第一章

「1898年5月14日

 お父様、

 誠に勝手ながらまた手紙を書かせていただきます。現在の状況が状況ですので、実際にお父様の手元に届くのはまだ遠い先のことだと思います。申し訳ございません。訳あって当分の間は実家に帰る事ができなくなりました。お父様への手紙も届く事は無いでしょう。

 ということで、今回から手紙を日記代わりに書こうと…」

 カラン、とサラの使っていた万年筆が机に落ちた。ため息をついたサラは改めて万年筆を手に取った。

「やっぱり慣れないなぁ、これ。」

 そう呟くとサラは先日の出来事を思い出しながら手紙を書き続けた。

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二十五枚の手紙

第一章「サラ、陣頭に立つ」

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 1898年5月13日。

 12時54分。

 フーリエ軍港を発進した海防艦『ペトラ』の露天艦橋から、サラは艦を揺らす高波を眺めていた。

 晴れ。雲のない済んだ青空。

「天気晴朗なれども浪高し」とは正にこのこと。

 無論、七年後に記録されるこの有名な一句をサラが知る由も無いが、この一句が当時の状況を上手く表現していたと後世の歴史家たちは言うだろう。

「浮かない顔だな。船酔いか?」

 サラと一緒に露天艦橋から辺りを見渡すシャルル。

「この程度の揺れでは酔えないよ。」

「じゃあ作戦への不満かな。」

 図星を突かれたサラは軽く溜息をついた。

「ケッセルリンク指令は正面からの艦隊決戦に固執しすぎ。艦を指揮する連中の練度は低いし、砲手たちの腕は微妙だし、甲板にはまだ炭塵が残ってるし、砲弾の整備だって…だいたい上層部のあの縛りみたいな命令は何なの!?『11インチ砲弾の在庫が少ないから主砲は使うな』だなんて。そもそもこの戦力で敵艦隊を全滅とか、さすがに無理がある。」

「…反論できないのがちょっと悔しいな。で?サラならこの状況をどう打開する?」

「主砲のアウトレンジ攻撃で敵艦隊を追い払う。それでも逃げないなら湾内に誘い込んで、水雷艇の飽和魚雷攻撃で終わらせる。」

「お前ホント好きだよな、水雷艇での近接戦闘。士官学校いた時からずっと。戦術実演訓練で魚雷の集中攻撃食らった時は相当焦ったな。」

 苦笑いを浮かべるサラ。

「そう言えばそんなこともあったね。」

 幼馴染の二人が過去の記憶を思い出そうとしていた瞬間、露天艦橋への階段から足音が聞こえてきた。

「す、すみません…」

 若い女の子の声。

「あ、あの、エッセル少尉はいらっしゃいますか?」

 自分の名前に反応したサラは無意識に振り向いた。

「ん?私になにか用?」

「はい!そろそろ会敵予想時刻ですので、電信室に移って欲しいと…」

「もう時間か。すまない、シャルル。もしも何かあったら…」

 一瞬サラの頼みを聞いてキョトンとしたシャルルだったが、理解と同時に彼は軽く溜息をついた。

「…了解。任せろ。」

 一方サラを呼びに来た少女はキョトンとしたまんまだった。

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「見慣れない顔ね。」

『ペトラ』の電信室への道中サラは隣の少女にそう言った。

「あ、はい。本日付で海防艦『ペトラ』配属になりました。ミア・サラモーヴァ学徒曹長です!よろしくお願いします!」

 元気よく自己紹介をする少女ミア。

「改めて。サラ・エッセル少尉だ。よろしく。ところで…」

 サラの視線がミアの着ている他の水兵たちとは異なる軍服と小柄な体系へと移る。

「曹長は今何歳?」

 苦笑いをするミア。

「15歳です…あと七日で。」

 サラは驚かず、ただ溜息をつくだけしかできなかった。

 ミアの階級に『学徒』と加えられていた時点で、サラはなんとなく察しがついていた。ミアの軍服を見れば尚更。

(世も末だな。)


