第42話挟撃
織田大和守家の当主、織田信友は焦っていた。
坂井甚介、織田三位、そして河尻左馬丞ら重臣を失い、兵力も大きく削がれた。
また信長の庇護下に置かれている岩龍丸のこともある。
大義名分や勢力において、不利な状況が続いている。
追い詰められている状況の中、信友は最後の重臣、坂井大膳の策を実行する。
それは誰の目から見ても危険を伴う策であった。
下手をすれば信友自身、滅びてしまうような――
「信友の愚か者が、まさかそのような策を行なうとはな……」
眉間に皺を寄せた、険しい表情で呟く信長。
那古野城の評定の間にいる森可成と丹羽長秀、そして池田恒興らも同様の顔をしている。
「まさか、今川家を尾張国へと引き込むとは……」
恒興の言ったとおり、信友は大大名、今川家の軍勢を尾張国の知多郡――那古野城の南にある半島だ――の緒川城を攻めさせている。
本来ならば尾張国を狙う今川家と信友は敵対関係である。さらに言えば尾張国に今川家の勢力ができれば、自身も危うくなる。まさに諸刃の刃のような策だった。
そこまでして、信長を倒すことを選んだのか、それとも頭が回っていないのか、定かではない。
「殿。いかがなさいますか?」
可成が努めて冷静に今の状況を説明する。
「緒川城をとられてしまえば、知多郡を取られることとなります。そうなれば船の税、津料が取れなくなり、織田家の財力が損なわれます。それを防ぐには、緒川城の救援、すなわち今川家の進攻を食い止めることです」
すると丹羽が「今川家は現在、緒川城近くで砦を築いています」と床に置かれた尾張国の地図を指し示す。
「村木砦です。ここを攻め落とせば今川家は撤退するでしょう」
「しかし出陣は難しい……」
苦渋の表情で言うのは恒興だった。
この場にいる者はその理由が分かっている。
「那古野城の兵を出陣させれば、信友が攻めてくる、か」
信長の重苦しい言葉。
それこそが信友の狙いである。
今川家の兵は一千だ。それらを撃破するには多くの兵を連れて行かねばならない。
しかしそれだと那古野城を守る兵がいなくなる。
「敵ながら下策であるが、こちらが苦しむ状況を作り出している……」
信長はこの雁字搦めな状況を打破しようと考えていた。
時をかければ緒川城は落ちてしまう。
だから今すぐにでも解決策が必要だった。
「家老の林秀貞と美作守の兄弟は?」
「兵を出すことに反対しております。ま、あの御ふた方は信行様の派閥に組み込まれていますから、こちらの勢力が弱まるためにおっしゃっているのでしょう」
まさに内憂外患ですねと可成は言う。
信長は「最初からあてにしておらんが、ますます状況が厳しくなったな」と苦笑した。流石の彼でも笑うしかないらしい。
「仕方ない。借りを作りたくなかったが」
「……何か、秘策があるのですか?」
腕組みする信長に恒興が半ば期待するような目を向けた。
可成と丹羽も信長に注目する。
「援軍には援軍だな。俺の舅、斉藤利政に頼もう。さっそく使者を出せ」
◆◇◆◇
「まさか、今川家と戦うとはなあ」
「別に不思議ではない。向こうは尾張国を狙っているのだからな」
使者として派遣されたのは利家と成政だった。
信長の書状を美濃のまむし、斉藤利政の下へ届けようと早馬で向かっている。
馬を並走させながら、大きな城である稲葉山城を目の端でとらえながら、会話している。
「でもよ。本気で今川家が尾張国を狙っているんなら、一千の兵だけで攻めるのか? もっと多く出せるだろう?」
「武田家と北条家という大国が本拠地の駿河国の近くで窺っている。しかも国内で問題も起こっているらしい」
「はあん。俺たちの織田家と同じ状況ってわけか」
成政の説明に一応納得した利家。
「このまま、武田家か北条家が今川家を攻めてくれれば、楽なんだけどな」
「……それはないだろう」
曇った顔でそう答える成政。
利家は怪訝な顔で「何か知ってんのか?」と問う。
「当主の今川義元が最も信用している軍師、太原雪斎を知っているか?」
「……沢彦のじじいが話していた気がするな」
「稀代の名僧だ。雪斎がいる限り、織田家どころか他の大名も手出しできない」
成政は確か竹千代様の教育係でもあったなとぼんやり思った。
あの方は駿河国の駿府城で、どのような暮らしをしているのだろうか。
「その坊さんがすげえのは分かった。だから攻めてこないと?」
「それもあるが、その太原雪斎はとんでもないことを企んでいるらしい」
