給を回復させる。」

 少しストレッチをするサラ。

「…というのが政府の方針なのだが、我々駐留艦隊にも一仕事して欲しいとのことだ。陸と海からの挟み撃ちがしたいらしい。」

 呆れたかのように鼻で笑うヨセフ。

「で、その進軍目標は?」

「最終的にはポート・ヴィルヘルムだってさ。」

 紅茶を飲みながらそれを聞いたジークは思わずむせてしまった。

「冗談でしょう?街の防衛はともかく、攻勢に出るには数も質も足りなさすぎる。そもそも徒歩で350キロ進軍しようとしているのがおかしい。」

「レーダ経由での進軍だから理論上鉄道で高速移動できると考えてるらしい。それでも、100キロ近くは徒歩で進む必要があるが。」

 会話に切り込むシャルル。

「こちら側の戦力はどのくらいですか?現状では二万強と聞いていますが。」

 紅茶を一口飲みながら問うイブラヒム。

「総勢七万で挑みたいと。ほとんどが徴兵されたばかりで訓練も終わっていない新兵だ。」

「そもそもなんで今攻勢に出なければいけないのですか、先輩?レーダとポート・ヴィルヘルムを確保できたところで、孤立していることは変わりませんし、結局補給は海路に頼らなければいけません。それに、領土が広がれば防衛戦力の集中ができなくなります。」

 疑問を投げかけるリリー。

「戦略よりも政治的な目的の方が強いのだろう。」

 呆れた溜息をつくサラ。

「とにかく、頼まれた以上仕事をしないわけにはいかない状況だ。ジークさんとリリーは街の防衛のために残ってもらう。ヴォス准尉は巡洋艦隊の指揮を、ゼークト大尉には陸戦隊の指揮を任せたい。いいかな?」

 みんなが頷くのを確認すると、サラ自身も頷いた。

「よし。では、作戦を伝える…」

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5月17日。

 とりあえず仕事がひと段落したサラは、朝食を終えた後『ペトラ』の露天艦橋から

湾内を眺めていた。

 湾内では先日沈んだり座礁したりした艦艇のサルベージが、軍港では鹵獲艦の修理やスクラップ作業が行われていた。

 特に武装などはできるだけ確保するべく動いていた。現状のままでは、海上補給路の確保はおろか、フーリエの防衛すら厳しい。

 『ペトラ』も『ムハンマド・オスラン』も同じく軍港内で先日の小競り合いで受けたダメージの修理中。

 湾内の奥の艦影がサラの注意を引く。

(『ナスル』の近代化改修が間に合ったはいいけど、戦闘可能な艦艇が二隻だけなのはなぁ…)

 フーリエに配備されている救済同盟の戦力は海防戦艦『ナスル』と、先日鹵獲した防御巡洋艦『アスカロン』(旧『カイザーリン・アウグスタ』)のみ。

 ほとんど近所のポート・ヴィルヘルムにはまだれっきとした戦艦が。一隻で現状の救済同盟の戦力を上回る。救済同盟にとって、最悪の事態である。

(なるべく早く例の計画の準備を進めなくっちゃ。)

 そんな時、後ろからの視線にサラは気付いた。

 振り向くとそこには珍しそうにかつ恥ずかしく見つめてくるミアが。

 気付かれたのに驚いたのか、ミアは少し慌てながらその場を去った。

 と、思いきや、少し恥ずかしそうにしながら戻って来た。

「あの、し、司令官、頼み事があるのですけど、よろしいでしょうか?」

 気まずそうにするミア。

「そんなに固くならなくていい。」

「じゃ、じゃあ、姐さん!」

(いやだからその呼び方は…もういいや。)

 軽く溜息をつくとサラは手に持っていた手帳をポケットにしまう。

「なんだい?」

「あ、はい!えっと、時間があればでいいんですけど、この街の案内をして欲しいのですけど…」

「…へ?」

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「で、ちょうど仕事がひと段落して暇だから案内することにした、と。」

