One week later(中)

 局長室を出たときにはちょうど正午。何処かに行っているらしいミツルくんには会うことなく、俺はそのまま退局する。その足で真っ直ぐアーシュラたちの住むセキュリティマンションへ。ドアを開けると、アスタとメイは既に荷物を纏めていて、アーシュラと別れを惜しんでいるところだった。


「長いこと、お世話になりました」


 揃って丁寧に頭を下げる二人を見て、アーシュラはぎこちなく笑った。普段多くの他人と関わり合う生活は送っていないものだから、二人がいなくなることをきっと寂しく思っているのだろう。


「よかったら、また遊びに来てね」


 名残惜しい、とばかりにメイの手を取るアーシュラに、メイはさっぱりした笑顔を投げかける。


「はい、是非」


 それからアーシュラとアスタは握手を交わし、互いの健康を祈って出発となった。俺はセントラルの駅まで彼らを送っていくことになっている。


「あ、そうだ、アーシュラ」


 二人に続いてドアを潜る直前、ふと思いだして振り返る。不思議そうな顔をした彼女に、さっき思いついた悪巧みをこそっと耳打ちした。

 涙を堪えていたアーシュラの顔が、ぱっと明るくなる。


「任せておいて。……キアーラにも伝えておく」

「頼んだ」


 後のことはアーシュラに任せ、待たせていた二人の荷物を持って駅へと向かう。どちらも突然身一つでアーシュラたちの家に転がり込んだ身だから、荷物は恐ろしく軽い。女の子だからかメイのほうが荷物が多いが、それでも小さなリュックに入る程度だ。アスタなんて、せいぜい着替えと下着くらいなものかもしれない。

 マンションの傍のバス停でバスに乗り込み、十分ほど。如何にも近代的な丸っこいガラスの駅舎の前で降りる。


「本当にここでいいのか?」


 改札の前で荷物を返しながら二人に尋ねると、メイが頷いた。


「ここでいいわよ。アスタと私、方向逆だし」


 アスタはここから南のディタ区、メイは北のバルト区に向かう。今ここに一人しかいない俺は、両方に付き添うことはできないし、一方を送ってからもう一方というのも手間のかかる話なのは確かだった。

 仕方ないか、と肩を落とす。


「またなんか困ったら、連絡しろよ」

「いいよ、そんな」

「そうね。いざというときは、当てにさせてもらう」


 遠慮するアスタと有り難く受け取るメイ。正反対の反応に、三人で顔を見合わせて噴き出した。


「それじゃあ、元気で」


 二人が改札から駅内に入っていく。人並みに呑まれていくのを見送ってから、駅に背を向けた。名残惜しくて足取りはゆっくりとなりつつあるが、反面一つ荷物を下ろした解放感がある。少し寂しい気はするが、二人が日常に戻れるのは良いことなんだよな。そう自分に言い聞かせて、携帯を取り出す。着信したメールの内容を確認して買い物へ。

 食材とちょっとした小物を購入して、アーシュラの家へと戻ってきた。


「お疲れ様」


 エプロンをしたアーシュラが、ぱたぱたと玄関まで迎えに来てくれる。それから買い物袋の中身を覗き、うん、と頷いた。


「ありがとう。これで足りるわ」

「どういたしまして。なんか手伝うか?」

「お願い。キアーラがいないから、料理を作るのがいつもより大変で。間に合うかどうか不安なの」

「合点」


 荷物をキッチンまで運ぶと、アーシュラの指示のまま料理を手伝った。アーシュラの言う通り、キアーラがいないから、普段やるような簡単な作業だけでなく、調理まですることとなった。

 作業の途中、時折アーシュラが手を止めて誰もいないモノクロのリビングに目を向ける様子が見られた。


「どうかした?」


 声を掛けるとはっと息を飲んで、恥ずかしそうに縮こまる。


「ごめんなさい。メイちゃんたちがいないから、なんだか寂しくって」

「特別騒がしい奴らじゃなかったんだけどな。……まあ、なんだか部屋が広く感じるよな」


 俺の言葉に頷いてテーブルを見つめるアクアマリンの瞳は、曇りの日の海のように沈んだ色をしている。

 アーシュラとキアーラ。二人は未だ、O監に生活を管理されている身だった。今回の件は、本当は二人の功績となるはずだった。けれど、マーティアス・ロッシが関わっていたことが発覚して、二人を自由にすることを疑問視する声が出てきてしまったらしい。二人が第二のロッシになるのを恐れてのことだった。O研・O監両機関が、ロッシの偽装を重く受け止めた結果ではあるのだが、正直とばっちり感が否めない。

