第2話

「君のおかげで命拾いしたよ」

 カウンターで飲み直しを始めたライアンは、命を救ってくれた男に握手を求める。

「俺はハワード・ショウ」

「ライアン・ハンターだ、よろしく」

 ハワードはダウンタウンのはずれで倉庫番をしていると言った。飾らない気さくな振る舞いには好感が持てた。このバーには給料が入れば時々飲みに来るということだった。


「あんたは身なりがいい、なぜあんなごろつきに狙われた?」

 ハワードが不思議そうに尋ねる。ライアンは目を細めて笑う。

「私は組織の一員なんだよ。ロイ・ハンターは私の父だ」

 ロイの名を聞き、ハワードは目を見開いた。この街ではアイリッシュマフィアのロイの名は一目置かれている。無名からのし上がってきた武闘派で頭の切れる幹部だ。時期ボスだと噂されている。その息子だというのだ。


「いい話がある」

 ハワードが言うには、管理する倉庫にイタリア系マフィアの荷がときどき入ってくるという。いつも管理費を踏み倒されて泣き寝入りしており、一泡吹かせてやりたいということだった。

「それは愉快だな、乗ろうじゃないか」

 ハワードと拳をぶつけてライアンはにっこりと笑う。


 ハワードの情報は的確だった。イタリア系マフィアの扱う商品の数量、入庫、出庫の状況が詳細に流れてきた。ライアンは仲間5人と共に倉庫から出て行く荷を狙った。倉庫の中で盗まれたらハワードに疑いがかかるためだ。

 タバコ、酒、毛皮製品、最新のスマートフォンを奪ったときは痛快だった。利益をアテにしていたジュリアーノ一家の幹部が激怒したと聞く。もともと違法取引で手に入れた品だ。毒には毒を、ライアンには哲学があった。強奪にはライアン自ら指揮を執った。ハワードもいつしか毎回参加するようになった。


「何故転売しない?」

 トリニティハートで仲間達と祝杯を上げながら、ハワードはライアンに尋ねた。

「掠め取った品を転売するなんて小物のやることだ」

 ライアンはゆったりと葉巻をくゆらせている。強奪はスリルのためという。トラックのルートを計算し、強奪計画を立てる。そして仲間を配置して実行する。それが成功すればそれで満足なのだと。ライアンの計画はいつも完璧だった。


 ライアンはハワードを家族に紹介した。父のロイはハワードの豪気な性格と男らしい面構えを気に入ったようだ。いずれ幹部にならないか、と肩を叩いていた。ハワードも一介の倉庫の管理人として終わりたくないという野望があるらしく、その誘いはやぶさかではないようだった。

 互いのアパートで穏やかな時間を過ごした。ジャズを聴いて、ウイスキーを傾ける。他愛の無い話をして、笑い転げた。


 寒い夜だった。ライアンを玄関ポーチへ見送ったあと、ハワードは部屋に戻り鍵をかけた。明かりを落とし、ソファに身体を横たえる。スマホに残るメッセージを見て大きなため息をついた。連絡を寄越すよう催促する符号だった。

 ハワードはスマホで“ルーディの雑貨店”と登録をしている番号へダイヤルした。


「どうだ、進展はないか、キース」

 電話の向こうには骨太な男の声。

「ああ、なかなか尻尾を出さない。強奪しても積み荷に手を出そうとしない。それどころか、この間など警察署の前にトラックを置いていったよ」

 ハワードは物陰に隠れ、やってきた警察官が騒ぐ様子をライアンと共に見て、笑い合ったのを覚えている。

「ロイは時期ボスと噂されている。血眼になって資金集めをするはずだ。もちろん、息子のライアンもそれを支援するはずだ。証拠を掴めたらしょっぴけるんだが・・・お前が潜入捜査をしていることに気がついているんじゃないか」