 電信室でサラたちを待っていたのは元々『ペトラ』に配属されていた二人の通信士たちだった。

「あ、遅いっすぜ、姐さん!」

「また露天艦橋でティーパーティーでもしてたんですか?」

 少しばかりイラっと来たサラ。

「『姐さん』言うな。あと艦隊の状況を見ていただけだ。」

「へへっ。別に怒らんでもいいでしょうに。」

「で?どうでした?勝てそうですか?」

 一瞬サラは黙り込んだ。

「勝ち目はある。主砲が使えなくても火力面では帝国軍と互角だし、経験の差もほとんど無い。問題はこちら側の練度、今日の天気、それと司令官の能力、かな?」

 そのとき、部屋の隅に置いてあった電信機が突然動き出した。反射的に配置についたサラたち。

 「ええっと、巡洋艦ルクスより艦隊司令宛!暗号電文です!」

 二人の通信士たちは届いたモールス電文を解読すると、サラが平文に訳し通信内容を紙に書く。

 暗号自体はごく単純なもので、傍受された場合余裕で帝国軍に破られるだろう。

 だが、無いよりはましだった。

「『敵艦隊見ユ』か。予想より少し遅いな。」

 通信内容を書き終えたサラはその紙をミアに手渡した。

「艦橋へ。」

「あ、はい!直ちに!」


「ほう。ついに来たか。」

 フーリエ駐留艦隊司令官ケッセルリンク大尉は手元の通信文を読み終えるとそう呟いた。

「よろしい。大本営に連絡:『敵艦隊見ユトノ報告アリ。駐留艦隊ハ速ヤカニ現海域へ向カイ、コレヲ撃滅ス』とな。」

「了解です!」

 手早くケッセルリンクの報告を書き留めたミアは急いで電信室の方へ戻って行った。

「大尉、そろそろ司令塔へ。」

 忠告する副司令官。

「うむ。あ、『ムハンマド・オスラン』にはちゃんとついて来るように言っておけ。」

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16時30分。

「どうやら反乱軍の哨戒網にかかりましたな。」

 装甲巡洋艦『フォン・ヘッセン』の艦橋から辺りを眺める帝国海軍ゼークト提督は、参謀長の発見に対して軽く頷いた。

「巡洋艦のようじゃな。敵の本隊は?」

「奥に煙が見えます。恐らくあれが反乱軍の艦隊かと。」

「まさかとは思うが、敵は正面決戦がお望みかな?」

「自分にもそう見えます。」

「ならばくれてやるとしよう。全艦に打電。『砲撃戦用意。我ニ続ケ。命令アルマデ撃ツナ』と。素人どもに戦いを教えてやるわい。」

「はっ!全艦、砲撃戦用意!」


「…少尉さん、大丈夫ですか?」

 ミアは明らかにソワソワしているサラに問う。

「ああ、エッセル少尉はただ外の状況が気になってるだけさ。心配する必要はねぇよ、新入り。」

 代わりに返事をしたのは通信士の一人だった。

「もう行ってくればいいじゃないですか、姐さん。ここはうちらに任せれば大丈夫。」

「だから『姐さん』言うなって!ああ、もういい!」

 電信室の出口へと向かうサラ。

「艦橋まで一走りして来る!何かあったら呼んでくれ!」

「あ、少尉さん、私も…」

「曹長は伝令の仕事があるでしょ?部屋に残ってて。」

 落ち込んだ表情を浮かべるミアに対し、サラは少しばかり申し訳ない表情を浮かべた。

「ドンパチが始まったら多分甲板は火の海になると思う。必要のない時に出ないほうがいい。」

「…わかりました。」


「敵艦隊捕捉!方位、050!距離、14000!」

「面舵一杯!敵艦隊の頭を抑える!射程内に入り次第砲撃開始、ただし主砲は使うなよ!」

「…司令。よろしいのですか?」

 ケッセルリンク大尉の命令に疑問を投げかけるシャルル。

「ん、イルファン少尉か。問題ない。主砲が使えずとも火力ではこちらの方が有利だ。」

「なら良いのですが…」

 そう言ったシャルルは司令塔の出口へと足を進めた。

「どこへ行く?」

「露天艦橋ですよ。ここからでは何も見えませんし。」

 

