第3話
週末のトリニティ・ハートは賑わっていた。レンガ造りの壁沿いの一角でライアンとハワードは向かい合って座っていた。
「上手くいったな、さすがだライアン」
「君の協力のおかげだよ、ハワード」
ライアンは穏やかに微笑む。
「宝石はどうするんだ」
裏ルートで換金して、父親のボス就任の資金に回すのではないか、ハワードはそう思っていた。この件はケチなタバコ泥棒とは訳が違う。
「ニューヨーク市警に渡してきたよ、今頃FBIも泡を吹いているだろうな」
そう言ってライアンは涼やかに笑った。ハワードは絶句した。宝石強盗はコステロの資金源を潰し、面子を潰した。しかも、金には換えず、警察にくれてやったとは。この優男の知恵と豪胆さには驚かされるばかりだ。おそらく、父親のロイよりも大物になるだろう。
「祝杯を上げよう」
ライアンが注文したシャンパンがテーブルに置かれた。澄んだトールグラスに薄いピンク色のシャンパンが煌めいている。ふと、ハワードはグラスの中に何か入っていることに気がついた。リングだ。3連のリングが底に沈んでいる。
「これは・・・」
不思議そうな顔でリングを見つめるハワードにライアンは微笑みかける。
「これはトリニティ・リングだよ。3色のゴールドにはそれぞれ意味があってね」
ライアンはグラスの縁を指でなぞる。
「ピンクゴールドは愛情、ホワイトゴールドは友情、そしてイエローゴールドは信頼。このリングはトリニティ・ハートとも呼ばれている。これを君に送りたい。受け取ってもらえるだろうか」
ライアンはまっすぐこちらを見つめている。その目には優しい笑みが浮かんでいる。ハワードは胸がズキンと疼くのを感じた。愛情、友情、そして信頼・・・彼は何を言おうとしているのだろうか。まさか、自分がFBI捜査官だと気付いて揺さぶっているのか。ハワードは俯き、唇を噛んだ。
「君に特別な友情を感じている。これは愛情に近い感情かもしれない。しかし、俺には君の信頼を得る資格はない」
ハワードは言葉を選び、ゆっくりと伝えた。ライアンは微笑みを絶やさず、それを黙って聞いている。ハワードは立ち上がり、ライアンに背を向けた。そのまま店を出て行く。ライアンが銃口を向けるかもしれない、そう思った。しかし、彼はそうしなかった。
ライアンは静かにシャンパングラスを傾ける。手つかずのグラスにはトリニティ・リングがライトを受けて静かに輝いていた。
ライアンはアパートに戻り、キャンドルに火を灯した。ソファにもたれ、ほの暗い天井を見上げる。スマホの画面を操作し、録音された音声を再生した。
「・・・ああ、なかなか尻尾を出さない。強奪しても積み荷に手を出そうとしない・・・とにかく、ライアンは賢い・・・」
上官に報告をするハワードの声だった。出会ったとき、すぐに身辺を調査した。FBI潜入捜査官ということは瞬時に分かった。仲間の振りをして入り込み悪事を暴き、ファミリーを壊滅させようとしていることも。
気付けば、ハワードに情が湧いていた。どこまで付き合う気か、試しに始めたトラック強奪作戦も楽しかった。宝石強盗は最高に興奮した。
ハワードが軽々しくリングを受け取ったなら、その場で額を撃ち抜いていたかもしれない。しかし、彼は誠実だった。ライアンは揺れる炎を見つめ、静かに涙を流した。
ハワードはそれ以来、ライアンの前から姿を消した。おそらく保護プログラムにより遠方に匿われているのだろう。彼は宝石強奪のことはFBIに話していないようだった。もし話していれば、これだけ世間を騒がせた事件だ。すぐに逮捕状が回ってきただろう。
ロイのボス就任の日がやってきた。寒い冬の日だった。ニューヨークの空を低い鉛雲が覆い、吹きすさぶ風はビルの谷間を抜けて不気味な雄叫びを上げていた。
ライアンも就任式に立ち会っていた。コンチネンタルホテルの控え室でスーツに着替え、鏡に映る自分の姿を見つめる。少し痩せたかもしれない。ハワードがいなくなってからトラック強奪は止めてしまった。デスクに向かってカジノ経営の指導やレストランのプロデュースを手がけていた。金は面白いように集まったが、どこか虚しさがあった。
スマホが振動した。そこには思いがけない人物からの着信が表示されていた。
「やあ。ハワード、久しぶりだね」
胸がドクンと鳴った。ライアンは平静を装う。
「ライアン、手短に言う。君の父親ロイは狙われている」
FBIが極秘に掴んだ情報だという。ロイの暗殺を企む者がおり、それを実行させてから捉えようという手筈なのだと。ライアンは唇を震わせた。
「君も気をつけろ」
ハワードはそれだけ言って電話を切った。
すべての幹部が祝福し、就任式は無事に終了した。その後、宴会場で豪華な立食パーティが開かれた。人望が厚いロイは多くの人間に囲まれた。
ひとしきり挨拶が済んだところで、バルコニーでシャンパンを手にしたロイとライアンは2人並んだ。空は晴れ、いつの間にか美しい星が瞬いている。