 ハワードはフィリップモリスに火を点ける。

「いや、それはないだろう。もしそれがバレているなら俺はハドソン河に惨殺死体になって浮かんでるさ」

「それもそうか・・・お、ライアンはゲイなんだろう。抱きしめてキスでもすれば絆されるんじゃないのか」

 下衆な物言いだ。マイノリティへの差別を隠そうともしない。この上官は美人な奥さんと可愛い娘が自慢で、人生何もかも上手くいっていると思い込んでいる。しかし、奥さんは隠れレズビアンで若い女優の卵と浮気をしていると専らの噂だ。それを知ったらこんな言い方ができるだろうか。


「とにかく、ライアンは賢い。一筋縄ではいかんよ。そろそろ切る。また報告する」

 ハワードはスマホをソファに放り投げた。テーブルの上にグラス半分残ったブランデーを飲み干す。

 FBI潜入捜査官、それがハワードの本当の身分だった。倉庫の管理人に扮してハンターファミリーに潜り込む。そのターゲットがライアンだ。殺人、強盗、悪事の証拠を集め一気に逮捕するという手筈だ。しかし、これといった手がかりを掴めぬままだった。ライアンとは親友といえる程の関係を築いている、とハワードは思っていた。

 ライアンは半ば娯楽、スリルを求めるトラック強盗ではなくおそらく大型の違法賭博やショウイベントの開催など、もっと実入りの良い方法で稼いでいる。しかしハワードの前では全くそうした素振りを見せなかった。


「宝石を奪おう」

 ライアンがグラスを傾けながらハワードに提案する。アイリッシュバー、トリニティ・ハートの奥のテーブルが彼らの定位置だった。今日はケルト民謡の生演奏が流れている。どこか懐かしいメロディが喧噪の向こうに消えていく。

「ルフトハンザ航空で1週間後に到着するコステロの荷だ。時価2000万ドル、ファミリーの資金源になる。それを奪う」

 ライアンはにこりと微笑む。ハワードは青ざめた。コステロはこの街の5大勢力のうちのひとつだ。もし、強奪に失敗すれば恐ろしい報復が待っている。ライアンは平然と実行に移そうとしている。


 いくらなんでも危険すぎる。断ろう、そう思った。

「面白い」

 ハワードの口から逆の言葉が飛び出した。手にはじっとりと汗をかいている。何故だ、何故そう答えてしまったのか。それはライアンならやれると思ったからだ。この男がどう計画し、どう実行するのか見てみたい、そんな好奇心が勝った。

「君ならそう言ってくれると思ったよ、ハワード」


 金曜日の夜、ジョン・F・ケネディ国際空港にライアン、ハワードと3人の仲間で乗り込んだ。狙いは夜9時5分着のルフトハンザ航空の貨物便だ。ライアンが指示したものを仲間たちが準備していた。

 貨物便から出てきた荷を黒服の男たちが受け取る。黒いアタッシュケースが2つ。それを駐車場に停めたベンツのトランクに積み込もうとしたとき、銃を向けた覆面の男たちに囲まれた。


「おい、これはボス・コステロの大事なブツだぞ」

 手を上げた黒服が喚く。これを奪われたら自分たちも只では済まない。

「知っている、だから奪う」

 奇妙な機械音が響く。覆面は音声変換機を使っているようだ。黒服は縛られ、アタッシュケースは奪われた。現場から一台のレトロな赤色のキャデラックが走り去った。


 翌朝、2000万ドルの宝石強奪事件は大きく新聞に取り上げられた。現場に残された手がかりから専門家による犯人のプロファイリングが始まった。運び屋を縛るために使われたロープ、粘着テープ、ベンツに残された指紋も複数あった。現場にはスマートフォンも落ちており、データの解析が急がれた。


 走り去ったキャデラックはリバティ州立公園に乗り捨てられており、その中にも犯人に繋がる証拠品が多数残されていたという。FBIは犯人はすぐに捕まるだろう、と威厳をかけて宣言した。

「捕まるわけがない、証拠の捜査だけでも100年はかかるさ」

 ハワードは独りごちてため息をついた。ライアンはわざと証拠を残すようにした。どこのホームセンターでも売っているものを使い、また逆に手がかりが散逸するような証拠品をふんだんに仕掛けた。ベンツの指紋はやがてマリリン・モンローやマイケル・ジャクソンのものと判定されるだろう。それでいて、核心に迫る証拠は一切何も残していない。

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