 命令が飛び交う中水兵たちが自分たちの配置場所へと駆け足で向かう。

 艦橋からの情報を各砲座の士官たちが繰り返す。

『ペトラ』の砲が帝国軍の旗艦に照準を合わせる。

 そして。

「撃てぇ!」

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 かつてとある戦略家が口にした言葉をサラは思い出す。

 敵との遭遇で生き残った計画など無い、と。


 17時15分。


 帝国艦隊の砲弾が『ペトラ』に直撃し、甲板が揺れる。

 帝国艦隊との本格的な砲撃戦に突入して30分前後。『ペトラ』を含めフーリエ駐留艦隊はほとんど一方的に叩きのめされている状況だった。実際の所帝国艦隊も無傷ではなかったが、反乱軍側の当事者たちはそれを知る由が無かった。

 サラの予想通り『ペトラ』の甲板は火の海と化していた。甲板の所々にこびりついていた炭塵が引火し、その熱で壁などに塗られていたペンキも引火。

 

「現在、『ムハンマド・オスラン』、『ルクス』、及び本艦が被弾炎上中。巡洋艦『レオパルド』は大破、巡洋艦『パンテル』は轟沈。艦底部からは浸水の報告も上がっています。砲の残弾も僅かです。」

 サラからの報告を聞いた司令部の面々は絶望感に襲われた。

「ば、バカな…こんなはずでは…!」

「こちらの機動戦力は事実上全滅したか。」

 舌打ちをするケッセルリンク。

「ええい、まだだ!まだ終わってはいない!残った各艦の連絡!『本艦はこれより、敵旗艦にラムアタックを仕掛ける!友軍艦艇は援護されたし』と!」

 目を見開く副司令官。

「司令官閣下!それは無茶です!」

「無茶なものか!敵旗艦に接近し白兵戦に持ち込めば、敵の司令官を捕らえる事ができる!そうすれば他の敵艦は手も足も出せん!形勢逆転だ!」

 ケッセルリンクの血迷った作戦を聞きながら、サラは溜息をついた。

(何を考えているのやら。戦列艦の時代じゃあるまいし…)

 サラが艦橋から離れようとしたその時、一発の砲弾が『ペトラ』の司令塔に直撃した。

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(…なんか目の前がぼやけてるな。何があった?)

 周りから足音と叫び声が聞こえて来るサラ。

(あ、そっか。司令塔が直撃を受けて、その巻き添えを食らったのか。腕が痛いな。)

 突然、誰かがサラの顔をひっぱたいた。

 衝撃の痛みと同時にサラの意識が現世に戻る。

「少尉さん!」

「…よかった!気が付いた!」

 サラの目の前にはシャルルが安心した表情を浮かべ、その隣には涙目のミアがいた。サラ本人は所々に包帯が巻かれ、右腕には止血帯が巻かれていた。特に右腕に巻かれていた包帯などは血まみれだった。

(腕が痛い訳だ。)

 サラがシャルルにジト目を向ける。

「さっきひっぱたいたの、シャルルでしょ。」

「あ、悪い。お前があのまま気絶したら二度と起きないかもって思って。」

 軽く溜息をつくサラ。

「…戦況は?」

 質問に対してシャルルは暗い表情を浮かべた。

「『ルクス』が爆発した。多分弾薬庫に火が回ったんだと思う。それと…」

 一瞬言葉に戸惑うシャルル。

「…見ての通り、司令部は全滅だ。ケッセルリンク司令を含め全員死んだ。」

 軽く舌打ちをするサラ。

「指揮権は今どうなってる?」

「死ぬ間際にケッセルリンク司令は副司令官のヴィルヘルム・ペテロヴィッチ中尉に指揮権を渡すように言ってた。当人はもう死んでたが。」

「ってことは…」

「指揮権は俺たち二人のどちらかにある、ってことになるな。」

 軽く溜息をつくとサラは恐る恐る立ち上がった。出血の割には妙に意識がはっきりしていたせいか、立ち上がるのが以外と余裕だった。

(やっぱり凄いな、アドレナリンって。)

 その時、サラはシャルルからの目線に気づいた。

 士官学校時代から見覚えのある、まるで助けを求めるかの目。

 戦闘指揮を執る自信が無いのだろう。とは言え、だからといって負傷しているサラにその責任を押し付ける事もできない。

(こっちだって自信無いのに。まあ、それがわかってるから何も言わないのだろうけど。)