「お前には苦労をかけた」
ロイは夜空を見上げ、しみじみと呟く。
「いえ、そんなことはありません」
「お前にはいずれファミリーを任せようと思っておる。お前は賢い、それに勇気もある。期待しているぞ」
「はい」
ライアンは神妙な表情で頷いた。父の横顔を誇らしく見つめる。
「ライアン」
叫ぶ声に振り向けば、黒いロングコートの男がロイに銃口を向けている。躊躇いもせず引き金が引かれた。ライアンは咄嗟にロイをかばった。男の銃弾はライアンの肩を掠める。狙いが外れたのは男の背後にしがみつく者がいたからだ。
「ハワード」
ライアンは叫ぶ。ハワードは男と揉み合いになり、床に転がった。ハワードが男にのしかかり、首を締め上げる。そしてまた乾いた破裂音が響いた。ハワードの口から赤い雫が流れ落ち、その身体は力を失って糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
会場に武装したFBIが流れ込んで、会場内にいた暗殺者グループを瞬く間に一網打尽にした。
「キース、大丈夫か」
「医療班を」
ハワードに群がるFBIをかき分け、ライアンは跪いた。
「何故こんなことを」
ハワードの手を握る。ハワードは弱々しくその手を握り返してきた。彼の手は震えている。
「君はキースという名なんだね」
「そうだ・・・今まで君には嘘を」
「知っていたよ」
ライアンの瞳から涙が流れ落ちる。
「今ならあのリングを受け取れるだろうか」
ライアンは何度も頷いた。キースの身体はFBIの医療班によって運ばれていった。
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客が居なくなった店内でライアンは一人ブランデーを傾けていた。このアイリッシュバー、トリニティハートのオーナーであるライアンにマスターが帰れと文句を言うことは無い。ダウンライトの店内に、もの悲しいジャズが流れている。
ドアが空いて、涼しい夜風が吹き込んできた。ドアにはクローズの看板を出しているはずだ。それを気にも留めず、店内に入ってきた男はライアンのテーブルへ歩いてゆく。そして椅子に腰掛けた。
「久しぶりだな、ライアン」
火を点けようと葉巻を弄んでいたライアンはその声に顔を上げた。目の前にはいるはずのない男が立っていた。
「ハワード・・・いや、キース・・・」
ライアンは驚いて目を見開く。目の前にはダークブラウンのヘーゼルアイ、愛嬌のある笑顔を浮かべたハワードが立っていた。
「君は死んだと思っていた」
「俺もそう思ったよ」
パーティ会場で銃弾を間近に受け、内蔵にも損傷があったという。生死の境を彷徨い、つい3ヶ月前にデスクワークに復帰できたと笑いながら言う。
「君には二度も命を救われた、心から礼を言う」
ライアンはハワードに手を重ねる。その温かさに安堵する。
「ライアン、君は才能がある。マフィアなどやめて真っ当な仕事をしろ。必ず成功する」
「・・・そこまで私を買ってくれて嬉しいよ。しかし、私は父の期待に応えたい。それに、君はFBIをやめて証券マンになれるか?」
ハワードは無理だな、と天井を向いて笑う。
「君との友情は忘れない」
ライアンは微笑む。
「ああ、俺もだ」
マスターが静かにテーブルにトールグラスを置いた。ピンク色のシャンパンが揺れている。
「乾杯だ」
「ああ」
澄んだ音が店内に響いた。
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「日本の庭は風情がある」
穏やかな日差しの中、ライアンは美しい緑の芝生が広がる庭園を散策していた。グローバルフォース社CEOとして日本法人設立のために視察にやってきた。そのわずかな空き時間を利用して大浜離宮へ立ち寄ったのだ。側近がライアンの後をついて歩く。
「あれは何だ」
あずまやに厳めしい黒服の男たちが集まっている。年配の男は和装に身を包んでいる。
「日本のマフィア、ヤクザの集会でしょう」
側近の言葉に興味を持ったライアンは会合を間近に見ようと、あずまやに向かって歩いていく。黒服の中に目を引く男がいた。鋭い目をした男だ。黒いスリーピースのスーツを着こなし、その気迫はこちらまで響いてくるような凜とした強さがあった。ライアンは男を目で追った。初老の和装の男の付き人のようだった。あの初老の男にはもったいない逸材だ、そう直感した。
「あの男、調べておいてくれ」
ライアンは側近に指示を出す。
「小さな組織のボスでしょう、気に留めるほどのこともないと思われますが」
「違う、その側に立つ若い男だ」
「わかりました」
側近はライアンの強い口調にそれ以上何も言わなかった。
「日本か、なかなか面白そうな国だ」
ライアンは男の姿を見つめて微笑んだ。
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