第4話沢彦宋恩

 信長が初陣を無事に終わらせ、帰還したとの知らせを仲間から受けた犬千代は、すぐさま那古野城に登城した。戦の詳細を知りたいのと腑に落ちない点を信長から聞くためだった。しかし、信長は城にはいなかった。


「若……どこいっちまったんだ?」


 城内をうろうろ探し回っていると、同じく額に汗をかきながら信長を探している様子の平手政秀に出くわした。


「平手様。若を探しているんっすか?」

「おお、犬千代か。そうなのだ。一体、どこに行ってしまわれたのか……」


 初陣を終えた後は、気力も体力も使い果たしているはずだと犬千代は思っていた。しかし城内を探してもいないとなると、もしかしたら城の外にいるのかもしれない。


「平手様。俺、外を探してきます」

「ああ、頼む。わしはもう少し、城を探す」


 犬千代はさっそく外に行こうとする。そのとき、平手が思い出したように「あ!」と声を上げた。


「どうしました?」

「もしかすると沢彦宋恩たくげんそうおん殿の元にいるかもしれん」

「なんですそいつは。坊主ですか?」


 平手は「わしが招いた僧侶だ」と答える。そして犬千代に在所を教えると足早に信長を探す。

 犬千代は半信半疑でありながらも言われた場所へと向かった。



◆◇◆◇



 言われた場所は綺麗に掃除された家だった。周りには家が建っていない。獣道のような街道沿いにあって、庭には小さな畑が設けられていた。

 こんなところに信長がいるのだろうかと疑いつつ、犬千代は「御免!」と大声を出しながら入る。すると玄関の扉ががらりと開いた。


「なんだ小僧。何用だ?」


 高圧的に物を言う坊主だなと犬千代は思った。背丈はさほど無く、見上げる目つきはとても悟りを目指す僧侶ではない。頭はつるっと剃られていて、思わず悪ガキが触りたくなるような、不思議な魅力があった。


「俺は織田家陪臣、前田家が四男の犬千代だ。若はいるか?」

「ふん。信長の家来か。さっさと入れ」


 犬千代は子どもとはいえ一城の主である信長を呼び捨てする坊主にかちんときた。しかもこちらが名乗ったというのに名乗り返さないのも腹が立った。


「おいてめえ。若を呼び捨てすんな。それによ、名乗った奴に対する礼儀がなってねえ」

「名付け親が呼び捨てして何が悪い? それにお前の名など訊ねとらんわ」


 この坊主、ムカつくぜと犬千代は思ったが、信長に会うまで我慢しようと拳を握り締めた。

 中に入ると居間に通された。そこでむしゃむしゃ湯漬けを食べていた信長を見つけた。犬千代が「若!」と声をかけると信長は嬉しそうな顔をした。


「おお、犬千代か! よくここが分かったな」

「平手様にここを聞いたんだよ」

「なるほどな。とりあえず、お前も食わんか? おい、沢彦! 湯漬けをくれ!」


 沢彦と呼ばれた僧侶は「わしは料理屋ではないわ!」と文句を言いつつ、犬千代の分の湯漬けを用意した。せっかくなので犬千代は信長と一緒に湯漬けを食べることにした。差し出された湯漬けには香の物が多く含まれている。