 サラは軽くため息をついた。

「あぁ、もう。しょうがない。私が指揮を執る。執るからそんな目で見ないでくれ。」


 露天艦橋に上がったサラとシャルルをユステンセンが出迎えた。

「ご無事でしたか!司令部は…」

「全滅したよ。とりあえず今はエッセル少尉が指揮を執る。命令には従うように。」

「え!?あ、了解です!」

 ユステンセンは少々焦りながらサラに敬礼した。当然負傷した女性士官が敢えて指揮を執る事に疑問があっただろう。

(無理もないか。)

「ユステンセン准尉、現在の敵との距離は?」

 早速仕事に取り掛かるサラを見るなり、シャルルは安心した表情を浮かべた。

「現在の距離、4800!」

(大分近づいたな。なら…)

「シャルル、敵艦列の三番目、あの炎上しているやつの艦名は?」

「ああ、あれは海防艦『プリンツ・ルドルフ』だな。」

「あの老朽艦か。なるほど。」

 一瞬深呼吸をするサラ。

(消耗戦の場合、勝算は五分五分といったところだろう。勝機はあるとはいえ、負ける可能性も十分ある。)

 また痛みが走る。

(…ついでにこの出血の量もまずいかな。)

 そう考えているうちに、今まで眼中になかった景色にサラは気づいた。

(そろそろ湾への入り口、か。)

 サラは隣で心配そうに立っているミアに視線を向ける。

「電信室は?」

 首を横に振るミア。

「直撃を受けました。電信機は使えません。」

 軽くため息をつくサラ。

(しょうがない。賭けに出るか。)

「曹長、回光通信機の使い方は?」

 一瞬、ミアの表情が明るくなったようにサラは思えた。

「あ、はい!幼年学校で教わりました!」

「よし。無線が使えない以上、あれが他艦との唯一の連絡手段だ。任せた。」

「了解です!」

 ミアが走り去って行くと同時に、サラは改めて深呼吸をする。

「海防艦『プリンツ・ルドルフ』を全艦で集中砲火!主砲の使用も許可する!全門でだ!この距離なら備砲も届く!」

 一瞬の間。

「…ついでに頭も抑えておこう。」

「頭を?ああ、了解した。」

 敬礼した後、シャルルは伝声管へ命令を叫びこんだ。

「取舵!左舷88mm砲配置につけ!全砲門、目標、『プリンツ・ルドルフ』!距離、4800!急ぎ撃て!艦首魚雷発射管の発射準備も急げ!」

 

 水柱が上がる中、『ペトラ』の主砲がゆっくりと『プリンツ・ルドルフ』へと砲身を向ける。それに乗じるかのよに他の砲も照準を合わせる。

 各砲座から発砲命令を叫ぶ水兵たちの声。

 直後に鳴り響く発砲音と共に砲身から煙が上がる。

 そして砲弾が宙を舞うこと数秒。その間『モハンマド・オスラン』からも砲煙が上がる。

 突然『プリンツ・ルドルフ』が爆発した。

 瓦礫と焼死体が宙に舞う中、後に続く帝国艦は慌てて正面に現れた障害物を回避しようとしている。

『ペトラ』の艦橋から歓声が上がる。 

「敵艦轟沈!艦列が乱れた!」

 シャルルの報告に頷くサラ。

「この機を逃すな!敵が体制を立て直す前に巡洋艦隊を削る!」

 更なる砲撃が帝国艦隊の艦列を切り刻んだ。

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「巡洋艦『ブサード』、『ファルケ』、共に中破!巡洋艦『アイリーン』、大破!巡洋艦『カイザーリン・アウグスタ』、被弾炎上中!」

