第34話正徳寺の会見
「なんと見事な……!」
斉藤利政は驚愕と同時に感心もしていた。それは美濃のまむしと恐れられている自分の誘いに乗ったからではなく、また三間半の長槍と大勢の鉄砲隊を信長が率いているからでもなかった。
それは整然と行軍する馬廻り衆が理由であった。一糸乱れない動き、一人一人の鍛え抜かれた身体、前だけを見据える集中力。おそらく信長の命令であれば、躊躇無く死地に向かうであろう覚悟も備えている。
まさに理想的な軍勢であった。もしもこの気構えを持った者たちが数千もいたら、どんな敵でも打ち破ってしまうだろう。
彼らを信長が通るであろう道近くの民家で見ていた利政は、前述のように驚愕と感心を覚えていたが、それ以上に嬉しくもなった。自分の娘を嫁がせた婿が尾張の大うつけと呼ばれる愚か者ではなく、優れた人物だと知ったからだ。
まるで、わしの若い頃を見ているようだ――いや、それよりも上かもしれん。
「殿。そろそろ正徳寺に参る時間です」
「分かっておる。急ぐぞ十兵衛」
利政は家臣に促されて民家の裏口から出た。
遠目から見た婿らしき男は半裸であった。
礼儀はさほどないようだなと思いつつ、利政は馬に乗った。
◆◇◆◇
「成政よぉ。本当にまむしが見てんのか?」
「ああ。間違いない。どこかの民家で隠れて見ているに違いない」
馬廻り衆でも信長の近くにいる利家と成政は、先ほどから近くの民家に睨みを効かせていた。もしも民家に潜んで信長を討つ策を企てていたら危うい。そう成政は利家に言っていた。
利家だけではなく、毛利新介や服部小平太にも言っておいた。その二人は前方で警戒してくれている。成政以外は半信半疑だったが、それでも警戒を怠らないところを見ると、信頼されているのは分かる。
「そのことは殿にも知らせたのか?」
「まあな。しかし殿は大きなお方だから、まったく気にしていないようだ」
ちらりと信長の方向を見る成政。
彼はのん気に美濃柿を食べていた。しかもいつものだらしない半裸姿で。
「殿はあの調子か。でもよ、あんな姿じゃまむしも怒るんじゃねえの?」
「安心しろ。ちゃんと直前で着替える手はずになっている」
成政は「そして会見のときの利政の格好を見れば、潜んでいたことは分かる」と成政は言う。
利家は怪訝な顔をした。
「よく分からねえから、ちゃんと順を追って話せ」
「自分の娘を嫁がせた男が挨拶に来る。お前だったらどんな服を着る?」
利家は首を捻ってから「まあ普段と一緒の服だな」と非常識なことを言い出した。
「それか物凄くかぶいた服――」
「お前だけだよそれは。まったく、馬鹿に訊くんじゃなかった」
「なんだと!」
「普通はきちんとした格好をする。つまり正装だな。しかし殿を見た利政は、どう思うかな?」
利家はまた問いかよと思いつつ「普通は正装なんてしねえな」と答えた。
「相手が崩した服だったら、自分も合わせるか略服にする」
「なんだ。ちゃんと考えられるじゃないか」
「お前今、俺を馬鹿にしたのか?」
「いいや。褒めたんだよ」
「それこそ、いいやだ。てめえの褒め言葉は嫌味が八割混ざっている」
成政はそれを無視して「お前程度が考えることは利政も考えるということだ」と皮肉を交えながら説明を続ける。
「利政が略服で十分と考えるのは自然だ。だから会見のとき略服であれば、民家に潜んで見ていたということになる」
「……まあ納得できるけどよ。そんな回りくどい説明するな」
「だから最初に『会見のときの利政の格好を見れば、潜んでいたことは分かる』とお前にも分かるように言ったじゃないか」
「それだけで分かってたまるか」
二人がそんな会話をしていると、軍勢は正徳寺に到着した。
利政との会見は信長の他に可成、そして丹羽が同席するらしい。二人は詰め所で待機することになった。
