第41話芽生え
前田家の屋敷、居間――
「はあ!? 婚姻しろ!? どういうことだ親父!」
「そのままの意味だ! その程度も分からんのか!」
怒鳴りあう二人の親子――利春と利家。
その様子を心配そうに見つめる利家の母のたつ。
うるさそうにしている利玄は我関せずといった感じだ。
この場には四人しかいない。親戚の竹野氏やその娘のまつは別室にいる。
「お前もそろそろいい年だ。嫁をもらって少し落ち着け!」
「いきなりそんなこと言われてもよ……」
困惑している利家。無理もないことだった。
何故ならば相手が先ほど会った、七才のまつだからだ。
自分とは十才近く離れている。
「なにが不満なのだ? 良家ではないがそれなりに器量が良い」
「そうじゃねえよ。年齢が問題なんだ。まだ七才じゃねえか」
「手を出さねば問題あるまい」
「だからそういう問題じゃねえよ!」
利家は利春との相性の悪さを再確認しつつ、天を仰ぎながら言う。
「七才で嫁ぐ身を考えろよ。もっと遊びたい盛りだろうが。母親と一緒にいたい年頃だろうが」
「武家の娘だ。七才でも覚悟はできておる。遊んでばかりのお前と違ってな」
いちいち皮肉を言う利春に青筋を立てる利家。
そんな二人を見かねて――いや、この場にいることが退屈なのだろう――次男の利玄が口を挟んだ。
「親父。こういうのはどうだ? 今は婚姻じゃなくて婚約という形にするのは」
「はあ? どういう意味だ?」
「それこそ、そのままの意味だ。利家は分別のつかない若造だ。でも五年も経てば、それなりに落ち着くだろう。だから五年後、改めて婚姻すればいい」
要は猶予期間を設けようという提案である。
利春は顎をさすりながら「五年か……」と思案した。
「流石に十二才ならば子も設けられるな」
「おいおい。十二才に産ませるのか?」
「なんだ利家。不服なのか?」
利春の厳しい目に利家は「不服っていうか……」と言葉を濁す。
「親父も知っているとおり、俺はろくでもねえ奴だ。そんな俺が所帯持ったらとんでもねえことにならねえか?」
「…………」
「それに、まつの気持ちだってある。あの器量だったら、俺以外の出来のいい奴に嫁げるし、何ならもっと位の高い武家に嫁ぐことも――」
言葉を言い終わる前に、利玄が「なあ利家。お前、なに言い訳しているんだよ」とまたも口出ししてきた。
「はあ? 言い訳? 利玄兄、それは聞き捨てならねえな」
「だったらお前にも拾いやすいように言ってやろうか。お前は嫁をもらうことに怯えている」
ずばり心中を言い当てられて、利家は言葉に詰まる。
そんな彼に畳みかけるように利玄は続けた。
「もしかして、自分なんかじゃ幸せにできねえとかなんとか、思っているんじゃねえか?」
「…………」
「そこんところ、お前は勘違いしているぜ」
利家は唇を噛み締め、それから「俺が何を勘違いしているって言うんだ!」と大声を出した。
利玄はそんな弟を見据えながら言う。
「別に幸せにする必要なんてねえよ。婚姻はな、互いに思いやって暮らしていけば、それでいいんだよ」
「……意味分かんねえよ」
「はあ。やっぱガキだな。親父、こいつに婚姻する器量ねえよ。覚悟も度胸もない。だから五年待ってくれ」
二人のやりとりを黙って聞いていた利春。
落胆を感じさせるような深い溜息をついて、利家に言い聞かせるように呟いた。
「そうだな。利家にはまだ早い。わしの見込み違いだった」
五年とはいえ、婚姻しなくて済んだのにも関わらず。
父の利春の失望する様を見せられて。
利家は複雑な胸中になった――
◆◇◆◇
実家から出た利家は、那古野城に戻ることなく、適当にその辺をぶらつく。
周りの村人は前田家のかぶき者と知っているので、避けるか遠目からこそこそ言うのだが、前世でも不良だった彼はそんな反応慣れっこであった。
やるせない気持ちのまま、河原近く歩いていると、川近くで知った顔が必死で何かをしているのが見えた。