 報告を聞いてもゼークト提督は冷静だった。

「慌てるでない。艦列を立て直し反撃。近距離戦ではこちらの火力が上じゃ!」

 帝国艦隊からも砲煙が上がり、少しずつ乱れていた艦列が元に戻る。

 そんな時、

「右舷前方!魚雷です!」

「左舷方向に回避!」

 ゼークト提督は「魚雷」という単語に反応したのか、一瞬目を見開かせる。

「間に合いそうかね?」

 参謀長は頷いた。

「はい。敵の魚雷は全て回避できます。」

「うむ。なら良いのじゃが…」


『ペトラ』より放たれた六本の魚雷は、ギリギリ『フォン・ヘッセン』の艦首を通り過ぎて行った。しかし、魚雷を回避しても砲弾の雨は止まらない。


「機関部に被弾!二番エンジンの出力低下!」

「提督、やはり装甲巡洋艦を旗艦に選んだのが仇となりました。」

 参謀長の発言にゼークト提督は頷いた。

「魚雷で行動を封じて来るとは。このままでは消耗戦になりそうじゃな。」

「はい。ですがまだ十分勝機はあります。」

「…どうかな?反乱軍は我々を挟み撃ちにしようとしているかもしれん。」

 ゼークト提督の不吉な発言に参謀長は目を丸くした。

「まさか、正面の敵は陽動で、別動隊が湾内に潜んでいるとでも!?」

「可能性はあるじゃろうが、恐らく沿岸要塞との挟み撃ちじゃろう。」

「ならば、離脱を図りますか?」

 軽く溜息をつくゼークト提督。

「そうするしかないようじゃ。沿岸要塞との距離は?」

「丁度一キロを切りました!」

 そんな時、『シェヒール要塞』から砲煙が上がった。

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『シェヒール要塞』の32cmカネー砲二門が火を噴いた。

 周辺には「植民地政府独立派」の兵たちが死体となって転がり、降伏した者は「救済同盟」の兵たちに連行される。

 要塞守備隊との交渉が決裂した「救済同盟」は、無理やり要塞を奪取すべく陸戦部隊で強襲を仕掛けた。双方三桁に登る犠牲者をだした後、ようやく要塞が「救済同盟」の手に落ちた。

「第一射、敵海防艦に命中!」

「次弾装填急げ!」

「6インチ、及び10.5cm砲、全門斉射!」

「機関銃で弾幕を張れ!この距離なら届くはずだ!」

 命令が飛び交う中、要塞攻略を指揮した反乱軍の士官、ヨセフ・ナイトハルト・フォン・ゼークト大尉は双眼鏡で艦隊戦の状況を窺っていた。

「そろそろ頃合いか。おい!」

 偶然通りかかった兵士を彼は呼び止める。

「重要な任務を与える。名前は?」

「はい!イブラヒム・ヴォス准尉であります!」

「よし、ヴォス准尉!今から重要な任務を与える…」

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 突然、『フォン・ヘッセン』が何かの衝撃で激しく揺れる。

 次に、後ろの海防戦艦の左舷側から水柱が上がった。

「何が起きた!?」

 バランスを崩して混乱する参謀長。

「魚雷です!要塞から魚雷が発射された模様!」

「馬鹿な!航跡が無かったではないか!」

 事態を察したゼークト提督は、諦めたかのようにため息をついた。

「恐らくフライホイール動力の魚雷じゃろう。まったく。こういう予感は当たって欲しくないものじゃな。」

 パイプから一服タバコを吸うゼークト提督。

「…勝てそうに無いな。」

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 帝国艦隊の左舷側から大きな水しぶきが登る。

 それを見たサラは軽く溜息をついた。

「どうやら要塞は味方のようだ。ありがたい。」

 同意するように頷くシャルル。

「どうする?命令に副ってこのまま全滅させるか?」

「弾薬の無駄使いだ。その必要はない。とりあえず、敵に降伏勧告を送ってみてくれ。上手く行けば、敵艦を数隻鹵獲できるかもしれない。」

 あえて周りに聞こえるように喋る二人。

「…私、甘いかな?」

 先ほどまでと違って小声で呟くサラ。

 命令無視はともかく、士官学校上がりの士官たちにとって敵への情けは無用との考えが強かった。

 そう教育されたから。

 学年の中の上で卒業したサラも、そう頭に叩き込まれた。

 いくらそれが間違っていると自分に言い聞かせようとしても。

「いや。最良の選択だと思うぞ。」

 同じく小声で答えるシャルル。

「そう。ならいいけど。」

 痛みが走り、サラは一瞬バランスを崩す。

「お、おい!」

 心配そうな表情を浮かべるシャルルに、サラは苦笑いを向けた。

「大丈夫だ。もう少しは持つと思う。」

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「ゼークト提督!敵艦から発光信号です!降伏を呼びかけているようですが…」

