第32話武士は何のために死ぬのか?
「悪かったな、利家。しかし受けてくれたことは感謝している」
いつも信長の我が侭を聞いているときと同じ、困った笑みを利家に見せながら政秀は言う。
彼ら二人だけになった部屋。そこで最後の語り合いをしていた。
それが終われば――政秀は死ぬ。
「…………」
利家は先ほどから押し黙ったまま、政秀の話を聞いていた。
彼は如何ともしがたい、やるせない気持ちで一杯だった。
どうして政秀が死なねばならないのか。
内応した息子たちが腹を切るべきではないのか。
そもそも切腹は重すぎるのではないか。
政秀の功績を鑑みれば、謹慎でも十分ではないか。
「――利家。きっといろいろな思いが頭を巡っていると思うが、誰も責めてはいけないよ」
政秀が穏やかな声で言うものだから、利家は訊ねてしまった。
「どうしてですか!? こんな不名誉な死に方……」
「不名誉? もしかして利家は、私の切腹を恥だと思っているのかい?」
利家は不名誉とまでは思っていなかったが、明らかに間違っていると考えていた。
死にゆく政秀だけではなく、切腹の許可を出した信長も間違っていると思った。
介錯することは受け入れたが、どうしてもその思いは消えない。
「恥と思っていませんが、まだ間に合うと思っています。こんなくだらないことで死ぬなんて、どうかしている」
正直な胸の内を明かすと、政秀は軽く笑った。
そしてたしなめるように利家に言い聞かせた。
「利家。私は無念のまま、未練を残したまま死ぬわけではない」
「それは、様子を見ていれば分かりますが……」
「ならばこれも分かってほしい」
政秀は真剣な表情で言う。
「私は、満足のまま、何も思い残すことなく、心安らかに誇り高く死ぬのだ」
「なっ……」
「私は嬉しいのだ、利家」
切腹することが嬉しいという発想は、よく分からなかった。
利家だけではなく、その運命を変えようとする成政にも分からないだろう。
「若様が私の死を嘆き悲しんでくれる。息子たちもこれで一層、織田家に仕えてくれるだろう。それに利家、お前に何かを教えて死ねる。なんと喜ばしいことだろう」
「よく分かりませんよ! それのどこが嬉しいんですか!」
政秀は取り乱しかけた利家に「では聞くが、武士とは何のために生きる?」と訊ねた。
利家は立ち上がりかけた姿勢から座りなおして「そりゃ、主君のために生きるんです」と答えた。戦国乱世にしては真っ直ぐな言葉だったが、政秀は頷いた。
「そうだ。それを人は忠義を尽くすという。私も織田家に忠義を尽くして生きてきた。その点では私の生涯に悔いはない」
「平手様、俺は――」
「ではもう一つ訊ねる。武士は何のために死ねる?」
利家の言葉を遮って、政秀は訊ねた。
これから死のうとする者が問うには重い言葉だった。
「……分かりません」
数瞬の後、利家はそう答えた。
彼の頭には『主君のために死ぬ』と浮かんだが、それ言ってしまったら政秀の死を肯定するような気がして言えなかった。
「人それぞれ、答えは違うだろう。その中で、私の答えはたった一つだ」
少しの間、黙ってから政秀は――言った。
「武士は、主君に惜しまれて死ぬのが本分だ」
「――っ!?」
その答えを聞いた利家は絶句した。
あまりに苛烈な考えだったからだ。
武士が死を惜しまれるためには、主君に近い立場にならねばならない。
良くて侍大将ぐらいになれば、覚えもありがたくなるが、真に惜しまれるとなれば、家老になるしかない。もちろん、勇士として戦で活躍し討ち死にすることで惜しまれることもあるが、いずれは忘れられるだろう。家老がいなくなるということは、重職ゆえに家中がまとまらなくなる可能性を孕んでいる。
しかし、その考えに基づけばほとんどの武士は本分を果たしていないことになる。
温厚な政秀から出た言葉とは思えない。
「ふふふ。驚かせてしまったかな」
動揺する利家にあくまでも穏やかに語りかける政秀。
本当に死ぬ間近の男とは思えない。