「さっきちらっと見たけどよ。まむしの奴、略服だったぜ」
「本当か? だったら成政の言っていたとおりだな」
新介と小平太の言葉に、利家は相変わらず変なところに頭が回る奴だなと、成政を横目で見た。成政はいつ何が起こっていてもいいように、壁にもたれて立っていた。
「織田家の皆々様。今日はご苦労様でした」
そう言って簡単な食事を持ってきたのは、若い男であった。若いと言っても利家と成政よりはだいぶ歳が上で、知性溢れる顔つきをしているが、どこか油断ならないような、それでいて小心そうな印象を受ける、額の広い男だった。
「どうか召し上がってくだされ」
「おお、ありがてえ!」
小平太が真っ先に握り飯をぱくりと食べた。
成政は群がる馬廻り衆を見ながら、毒でもあったからどうするんだと考えていた。
「そちらの方はいかがですか?」
すると男が目聡く成政に食事を薦める。
成政は額だけではなく視野も広いなと、失礼なことを思いつつ「私は結構です」と断った。
「おいおい成政。毒なんて入ってねえよ」
既に三つも平らげた利家が笑いながら言う。
その言葉に、何も考えなかった馬廻り衆の面々は顔を見合わせる。相手は美濃のまむしの家臣。毒が仕込まれていたら自分たちは死ぬ。
「お、俺、もういいや……」
「俺も……」
「うん? どうしたんだ? 遠慮するなよ」
利家ののん気な声に成政は頭を抱えた。
「お前のせいだよ……」
「はあ? 俺のせい?」
「毒なんて入れませんよ」
利政の家臣はにこにこ笑いながら――それが胡散臭そうに見えると成政は思った――自分も握り飯を掴んで大きな一口で食べる。
「もし毒が入っていたら、食べられませんよね?」
「……あなたの名前は?」
成政の問いにその男はにこにこ笑って答えた。
「申し遅れました。私は明智十兵衛光秀と申します」
「なに!? 明智!?」
顎が外れるくらいにあんぐりと口を開けて驚く成政。
利家と他の馬廻り衆、そして光秀はどうして驚くのか分からなかった。
「はあ……私のことを知っておられるのですか?」
「……いや、なんでもない」
成政は明智光秀はこのとき、斉藤家に仕えていたっけと考えながら、どかどかと近づき、光秀が用意した握り飯を掴んで食べる。周りの者は顔を見合わせた。
「あなたが用意した握り飯なら、食べられますね」
「はあ。それは光栄ですね……」
「……確か、鉄砲の名手としてその名は知っている」
言い訳のように聞こえてしまうかもしれないと成政は思ったが、光秀は喜色満面になって「それは嬉しいですね!」と言う。
「尾張国まで私の名が知れ渡っているとは! 望外の喜びですよ!」
「いや、私がたまたま知っていただけです。利家、お前は知らないよな?」
成政は何気なく利家に訊ねると、彼は首を捻って「どっかで聞いたような……」と不思議そうな顔をした。その様子に成政は不審に思う。
「まあどっかで聞いたんだろう。結構な有名人だぜ、あんたは」
「喜んで良いのか分からないですけど、とにかく信用していただけたようですね」
そう笑う光秀に成政は考える。
今なら殺せるが、そうなれば自分も切腹しなければならない。
しかし殺さなければ、信長はいずれ――
「そういえば、まだあなたの名を伺っておりませんね。成政、というのがあなたの名ですか?」
屈託の無い笑みで光秀は成政に訊ねる。そんな悪意のない表情に成政は思わず殺意が削がれた。
「佐々成政といいます」
「ほう。佐々殿か。握り飯を食べてくれたので、あなたとは仲良くなれそうですね」
そう言って光秀は軽く頭を下げた。
「斉藤家と織田家は同盟国であり、味方です。今後ともよろしくお願いします」
成政はなんと応えるべきが、しばし悩んでから同じく頭を下げた――
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