 複雑な顔をする参謀長。

「いかがいたしますか?」

 ゼークト提督は溜息をつく。

「ここまで…か。」

 そう呟くと、彼は腰に提げていた拳銃を取り出し、その銃口を自分の頭に向けた。

「提督!おやめください!」

「止めんでくれ、参謀長。このまま捕虜になるのは耐えられそうにない。」

「いいえ、止めさせていただきます!提督は部下たち全員の命を預かっています!彼らの安全を確認してからでも遅くはありません!その時は-!」

 自分もお供します、と言いかけそうになった参謀長。

 それに気づいたのか、ゼークト提督は首を横に振ると拳銃をホルスターに戻した。

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「白旗です!敵旗艦が白旗を…!」

 明らかに興奮していたユステンセンとは逆に、サラは軽く溜息をついた。

「やっと終わったか。シャルル、砲撃を止めてくれ。無駄弾を撃つ必要はない。」

「了解。全艦、撃ち方止め!要塞にも打電しろよ!」

 視線を再びサラに向けるシャルル。

「戦闘終了の報告は…」

「シャルルに任せる。流石に疲れた。」

 一瞬、サラの視界がぼやける。

(…あれ?)

 体制を崩す。

(あ、これは多分気絶するな。よくこれほどの出血で体がここまで持った。そもそも怪我していたことすら一瞬忘れてたような。)

 ついに視界が真っ黒に染まった。

(まあ、後はシャルルに任せれば大丈夫だろう。)

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1898年5月14日

 カラン、とサラの使っていた万年筆が机に落ちた。ため息をついたサラは改めて万年筆を左手で拾った。

「やっぱり慣れないなぁ、これ。」

 彼女の視線が自分の右腕を向く。

(いや、「右腕があった場所」の方が正確か。)


 サラが目覚めたのは戦闘終了の翌日の正午だった。

 右腕は手術の結果切断。消毒処理が遅すぎたからやむを得ず、と担当の医者は言っていた。病院の設備が少々時代遅れだったことも関係していただろう。

 本来なら病室に監禁していなければいけなかったのだろうが、安静にしている事を条件に、サラは『ペトラ』の自室へ戻ることを許されていた。


 サラは手紙から机の上に置いておいた別の書類に視線を向ける。

(にしても、本当にシャルルに事後処理を任せてしまった。あの頼みは冗談半分だったのに。)

 書類に目を通すサラ。

(上層部への報告書のコピーまで。しかも手書き。作らなくていいのに、指揮官の座に就いたのも一時的な緊急処置だったんだし。)

 シャルルが書いた報告書曰く、巡洋艦四隻を失った責任は全て無能な指揮を行ったケッセルリンク大尉と、碌に真っ直ぐ撃てない低質な砲弾を補充した上層部にある。ついでに、サラは状況を奪回するための最善の選択をしたとも。

(まったく。余計なことを。)

 報告書の一覧がサラの注意を引いた。

「…こちら側の犠牲者は死者と負傷者合わせて二千人弱、か。駐屯艦隊の大半も失ったし。」

(「勝利」と言える物ではないな、これは。)

「まったく。後味の悪い…」

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二十五枚の手紙

第一章

END

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次回:第二章「紅茶と友と」

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「第一次フーリエ湾海戦」戦闘序列

ORDER OF BATTLE “First Battle of Hollier Bay”


「人民救済同盟、フーリエ駐留艦隊」

海防戦艦

『ペトラ』中破

『ムハンマド・オスラン』大破

非防御巡洋艦

『ゲフィオン』撃沈

『レオパルド』撃沈

『ルクス』撃沈

『パンテル』撃沈


「ロッツァ帝国海軍、ゼークト艦隊」

装甲巡洋艦

『フォン・ヘッセン』大破、鹵獲

海防戦艦

『モナルヒ』大破、自沈

『プリンツ・ルドルフ』撃沈

防御巡洋艦

『カイザーリン・アウグスタ』中破、鹵獲

『アイリーン』大破、戦線離脱

『プリンツェッシン・ヴィルヘルム』小破、戦線離脱

『カイザーリン・エリザベート』大破、鹵獲

非防御巡洋艦

『ブサード』中破、鹵獲

『ファルケ』大破、鹵獲

『ゼーアドラー』中破、自沈

『コンドル』撃沈

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