第33話青い空の下で
澄み切った青空の下、とんてんかんと大工の音が鳴り響く。
成政は目の前で作られている寺を見ながら、結局救うことは叶わなかったなと後悔に苛まれていた。自分が介錯したわけではないのだが、平手政秀の死は自分が切腹したような痛みを感じる。
あの日、利家が政秀と何を話したのかは知らない。しかし目に見えて落ち込んでいる利家と深い後悔で沈みこんでいる信長を見れば、恨み言を言われたわけではないと推測できた。きっと気遣った言葉を言われたんだろう。
「成政。ここにいたのか」
後ろから話しかけてきたのは、平手政秀に代わって内政の一部を任された村井貞勝だった。以前から成政とは親しい間柄でもある。若いうちから吏僚として活躍しているほど優秀な人物だった。
「村井様。どうしてここに?」
「平手様が吏僚に自身の仕事を割り振っていると、お前に教えたのは私だ。だからおおよそのことは分かる」
村井は成政の隣に並んで、自身の推理を告げる。彼は面長な顔していて線が細い。しかし顔から知性が滲み出ていると見紛うくらい、賢い顔つきをしていた。
「あのときから、平手様は死ぬつもりだった。それを殿に知らせたのはお前だね?」
「……よくもまあ、そこまで推理できますね」
「平手様が自害なさった日、馬屋から殿の馬が消えたことも知っている。これは余計なことだが、馬屋番の者とは仲良くしておいたほうが良いぞ?」
本当に名探偵のようだなと感心する成政。こちらのことを小気味良く言い当てられるのは、いっそ清々しい。
「森殿とお前、そして利家も向かったことを知っている」
「ええ、そうです。俺たち四人で向かいました」
「平手の一族は許されたようだ。これは平手様と殿の話し合いかな?」
「それもそのとおり」
村井は溜息をついて「殿はお優しい」と呟いた。
「目の前の寺も、平手様を偲んで建立されると聞く。確か名前は……政秀寺だったな」
「まあ奇を衒う必要なんて無いですから。殿にしてはまともな名前だと思います」
確か、寺の住職には沢彦宋恩が就くらしいですと成政は付け加えた。
「そうか。ま、沢彦殿も平手様に推挙された身だから、当然と言えば当然だな」
「……村井様。そんなことを話しにここに来たわけではないでしょう?」
成政は隣の村井のほうを向いた。村井は寺の工事を見ながら「そうだな」と呟いた。
二人の間に沈黙が流れた後、村井が「以前、話したことの確認だ」と言う。
「お前に私の娘を嫁がせたい。それは覚えているね?」
「忘れたことはありませんよ」
「しかし、お前が織田家を離れるかもしれないとの噂を聞いた」
成政は根も葉もない噂だと否定しようとしたが、村井には嘘をつけないと思い直して「その噂はまことです」と答えた。
「しかし、かもしれないというだけで、確定ではありません」
「ふむ。随分曖昧だな」
「逆に訊きますけど、その噂は誰からどんな風に聞いていますか?」
村井は内心、やはり武一辺倒ではないなと感じた。
単純に誰からだけではなく、どんな風に聞いたのかも同時訊ねるところが、思慮深さを表している。
「殿から聞いた。平手様が亡くなった日の二日後ぐらいのことだ。お前と私は親しいからね。知っているかもしれないと殿はお思いになられたのだろう」
「……そのとき、殿はなんと?」
「今になって、成政が惜しくなった。しかし約束は守らねばならないとおっしゃっていたよ」
成政は今までのことを認められた気がして胸がすく思いがしたが、同時に心が痛くもなった。
惜しまれていることが重圧に思えたのだった。
奇しくも政秀が欲しかったものを手に入れていた成政だったけど、それを知る術はなかった。
「詳しい話は訊けなかったが、お前は浪人するのか?」
村井の言葉に成政は首を振った。
「その問いは否定でしかありません。私は浪人する気はありませんよ」