「私は忠義のために生き、惜しまれるために死ぬ。そこに不満などあるわけが無い」
「でも、そんな生き方、武士としては正しいけど――」
「人として間違っている、か? まあそのために生きていたから、息子たちの内応に気づくのが遅くなってしまったな。若様と同じくらい教育しておけば良かった」
そこだけは失敗してしまったと言わんばかりの言い方だった。
それから政秀は利家に告げた。
「私の生き方や死に方を参考にしなくてもいい」
「……参考になんてできませんよ」
「君は自分の思うまま、生きたいように生きて、死にたいように死ねばいい」
政秀はそこで信長のことを利家に託した。
「これから苦労すると思うが、若様のことを頼む。あの方は短気だが、大きな器の持ち主でもある。少々身内に甘いところがあるが、それもまた魅力だ」
「……かしこまりました」
「うむ。それでは、そろそろやるか」
政秀は上着を脱いで、短刀を鞘から抜いた。
利家は刀を抜いて、政秀の後ろに立つ。
利家は若干震えていたが、深呼吸して自身を落ち着かせた。
「いいと言うまで、斬らないでおくれ」
政秀の言葉に利家は「はい」と短く答えた。
しかしその返答の中に悲しみが混じってしまったのは否めない。
「馬鹿者。泣くでない。私は満足して死ぬのだ」
「お、俺、平手様がいなくなるのは、淋しい……」
この期に及んで、弱音を吐いてしまう利家。
刀を構えたまま、目からぽろぽろと涙が溢れ出す。
全身もがたがたと震えだした。
「どうか、生きてほしいんだ」
「…………」
「今更、俺なんかの言葉で止まらないと思うけど、それでも――」
「ありがとう。利家」
政秀は振り返って利家に微笑んだ。
「お前も、惜しんでくれるとは。望外の喜びだよ」
「ひ、平手様……」
政秀は、再び正面に向き直した。
「――ふん!」
躊躇うことなく、政秀は自分の腹に短刀を突き刺した。
「ひ、平手様!」
「まだ、斬るな……」
そのまま一文字に腹を掻っ捌ぐまで、政秀は利家を止めていた。
利家は顔中を涙で覆っていた。
だけど、刀を握る手は――しっかりしていた。
「……利家、いいぞ」
苦しげでありながら、どこか満足そうな声を聞いた瞬間。
利家の身体は、彼の意識を置いて、ほとんど考えずに。
政秀の首を斬り落とした――
◆◇◆◇
利家は政秀の首を布に包んで、信長たちが待つ部屋に入った。
身体には少なくない血が付着していたけど、気にならなかった。
「殿。終わりました」
無表情の可成、悔しそうな成政、俯く三人の息子。
それらを半ば無視して、上座の信長に政秀の首を置く利家。
「で、あるか……」
信長はそう言って、政秀の首が包まれた布を両手で掴んだ。
険しい顔でしばらく持っていたが、その後静かに下ろした。
「大儀であった、利家」
「…………」
「爺やも、お前に介錯されて……」
そこで信長は何も言えなくなってしまった。
何か言おうとして、何も言えない。
何かを吐き出せば、溢れ出てしまいそうだったから。
「心中、お察しします」
「…………」
利家の言葉にも何も言わずに、静かに涙を流した信長。
「……許せ、爺や」
可成は立ち上がり、成政を誘って、その場から去った。
三人の息子も、黙ったまま立ち去った。
その場には利家と信長だけが残された。
「う、うう、うううう……」
信長は堪えきれずに大粒の涙を流した。
利家も同じく涙を流す。
先ほど泣いたのに、次から次へと流れていく。
「ちくしょう……こんなの、嫌だ……」
「殿……」
「爺や……俺、淋しいよ……」
平手政秀の首の前で弱音を吐露する信長。
利家は何も言わずに見守っていた。
彼もまた政秀の死を惜しんでいたからだ。
◆◇◆◇
平手政秀の死は尾張国だけではなく、近隣の国々にも大きな影響を与えた。
それは同盟を結んでいる、あの男も無関係ではなかった。
「……婿殿に会う必要があるな」
人知れず呟くのは、美濃のまむし、斉藤利政だった――
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