「とんでもないこと?」
成政は「詳細は知らん」と誤魔化した。
既に未来の知識で太原雪斎の策を知っていたが、利家に言う必要はないと考えたのだ。
「武田家と北条家を一挙に滅ぼす策でも考えているのか?」
「さあな……おっと。着いたな」
見上げるほど大きな山城――稲葉山城。
築いた斉藤利政が『古今無双の名城』と自画自賛していたのは、嘘ではないと利家と成政は思った。
これを攻めるには大軍が必要であると誰もが思う。まさに利政の力を象徴した堅城だった。
斉藤家の門番に自身の素性と目的を告げた利家と成政は、すぐさま稲葉山城の内部にある謁見の間に通された。
利家は外から見える風景に感心し、成政は内装はさほどではないなと感じていた。
「その方ら、婿殿から書状を預かったと聞く。さっそく見せよ」
「ははっ。こちらでございます」
成政が懐から書状を取り出し、小姓に渡す。その小姓から差し出された書状を、数名の家臣のいる中、利政は読んだ。
「ふむ。今川家と信友の挟み撃ちか。確かに我らの力が必要だな」
「では、さっそく兵を――」
成政の言葉に利政は「だが同時にこちらの好機でもある」と悪そうな笑みを浮かべる。
「信友が那古野城を攻めている間に、清洲城を攻め落とせる。そうは思わぬか?」
その言葉に数名の家臣、その中で位の高そうな武将が「そのとおりですな」と答える。
その武将は糸目で口も小さい。しかし歴戦の将である風格も備えていた。
「婿殿には五百の兵を援軍として出し、こちらは一千の兵で清洲城を攻めよう。かの城が手に入れば、尾張国を手中に収めたも同然だ」
成政は不味いなと考えた。
この機に乗じて尾張国を『盗ろう』としている利政。
それも不味いがもっと不味いのはこの状況である。
策は秘匿するものである。それを同盟国とはいえ織田家の自分たちに知らせたということは――
「お前たちはしばらく、ここにいてもらおうか」
利政が柏手を打つ。
すると武装した兵が利家と成政を囲む。
「な、なんだあ!?」
「くっ――」
反応が遅れた利家と違って、予想していた成政は短刀を抜く。
刀は先ほど預けてしまった。
「利家! 立て!」
成政の声に利家は素早く立ち上がり、迫ってきた兵を殴りつける。
顔面を殴打された兵は鼻血どころか鼻の骨を折ってしまう。
それを見た利政は感心したように「ほう……」と笑った。
「良い若武者だな。それにそっちは多少頭が回るようだ」
利家と成政は背中合わせとなり、互いに後ろを守っている。
兵は刀を抜いていないが、剣呑な顔をしている。
おそらく押さえつけるように言われているようだが、利政の気が変わったら殺しにかかるだろう。
「なんでこうなるんだ?」
「いいから、短刀を抜け。ここから抜け出すぞ」
利家ののん気な声に成政は険しい声で応じた。
「いや、だってよ。斉藤様が言った策、成功するわけねえじゃんか」
「……はあ? お前、なんて言った?」
利家の意外な言葉に、成政は虚を突かれた。
利政も「……何故そう思う?」と一度兵を下がらせて言う。
「えーと。斉藤様は信友が那古野城を攻めるって言いましたよね?」
「ああそうだ」
「でも斉藤家の援軍来たら、信友は攻めてこないと思いますよ」
あまりの言葉に利政と成政、そしてこの場にいる家臣たちは、誰に何も言えなかった。
続けて利家は言う。
「だって、斉藤家の援軍が来ているって分かったら、いくら馬鹿でも攻められないでしょう。兵力に差がありすぎる」
「……それは一理あるが」
「斉藤家の兵が加わったら那古野城を落とせるのは五分五分といったところです。そんな賭けを信友がするとは思えない」
利家の考えは単純だった。
ゆえに的を射た考えでもあった。
「…………」
押し黙った利政。すると次の瞬間、先ほどの糸目の武将に命じた。
「安藤守就! 一千の兵を率いて婿殿の援軍に加われ!」
「……かしこまりました」
そのやりとりに成政はほっとする反面、利家に対して疑問を持った。
「おい、利家。なんで――」
「ああ。沢彦のじじいに習ったんだよ。軍学とか兵法をな」
何でもないような顔をする利家に、こいつ賢くなっているなと警戒を強めた成政。
二人のやりとりを遠くから見つめる利政。
なかなか良い関係だなと心の奥底で笑っていた。
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