 そう言いながら手に持っているケバブを一口食べるシャルル。

 隣には同じようにケバブを食べるミアと朝食を食べたにもかかわらずケバブを食べるサラ。

 目の前には中世の教会のような建物が聳え立っていた。

「中央図書館に何の用だい、曹長?」

「えっと、歴史の本を借りたくて、それで。」

 恥ずかしそうに「えへへ」と笑いながら頭をかくミア。

「歴史の本、か。具体的にどの本が目当てかな?」

 口に含んだケバブを噛みながら問うサラ。

「特に決めたわけではありません。おすすめとかはありますか、姐さん。」

「そうだね、歴史の本なら『海上権力史論』ぐらいしか読んだ記憶がないね、私は。」

「え?それだけですか?もっと歴史の本を読んだ方がいいと思いますよ。」

 クスっとミアが笑う。

「決めました。空の歴史に関する本を探します。」

「空、か。」

 無意識に空に視線を向けるサラ。


 一同が図書館の入り口へと足を進めていると、別方向から何やら大声が聞こえてきた。

 いや、正確には「言い争い」の方が正しい。

「…喧嘩かな?」

「ありゃシュル会堂の方からだ。そういやぁ逃げて来た難民、ミクラー教徒が多かったな。」

「様子を見に行った方がいいかい?面倒くさそうだが。」

「艦隊司令官自ら行く必要はないだろ。俺が行ってくる。サラは曹長と一緒に図書館に行ってやれ、最近休憩取ってないだろうし。」

 それを聞いたサラは軽くため息をついた。

「はいはい。無理はしないように。」

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 サラが図書館に足を踏み入れると、ミアはもうすでに本を何冊か近くの机に運んでいた。本に加え新聞紙や雑誌も何枚か。

「やっぱり都会はすごいです、こんなに資料が集まっているなんて。」

 そう言いながら熱心に本を読むミア。

 サラは一瞬クスッと笑うとミアの隣に腰を下ろし、新聞紙の一つを手に取った。日にちは「1894年7月」と書かれ、レールに乗った五枚羽の機械の写真もついていた。

「飛べたの、これ?」

 サラの持っていた新聞紙に視線を向けるミア。

「あ、はい。飛べました。固定していたレールを壊しながら60メートル位。」

「ほう、そいつは凄い。」

 一瞬二人の間に沈黙が。

「…あたし、」

 いきなり語り始めるミア。

「実は、あたし、入隊する前から夢があったんです。」

「夢?」

「はい。

 あたしの生まれた村はとても貧乏で、村から出る事は金銭的に不可能でした。子供の頃のあたしは、毎年南北を自由に行き来する鳥たちが羨ましかった。ずっと空を自由に飛んでみたいと思っていたんです。

 最初はただの好奇心と憧れ、何があっても届かない妄想だと思っていました。

 そんな時です、初めて飛行船を見たのは。

 今まで夢物語だと思っていたものが目の前で起きていたのです。不可能が可能だと気付いたのです。」

「幼年学校に入ったのはその夢に近づくためかい?」

 サラの質問に照れ笑いするミア。

「はい、そうです。こういうのは読み書き計算ができないと進めませんから。」

 読み終わったのか、先程まで読んでいた本をミアが閉じる。

「これ借ります。」

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「同氏諸君!ついにこの日がやって来た!」

 救済同盟盟主シューマン博士が集合した革命軍の将兵たちに演説をはじめる。

 場所は街から一キロ前後離れた川の隣。

 街の最終防衛線とも呼べるこの川に急造の橋がかけられ、革命軍はこれを渡って帝国に占拠されている街を解放すると言う。

(準備不足がすぎる。急ぐのもわからなくはないが…)

 演説台の隣に革命軍の幹部が並び、その中には当然サラの姿もあった。

 演説が終わると、革命軍の兵たちが軍楽隊の行進曲に合わせて演説台の前を行進、そのまま橋を渡っていった。

 サラの肩をだれかが叩く。

「そろそろ出るぞ。」

 シャルルの言葉に軽く頷くサラ。

「ん。大尉は?」

「ゼークト大尉ならもうとっくに出発してる。先回りしてもらわないと困るからな、この作戦。」

「そうだね。あとは出港前に保険をかけておくか。」


 港に戻ったサラを最初に出迎えたのは、なぜか幼い少年を連れていたミアだった。ミアの説明によれば、少年は家族を村ごと殺され街に逃げて来たらしい。

(あ、)

 少年の手にはミアが先日読んでいた飛行機の本が。

「…曹長、もうすぐで出港時間だ。乗り遅れないように。」

「はい、姐さん!」

 そう告げられたミアは軽く少年の頭を撫でる。

「じゃあ、おねえちゃん仕事だから行くね。本のつづきは帰ったら読もう。」

 少し涙目になる少年。

「もー、男の子が泣いちゃだめでしょ?ちゃんとお留守番できるね?」

 頑張って強く頷く少年。

「よし。じゃあ、行ってくるね。」

 ミアはそう言うと『ペトラ』の方へ走っていった。

 その後ろ姿に向かって静かに手を振る少年クラウス・サレーは、後の連邦空軍初の撃墜王エースパイロットとなるが、それはまだ先の話。

 今の彼は、空を自由に飛ぶと言う夢を分け合ってくれた人を見送ることしかできなかった。

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二十五枚の手紙

第二章

END

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次回:第三章「A Victorious Loss」

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