第3話内蔵助という少年

 信長の初陣は六日後に行なわれた。何ゆえ六日後なのかというと、陣触じんぶれに要した時間がそれだけかかったからだ。

 陣触れとは家臣や領民に戦をすると通達し、必要なだけの兵を招集することである。数日かけることが常であり、信長は犬千代や内蔵助たちに「戦の準備は面倒だな」と苦笑して零した。


 さて。準備を整えた信長の軍は吉良大浜城へと出陣した。その城は今川家と言っても家臣の家臣、つまり陪臣が治める城で、尾張国の隣、三河国に築かれていた。初陣は儀式的な意味合いが大きく、ただ包囲して様子を窺いつつ、頃合を見て退却すれば上出来であった。しかし信長の性格上、それで終わるとは思わない者が数名いた。


 一人は信長に攻めるように命じた、織田弾正忠おだだんじょうのちゅう家の当主であり、彼の父親の織田信秀。

 一人は信長の教育係であり、今回の戦に従軍している平手政秀。

 そしてもう一人は――内蔵助であった。しかし彼は従軍していない。信長が敵城に着いたとき、彼は仲の悪い犬千代と一緒に、那古野城の庭先で掃き掃除をしていた。


「あーあ。俺も一緒に行きたかったぜ」

「文句言わずに手を動かせ」


 連れてもらえなかった犬千代が、先ほどから何度も同じ愚痴を言っているのを律儀に返しつつ、竹箒で掃除し続ける内蔵助。内心、自分が出陣してもまだ手柄を立てるところまで成長してないと自覚していたので、安心していた。


「けっ。何が嬉しくてお前と庭掃除しなきゃいけないんだよ」

「……喧嘩売っているのなら買うぞ?」

「あぁん?」


 二人きりなので、止める者はいない。他の者は別の仕事をしていていなかった。しかしどうして相性の悪い二人を組ませたのか。理由は信長にあった。


「なるべく二人を一緒に行動させろ。そっちのほうが面白いぞ」


 犬千代と内蔵助。二人が争う様子がとても気に入ってしまったらしい。初対面で仲良くしておけと命じたのは一体なんなのか。おそらく彼独特の気まぐれなのかもしれない。


「はあ。もういい。お前と話していると疲れる」


 内蔵助は面倒になって、庭に置かれた岩に腰掛けた。もう掃除は終わっていたので犬千代も黙って離れた岩に行儀悪く座った。まるで武士に見えず、かぶき者そのものだった。

 内蔵助は思う。こいつが本当にあの『前田利家』になる男なのかと――



◆◇◆◇



 内蔵助は未来から転生した、前世の記憶を持つ者である。しかもはっきりと記憶が残っている。大半は思い出したくないことだが。


『――――、ここにご飯、置いておきますからね』

『…………』


 彼は引きこもりだった。小さい頃から内向的な性格をしていて、人と打ち解けることはなかった。だから、高校から家にずっとこもっていた。


『――――はどうしようもないな。あれは失敗作だ』

『…………』


 父親に見下され、母親も諦めた目でずっと自分を見続けていた。彼は自分の好きなこと――歴史ゲームや歴史小説に耽溺することで逃避していた。そのおかげで人並み以上の歴史の知識があった。


『……もう、いいや』


 彼が自殺を決意したのは、十七才の冬だった。理由は定かではない。ただもうどうでも良くなったのだ。一応、両親に宛てた遺書――謝罪文と言い換えてもいい――を書いてから首を吊った。


 彼が物心ついて最初に思ったのは、どうして自分が『佐々成政』なのかということだった。好きだったゲームでもぱっとしない能力値と知名度。そして悲惨な末路が待っていることを彼は知っていた。


 もしも神様がいるのなら、相当の意地悪だと彼は思った。もしくは自分を嫌っているのだ。

 だったら――もうどうでもいい。史実どおり生きてたまるか。自分は、絶対に、幸せになってやると彼は決意した。



◆◇◆◇



「なんだてめえ。じろじろ人の顔見やがって」

「なんでもない」


 内蔵助はこいつが前田利家なら、仲良くしておくべき男だと理解していた。しかし、初対面でのやりとりですっかり険悪になってしまった。それに犬千代は内蔵助を嫌っているようだが、内蔵助も犬千代のことを毛嫌いしていた。