「では他家に仕えるのか? しかし同盟している斉藤家とは関わりが無いはずだが……」
しばらくぶつぶつと呟いた後、驚いたように村井は成政を見た。
「まさか、松平家か? 人質の子と親しくなったとは聞くが……」
「やっぱり、分かってしまいますか」
本当に賢くて鋭い人だなと思って苦笑する成政。
こればかりは予想できず、慄く村井を横目で見つつ、成政は言った。
「松平家の当主、竹千代様との約束なんですよ」
「約束……」
「岡崎城主となり、織田弾正忠家と同盟を組む。それが達成されたとき、私は松平家の家臣となる」
そして成政は困った笑みを浮かべて村井に謝罪した。
「すみません。だから村井様の娘、はる殿を嫁にもらうわけにはいかないのですよ」
「…………」
「せっかくの話ですが、断らせて――」
そう言いかけたとき、村井は大笑いした。
まるで遮るような大きな笑い声だった。
「あっはっは! 何を馬鹿なことを言っている!」
「……どうなさったのですか?」
「私は、お前がたとえ浪人となっても、娘を嫁がせるつもりだったのだよ」
これには成政も心底驚いた。論理的な思考をする村井が浪人――実際にはならないのだが――の自分でも娘を嫁がせると言ったのだ。とても正常な判断だとは思えない。
「信じられないという顔だね。私はそれくらい、お前を買っているのだよ」
そう言って村井は成政の肩を軽く叩く。
本当に気軽な仕草だった。
「たとえ他家に仕えても、娘を嫁がせたい気持ちに、変わりはないよ」
村井はそう言い残して、その場を去る。
残された成政はかかしのように突っ立っていることしかできなかった。
◆◇◆◇
政秀寺が出来上がりつつあった頃、信長の元に使者がやってきた。
その使者の主は、美濃のまむしである斉藤利政であった。
「正徳寺で会見をしたいとのことだ」
使者が差し出した手紙を読んだ信長は「急ぎ仕度をせよ」と皆に命じた。
信長の表情は険しかった。政秀が死んで凄みが出たと言う者もいる。
「殿。これは罠かもしれません」
皆が集まる評定の間。
そう進言したのは丹羽長秀である。彼は利政の悪評を知っていた。
自身の主君を追い出して、美濃国を『盗った』男。
戦国乱世における、下克上の体現者――斉藤利政。
「罠だとしても行かねばならん。侮られたら同盟の意味が無い」
信長は一蹴して、可成に言う。
「織田弾正忠家の全てを見せる。長槍と鉄砲隊を多く編成せよ」
「自分たちの手の内を明かすというのですか?」
可成は美濃国からの流れ者であった。ゆえに丹羽よりも利政について詳しい。
彼もまた、利政の危険性が分かっていた。
「舅殿は賢いお方だ。いくら俺が尾張のうつけと言えども、手の内を全て明かす真似はしないと考える。だからこそ、全てを見せるのだ。それ以上の何かがある。そういう幻想を見せるために」
可成は少し疑問を覚えたが、一応筋の通った策であったので「承知しました」と頷いた。
皆が準備のために評定の間を出て行く。
後に残ったのは、利家だけだった。
「なんだ利家。お前も仕事をしろ」
「俺は、殿の考えが読めますよ」
利家も信長と同じ、政秀の死から変わったと言われている。
歳相応に落ち着いた――以前は血気盛んだった――と評されている。
「美濃のまむしに会うのも、長槍や鉄砲隊を見せるのも、理由は一つでしょう」
「ほう? なんだ?」
信長の口元が笑みで歪んでいる。
それに合わせて利家も笑う。
「そっちのほうが、面白いから」
信長は利家の答えに――笑った。
「ふははは! そのとおりだ!」
「あははは! やっぱりですね!」
二人の笑い声は評定の間に響いた。
それを襖越しで聞いていた成政は一安心する。
二人とも、変わっていないな――
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