近づくと先ほど出会ったばかりのまつだと利家は分かった。
川に向けて長い棒を伸ばしている。
「おい、まつ。何しているんだ?」
声をかけると振り向くまつ。
その目には大きな涙が浮かんでいた。
「どうしたんだ? 涙目じゃねえか」
「あ、あの。そこに仔犬が……」
川の中腹に仔犬が何故か岩の上に座っている。
おそらく上流から流されたのだろう。大人には浅い川だけど、子供や仔犬が入るには深い。既に仔犬の体力は無く岩の上でくぅんと鳴いている。
「ああ、仔犬を助けようとしてんのか。ちょっと待ってろ」
まつが何かを言う前に、利家は躊躇なく川へ入っていく。背が高い利家にしてみれば容易いことだった。
岩の上から利家が仔犬を拾い上げ、そのまま岸に戻る。
まつの顔がぱあっと輝いた。
「あ、ありがとうございます! この子も良かったね!」
仔犬の頭を撫でるまつ。くすぐったそうにわんと鳴く仔犬。
利家も頭を撫でようとすると、仔犬が突然、彼の手を噛んだ。
「いってえ! こいつ!」
仔犬を離して痛がる利家。
まつは仔犬を庇いながら「大丈夫?」と訊ねる。
「この野郎。俺の手を噛むとは、いい度胸だ……!」
「えっと、その……」
まつは利家が仔犬を殺さないかとひやひやしていた。
しかし次の瞬間、利家はにやっと笑った。
「気に入った! こいつ大物になると思うぜ!」
そう言って仔犬を抱き上げて、赤子をあやすように高い高いする。
仔犬はわんわんと言いながら、喜んでいる。
まつはほっとすると共に、利家の優しさに感心していた。
「まつ。どうしてお前、ここにいたんだ?」
仔犬を下ろしてその場に座る利家。
まつは長い髪をかき上げながら「よくここに来ます」と淋しそうに笑った。
「父上がよくここに連れてきてくれました。新しい父上はあんまり私を構ってくれないです」
「そうか。淋しいな」
利家は自分のことを思い出していた。
前世では叔父夫婦に厄介者扱いされ、今では実父に失望されている。
まつは利家が自分に同情してくれるのを驚いていた。
母や新しい父親にそう言っても構ってくれないどころか黙殺される。
数少ない侍女も仕方ありませんと聞いてくれない。
「……利家は、優しいですね」
「あん? どうした急に」
まつがどうしてそんなことを言うのか分からない利家。
彼は女の子に優しくするのは当然だと思っていた。
まつが自分の婚約者であることなど、頭から消え去っていた。
「仔犬を助けてくれたから」
「そりゃあ、まつが困っていたしな」
恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言う利家。
まつは心が温かくなるのを感じていた。
利家とまつは、そのまま仔犬と遊んで過ごした。
しばらくして、仔犬は名残惜しそうにこっちを見ながら、その場を去ってしまった。
「なんだ。あの犬、連れて帰らないのか?」
何気なく利家が訊ねると、まつは首を振った。
「あの子にも、親はいると思いますから」
その横顔は子供とは思えないほど、大人びいていた。
「おっと。もうすぐ日が暮れるな。まつ、家まで送ってやるよ」
「……ありがとう」
黄昏の空。夜の戸張が下りてくる。
利家は立ち上がって、何気なくまつに手を差し伸べた。
「ほら。行くぞ」
利家の手をじっと見つめるまつ。
槍の稽古でごつごつになった手。
だけど温かそうな大きな手。
「……うん。ありがとうございます、利家」
利家の手を握ると、思ったとおりに温かった。
それ以上に優しかった。
利家と手をつなぎながら、まつは考える。
母から聞かされていた婚約者。
それが誰だか知らないけど。
もしもその方が利家だったらいいな。
幼い恋心が芽生えた瞬間だった。
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