「なあ、内蔵助。てめえに訊きたいことがある」


 居心地の悪い沈黙が続く中、犬千代が珍しく話しかけてきた。それは目を合わずに空を見上げながらの問いだった。内蔵助は無視しようと思ったが、気になって「なんだ?」と短く応じた。


「尾張国はどうして一つにまとまらねえんだ?」

「はあ? そりゃ、争っているからだろ?」

「そんなこと、分かってる。俺が訊きてえのは、織田家同士で争っている理由だ」


 内蔵助は犬千代の意外な問いに驚いた。物を知らないという意味もあるが、どうして今更興味を持ったのか、疑問に思った。


「何故、理由を知りたいんだ?」

「うるせえ。訊かれたことに答えろ」


 内蔵助はなんだこいつ朱槍で自害しろと腹が立ったが、やることもないので教えてやることにした。


「織田家と言っても、同じ一族じゃないんだよ」

「あん? そうなのか?」


 内蔵助は岩から立ち上がり、木の枝を取って地面に図を描き始めた。犬千代はそれを黙って見ている。

 まず、図の上位にひらがなで『しば』と書き、その下に『やまとのかみけ』と『いせのかみけ』と書き加え、さらに『だんじょうのちゅうけ』を『やまとのかみけ』の下に書いた。


「いいか? まず尾張国の守護は斯波氏だ。守護は分かるな?」

「ああ。国の主みたいなもんだろ」


 正確にはちょっと違うが、まあその理解でいいだろうと内蔵助は説明を続けた。


「それで、斯波氏の下に織田大和守家と織田伊勢守家がある。いわゆる守護代――守護の家臣だ。それで、織田大和守家の下に私たちが仕える織田弾正忠家が位置する」

「えーと、つまり今争っている織田家とは違うんだな」

「ああ。言い方を悪くすれば、他家と比べて格下だ」


 すると犬千代は「家臣だったらどうして敵対しているんだ?」と根本的な問いをした。


「俺はその三つの家が俺たちを排除しようとしていると聞いたが」

「下克上――取って代わられることを恐れているんだよ」


 犬千代は「ははーん。ようするに臆病者ってことか」と自分でまとめた。内蔵助はそのとおりだがそんな簡単なことではないと思っている。


「だったらよ。そいつらぶっ飛ばせばいいだろ」

「馬鹿。そんな簡単に行くものか。第一、大義名分がなければ兵や領民は従わない」


 この場合の大義名分とは上役を排除する名目のことである。


「それに今の当主であられる信秀様は斎藤家や今川家に勝つことで力を示し、国中の信望を集める方針を取っている」

「回りくどいやり方だな」

「確かに時間はかかるが、尾張国を疲弊させないやり方でもある」


 犬千代はしばらくじっと図を見ていたが、ふいに「内蔵助」と名前を言った。


「今度はなんだ?」

「若は、どっちのやり方をすると思う?」

「どっちって……大義名分で三つの家を排除するのか、それとも信秀様のやり方を踏襲するのかってことか?」


 犬千代は内蔵助を見ながら頷いた。

 内蔵助は史実を知っているので、はっきりと答えた。


「まあ、前者だろうな」

「そうか……だったら、休んでる暇はないよな」


 犬千代は岩から立ち上がって肩を回しつつ「槍の稽古してくるわ」と言う。


「おいおい。掃除はどうする?」

「もう終わってるだろ。それによ、俺は強くなりたいんだよ」


 そう言い残して、さっさと言ってしまった犬千代。

 そんな彼の後ろ姿を見ながら内蔵助は溜息をつく。


「なんだあいつ……やっぱり馬鹿なのか?」


 内蔵助は知らない。犬千代が何故、強さを求めるのか。

 それは未来の知識をもってしても、まったくの不明であった。

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