第31話道理と仁義
重苦しい空気が部屋中に広がる。それは集まった面々を思えば仕方のないことだろう。
平手政秀の屋敷の広間で、利家は成政と可成の間に挟まれながら、目の前の三人を睨みつけていた。その三人とは、政秀の息子の五郎右衛門、監物、甚左衛門である。
利家はここに来る道中、成政から事情を聞いていた。無論、詳細というほど聞いてはいなかったのだが、どうやら目の前の三人が自身の敬愛する政秀の去就に関わっているのは理解できた。
そして今、政秀は主君の信長と話し合っている。内容は政秀の今後についてだった。息子たちが敵の織田信友と内応しているとなれば、何らかの処分を言い渡されるのは確実だった。良くて謹慎、悪くて追放が妥当だろうと可成だけは考えていた。
だがそうなった場合、息子たちがどのような行動を取るのか分からない。だから一室に集めて、織田家の中でも武芸に長けている三人が見張っている現状だ。利家はそれを重々承知していた。でも言いたいことが山ほどあるようで、とうとう口を開いた。
「あんたら、恥ずかしくないのかよ」
利家の真っ直ぐな言葉に、監物と甚左衛門は目を伏せた。彼ら二人、内応に対してどこか後ろめたいものがあったようだった。
そんな中、五郎右衛門だけが「尾張の大うつけを見限って、何が悪い」と開き直った。
「道理に外れたことをする者を裏切って何が悪いんだ」
「なんだと? よくもそんな――」
反射的に殴りかかろうとした利家を脇にいた成政と可成が腕を引っ張って止めた。
最年長の可成がどうして真ん中ではなかったのか。その理由を身をもって知った利家だったが、後の祭りである。
「内応を認めるんですね」
あくまでも冷静に問う可成。侮蔑も憤怒もなく、ただ冷静に聞いた。
五郎右衛門は「どうせ全てを知っているのだろう」と言う。
「隠すだけ無駄だ。我らは内応の罪で切腹か追放。分かりきっている」
「潔いですね。裏切り者とは思えないくらいに」
可成の言葉に皮肉が混じってしまったのは、悪びれずに言う五郎右衛門に怒りを覚えたからだろう。
そんな彼に対して「美濃国の流れ者が、我らを責められるのか?」と五郎右衛門が逆に問う。
「貴様だって、主君から離れて別の主に仕えたではないか! 我らとどう違う!」
「……森殿はあなた方とまるで違います」
可成に代わって答えたのは成政だった。彼は努めて冷静に理路整然と説明する。
「森殿は土岐家に仕えていました。しかし当主の土岐頼芸が斉藤利政に追放されて、その利政に仕えることを武士の恥として、尾張国まで流れたのです」
「…………」
「土岐家に忠節を尽くし、仇の斉藤家に仕官しなかった森殿は、決して裏切り者と非難される謂れはありません。あなたがおっしゃるような道理に一切反してもおりません」
五郎右衛門は返す言葉が無いようだった。かつての主君に誠実だった可成と、馬がきっかけで信友に内応した自分。間違っているのはどちらであるのか明白だった
「……そんな話は、どうでもいいんだ」
利家が再び口を開いた。
成政は姿勢を整えるが、どうやら利家にはもうそんな気はないようだった。
「俺が言いたいのは、平手政秀様に対して、あんたらの父親に対して、恥ずかしくないのかってことだ」
五郎右衛門は生唾を飲み込んだ。彼自身、父に申し訳ないとは思っていた。織田弾正忠家の家老としての栄達を汚すような行ないをしていると分かっていた。
「あんたらが内応したせいで、平手様は切腹しようとしていたんだぞ」
「それは――」
「そして今も、殿が説得している。それについてどう思う?」
五郎右衛門は口をぱくぱくさせて、結局何も言えない自分に気づいた。
利家の言っているのは親子の情であり仁義でもあった。それを否定する者に道理を説く資格などない。
「……答えられねえよな。あんたらがしていることは、子供の罪の責任を親に押し付けているのと一緒だ。まるで話にならねえ――てめえら最悪だ!」