「味が濃いな」

「俺の好みだ。美味いだろ?」

「まあ、不味くはない」

「ふん。小僧が言いよるわ」


 ご馳走してもらっている身なので、文句は言えない。湯漬けを平らげた犬千代は信長に「どうして那古野城にいなかった?」と訊ねた。


「沢彦に用があってな。それでここに来た」

「初陣を済ませた後に、何の用があるんだ?」


 犬千代の問いに信長は「ああ、そうだった」と沢彦のほうを見た。そしてにかっと笑う。


「こたびの戦、どうだった?」


 沢彦は自分で淹れた茶を飲んで「うつけらしい戦、だったな」と一言言った。

 すると我慢の限界を超えた犬千代が「てめえ、ふざけんな!」と怒鳴る。


「さっきから黙って聞いてりゃあ、いい気になりやがって!」

「なんだ小僧。やるのか!?」

「おう上等じゃねえか! 表出ろこの糞坊主――」


 口上を言い終わる前に信長が「やめろ犬千代」と得意の拳骨を食らわした。じんじんと痛む頭を押さえながら「な、なんで……」と漏らす犬千代。


「沢彦と喧嘩するな。それにだ。俺が望んだ評価でもある」

「……望んだ評価? ああ、そういえば若に訊きたいことがあったんだ」


 犬千代はようやく頭の痛みが無くなった頃合を見て信長に問う。


「どうして、敵城を攻めなかったんだ?」


 聞いた話では信長は無理攻めせずに、周囲を焼き回ったり、城近くで野営したりして様子を窺ったらしい。それを聞いて犬千代は信長だったら落とすまで帰らないと思っていたのだ。


 実のところ、そう思っていたのは犬千代だけではなかった。信長の父の信秀や教育係の平手、そして未来知識のある内蔵助も同様に考えていた。しかし信長の行動を知って――平手はともに行動して――三人とも肩透かしを食らったのだった。


「ああ。落とそうと思えば落とせた。だがそうしなかったな」

「それは何故だ?」

「うつけに見えていたほうが、得だからな」


 犬千代には言っている意味が分からない。うつけに見られることが得という考えは前世でもなかった。馬鹿にされたら叩きのめしてきた。見栄のために不利な喧嘩に挑んできた。そんな人生を歩んだ犬千代には、まったく理解できなかったのだ。


「小僧。わしが教えてやる」


 偉そうに言ってきたのは沢彦宋恩。彼は信長を指差しながら「この男。うつけのふりをしているが、実のところ賢い」と説明する。


「だが賢い者は警戒される。強き者は周りに結託されてしまう」

「……ああ、そうだな」


 犬千代の脳裏には、たくさんの敵に囲まれた前世の記憶が浮かんだ。


「だがうつけのふりをすれば、警戒もされず、結託もされない。織田弾正忠家はただでさえ敵が多いのだから」

「つまり油断させるために若はうつけのふりをしているのか?」

「なんだ。見た目より賢いではないか」


 一言多い、口の悪い坊主だなと思いながら犬千代は信長を見た。彼は寝そべっていて、二人の会話を聞いているのかいないのか分からない。


 犬千代は信長に対して姿勢を正して「若、教えてくれ――じゃねえ、教えてください!」と懇願した。信長はそんな彼を珍しく思いながら「何をだ?」と応じた。


「若は――尾張国を統一するために、そんな振る舞いをしているんですか?」

「……違うな」


 信長は起き上がって犬千代の目を見て、彼にしては丁寧な姿で答えた。


「戦国乱世を終わらせるために、天下統一をする」

「て、天下、統一……?」

「尾張国を獲るのは、その手段に他ならない」


 信長は自らの目標を犬千代に語った。この時代、誰もが夢見たことであり、誰もが諦めたことを恥ずかしげもなく、大きな声で言う。


「肥沃で豊かな土地である、尾張国を手中に入れれば天下を見据えられる。今は小さな勢力だが、いずれは大きくなれる。俺は――そう信じている」

「わ、若……」

「お前も手を貸せ」


 信長は立ち上がって犬千代に右手を差し出した。


「俺を助けろ。日の本を戦乱のない、一つの大きな国にするために」

「…………」

「どうだ? 俺の家臣として戦ったら――楽しいぜ」


 犬千代の心に熱いものが流れた。前世でも今までの人生でも、こんな熱いものは感じたことは無かった。

 そして、信長の自由であることの秘密が分かった。発想が常人では計れないところ、それを実行する行動力、何より意を押し通す強い心があったのだ。


 犬千代はずっとこれを求めていた。前田家の四男として生まれたときも、前世で不良となったときも、そういう風になりたいと思っていたのだ。


 もしかすると、目の前の信長について行けば、辿りつけるかもしれない。求めて止まなかった、言葉にできない何かに――


「ええ、ついて行きます――若」


 犬千代はその手を取った。そして握る。信長はそんな犬千代を見て笑った。それは欲しいものを手に入れた子どものような純真無垢な笑顔だった。

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