2.

 私の名は、薪舟まきふね滝基ろうき。四十三歳。

 両親は既に他界し、妻も早くに亡くした。

 娘の紗代子さよこが唯一人の家族だ。

 フリーランスの記者ライターをやっている。

 専門はオカルト。

 東の池に恐竜が出たと聞けば行って写真を撮り、西の森にUFOが落ちたと聞けば行って目撃者を探す。

 幽霊、妖怪、宇宙人、超能力者、闇の歴史、予言の書、陰謀論……オカルト・マニアが喜びそうな取材ネタがあれば、日本中どこへでも行って記事を書く。

 もちろん多くはガセネタだ。見間違い、思い込み、創作、いたずら。

 それでも締め切りまでにキッチリ記事を仕上げてオカルト専門出版社の編集部に送る。

 こじつけ、水増し、過去の記事の焼き直しを駆使して与えられた文字数を埋める。

 こちらから企画を出版社に持ち込む場合もあれば、出版社の方からネタを提供され取材を始める事もある。

 今回は、編集部から振られた仕事だった。

 十年前に引退した女優へのインタビューだ。

「ど……んな……し……ごと?」

 食事を終え、食器を洗った紗代子が、新たなコップにオレンジジュースを注ぎながら私に問いかけた。

濡英うるはなこころの自宅でインタビューするんだ」

「じょ……ゆ……う……さん?」

 相向いのソファに戻りながら娘が重ねていて来た。

 少し驚いた。

「ほう、紗代子でも知っているのか」

「な……まえ……だけ。あんま、り……く、わ……しくない」

「まあ、そうだろうな。彼女が引退したのがちょうど十年前だから、紗代子が五歳の時だ。天下の大女優だって引退して十年もてば『過去の人』になるさ」

 私はアイパッドを操作してその女優の写真を表示させ、娘に見せた。

濡英うるはなこころ……プロフィールの生年月日に嘘がなければ、今年でちょうど五十歳のはずだ。父さんが今年で四十三歳だから、七歳年上だな」

 娘と話すとき、私は自分自身を『父さん』と呼ぶ。

「たしか映画デビューが……ええと」

「じゅ……ご……さい……だ……って」紗代子がアイパッドを指さして言った。

「そうすると父さんが八歳の時か。もちろん当時の事は覚えていないけど、資料によると、とにかく鮮烈な映画デビューだったらしい」

「き……れい……な、ひと」

「だろう?」と私はうなづいた。心の中では娘の方が何倍も綺麗きれいだと思っていたが。

「でも彼女が映画界で脚光を浴びた理由は美貌だけじゃなかったんだよ。演技が素晴らしかったんだ。むしろ玄人筋に注目されたのは彼女の顔やスタイルじゃなくて演技力の方だって言われている。父さんも大人になってから濡英うるはなの主演映画を何本か見たけど、まさに登場人物が憑依したみたいだった。あれを『神懸かみがかっている』って言うんだろうな。彼女こそ『天才肌の芸術家』と呼ぶにふさわしいと思ったよ」

「ど……うし……て……」

 そこまで言ったところで紗代子は考え直し、自分の携帯電話を取り出して画面上で指を滑らせ文字を入力した。

 携帯にインストールされているテキスト読み上げソフトが、ぎこちない合成音で喋りだす。

「ドウシテ、ソノ女優サンニ『インタビュー』ヲ、スル事ニナッタノ? 父サンノ専門ハ『オカルト 』デショウ? 芸能関係ノ記事モ引キウケル事ニ、シタノ?」

 私も紗代子も手話を学んでいるが、不甲斐ないことに、私の手話能力は表現も読み取りも低いレベルに留まっていた。

 だから紗代子は、発声が困難な単語や複雑な文を表現したいとき、しばしば携帯電話の読み上げソフトを使った。

 訓練の賜物たまものなのか、それとも今どきの少年少女たちにとってはそれくらい出来て当たり前なのかは知らないが、とにかく彼女は物すごい速度で携帯に文字を入力できた。だから読み上げソフトを介したコミュニケーションにほとんど支障は無かった。

 それにこの方法なら、手話のできない人たちにも理解してもらえる。自分の意思を伝えられる。

「相手が引退した女優だからって、芸能記事だとは限らないさ」私は仕事用のノートパソコンを出してテーブルに置き、画像ファイルを表示させ、娘に見せた。

 夕方、暗くなり始めた空と海の写真だ。海の真ん中あたりに、発光する物体が写っている。

「編集部に送られてきた写真だ。この送り主が濡英うるはなこころなんだ。ふと自宅の窓から海を見たら奇妙なものが見えたんで、あわてて写真に撮ったらしい」

「コノ光ッテイル物ノコト?」

「そう。編集部で大きさを概算してみたら、海上に出ている部分だけで五メートルという結果が出た。水中に隠れている部分がどれくらいの大きさなのかは分からないってさ」

「大型の烏賊イカジャナイカナ? 烏賊ッテ、発光スルンデショウ?」

「ダイオウイカに発光能力は無いよ。もし烏賊だとしたら、彼女は新種を発見した事になる。そうなれば大センセーション間違い無しだ。『引退した大物女優、新種の巨大生物を発見か!』ってね。いずれにしろこれは父さん向きのネタ、未確認生物、UMAだよ。上手くいけばこのネタで新書の一冊くらい出せるかもしれないぞ。そうなったら印税で寿司を食いに行こうな」

「オ寿司ノねたハ、大キナ光ル烏賊?」

 紗代子の携帯が言うと同時に、彼女はクスクスと笑った。

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