最後は吼えるように言った利家。部屋どころか屋敷中に響き渡るほどの大声だった。
「つまらねえ諍いで主君を裏切ろうとしたのも許せねえが、平手様を追い詰めたことも許せねえ! お前ら武士どころか人間でもない、畜生以下だ!」
利家が立ち上がろうとするのを成政と可成は止めなかった。
彼らも同じ気持ちだったからだ。
「てめえらのくだらない考えで、親を、平手様を追い詰めて殺すなんて、俺は絶対に許さねえからな!」
「……利家。もういい」
襖が開いてそう言ったのは信長だった。
その後ろには政秀がいた。
どこか申し分けなさそうな笑みを浮かべて利家を見ている。
そんな彼を見て、利家は何も言えなくなってしまった。
「殿。平手様は、どうなるのですか?」
真っ先にこの場にいる全員が知りたいことを訊ねた可成。
信長は無表情のままで答えた。
「――切腹させる」
「なあ!? 殿――」
抗議しようとした利家を手で制したのは成政だった。
利家が素直に止まったのは、成政の手が震えているのに関係があった。
「理由を訊ねていいですか?」
「五郎右衛門らの内応の罪を自分の死をもって償いたい。そう爺やが言ったからだ」
五郎右衛門たちの顔色が蒼白となった。
利家は納得できずに「なんでだよ!」と怒鳴った。
「平手様は、何も悪くねえ! そうだろ、可成兄い、成政!」
「……しかし、筋は通っていますね」
可成は無感情に言う。
成政は何も言わなかった。
「ふざけるなよ! いくら筋が通っているからって――」
「利家! 少し黙れ!」
信長が利家と比べ物にならない大声で怒鳴り返す。
迫力に押さえて黙ってしまった利家を一瞥して、信長は五郎右衛門たちに言う。
「信友に寝返りたいのならすればいい」
「…………」
「だが、爺やの死に免じて、内応の罪は不問にしてやる。そのまま俺に仕えてもいい」
寛大――否、そうではないと成政は分かった。
一生涯、自分の父親の死の原因が自分にあると自覚し、その発端となった主君に仕えるのはどれほど苦しいのだろうか。
想像もできないほどの責め苦だろう。
「それから、利家。お前に命ずる」
信長は自分の腰から刀を鞘ごと取って、利家に差し出した。
「お前がやれ」
「……どういう、意味ですか?」
「そのままの意味だ。爺やの切腹の介錯をしろ」
利家の全身が震えだした。
怒りでも悲しみでもなく、純粋に恐怖していた。
「……そんなこと、できません」
主君の命に背いた利家に、信長が険しい顔で言った。
「爺やがお前に介錯してほしいと言ったんだ」
その言葉に信長の後ろにいた政秀を見る利家。
彼は穏やかな顔で頷いた。
これから死ぬとは思えないほど優しい顔だった。
「やらぬのであれば、俺が介錯する」
今度は信長のほうを向いた。
険しい顔を崩さないが、長い付き合いになる利家は分かってしまった。
今にも泣き出しそうな表情をしていると。
「頼む利家。爺やを介錯してやってくれ」
ここで信長は主君にあるまじき行ないをした。
家臣の利家に頭を下げたのだ。
「俺は爺やを既に殺している。自害を認めたときにな。しかし、二回も殺したくない」
「と、殿……」
「俺と一緒に、爺やを殺してくれ」
その姿勢と言葉に、利家は覚悟を決めた。
信長が哀れに思えた。
政秀も哀れに思えた。
だからこそ、自分がやらねばならないと思った。
「分かりました……」
震える手で刀を掴んだ利家。
受け取った刀はとても重くてずっしりとした。
「利家、すまないな」
政秀は近づいて利家の肩を叩いた。
利家はただ呆然と政秀の顔を見ていた。
「少し話そう。お前に伝えておきたいことがあるのだ」
まるで高い山を登って、頂上に辿り着いたような、晴れ晴れとした顔で政秀は言った。
利家には、政秀がこれから死ぬ人間とは思えなかった。
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