 二人がO監職員として働くだけでは駄目なのかと局長に掛け合ってみたのだが、それでは安心できない人間が多いとのことで、あえなく撃沈。


『なに、ほとぼりが冷めれば、連中も頭が冷えるだろう』


 と局長は言っていたから、その言葉を信じて今は待つしかない。

 以前と変わらない生活。厳しくなったわけではないから二人は気にしていないらしいけれど、娯楽に乏しい生活には変わりなくて……だからこそ、三週間近い居候たちの存在が、アーシュラたちにとっては大きかったことだろう。


「……また遊びに来るって」


 言ってやれば、ちょっとだけ唇の端を持ち上げて頷いた。


「そうね」


 こうしてこの家に訪問してくる知り合いが増えたことは、二人にとって大きいのかもしれないな。

 そんでもって、このタイミングで今日お客様を迎えることで、二人の気は紛れるだろう……と俺は見ている。

 俺とアーシュラで食事の準備を着々と進めていく。サラダ、パイシチュー、鮭のマリネ。美味しそうな料理が次から次へとできていく。


「おー、ごちそうだな」

「時間があったから、いろいろ作ってみたの。……この前来てくれたときは、大したもの作ってあげられなかったし」

「いつも美味そうに食ってるけどな」

「私にもキアーラにも、見栄があるの」


 見栄、ねぇ。普通に作っても美味いのに。俺にはよく解らないな。


「ところで、この袋のものはなに?」


 アーシュラは、台所のカウンターの隅に置かれた、未開封の紙袋を指さした。


「これ? これは――お楽しみ」




 食事の支度もあらかた終えて、キアーラが帰ってくるのを待っていると、玄関で鍵の開く音がした。アーシュラに目線で合図する。玄関とリビングを繋ぐ廊下の左それぞれ右に立って、相手を待ち構えた。

 ゆっくりと開く扉。入ってくる二つの人影を目にして、俺はトリガーを引いた。

 派手な破裂音が二つ。と、飛び出すテープと紙吹雪。

 ひらひらと色紙が床に降り積もっていく向こうで、呆れた表情で廊下の脇に避けたキアーラと、星とハートの柄の付いたテープを頭から被り、怖いほど無表情なリュウライくんが立っていた。

 リュウライは、驚いたわけでもなかろうに、そのままぴくりとも動かずに立ち尽くしたあと、おもむろに口を開いた。


「……今日って、なにかお祝いごとありましたっけ」


 ……時折、リュウライは、ボケかましてるんだか本気なのかが分からない。


「ヤダなーリュウくん。お疲れ会よ? お仕事一段落ついてお疲れ様〜って」

「案件一つ片付くたびにこんなことやるんですか? っていうか、まだ事後処理が残っているでしょう」

「野暮なこと言わないの」


 適当に理由つけて、騒ぎたいだけだって。その辺の遊び心をこいつは分かっていない。まあ、だからこそ、こんなサプライズを用意したわけなのだけれども。


「ていうか、火薬はやめましょうよ。銃声と勘違いするじゃないですか。拳銃型ですし。次は蹴り飛ばしてしまうかもしれませんよ?」

「これ、エアー式。音も違ったでしょ。気づいていたくせにー。てか、本当に戦闘民族ねーお前さん」


 戦闘民族っていうのが気に食わなかったのか、リュウライはムスッとして何も応えず、乱暴にテープを払い除けて部屋に入る。


「いらっしゃい、リュウライくん。すぐにご飯準備するから、座って待っていて」


 クラッカーの残骸を俺に渡して出迎えたアーシュラに、リュウライもまた(普段と比べると比較的)愛想良く応えた。


「こんばんは、アーシュラさん。お誘いありがとうございます」


 そんな会話を横にして、俺は予め壁に立てかけてあった箒とちりとりで散らばった紙を片付ける。そんな俺の傍を通ったキアーラが「本当にくだらないことを……」と肩をすくめていった。なんとでも、だ。これくらいのサプライズがあったほうが、嫌なことは飛んでくだろうから。

 嫌なことだったら、だけど。

 ポーカーフェイスのリュウライを見ても、ロッシとの面会がどんなだったのかは分からない。ただまあ、負のオーラみたいなものは感じないから、そう悪いことは起こらなかったのだろう。


「……余計な心配だったかな」


 リュウライがロッシに特別な感情を抱いていると気付いてから、ずっと心配だった。自分の感情に気付いていないようだったからなおさらに。逮捕前に気持ちに折り合いをつけるようなことを言ってはいたけど、それでも完璧に制御できないのが心というものだからな。今日のロッシとの面会で、初恋の人の変わり果てた姿を見て、ショックを受けたりしないか心配だった。

 でも、今のリュウライはいつもどおりに見える。少なくともロッシと話すことができたんだろう。失望した様子も見られない。ちゃんと決着つけることができたんだと、そう思って良さそうだ。


「リュウくん、ジンジャーエールとシードルあるけど、どっち飲む?」

「水かお茶で。食事の味が分からなくなりますから」

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ」

「あれ? それ、若干俺、ディスられてます?」

「気の所為です。それより、シードルお酒ですよね。大丈夫なんですか?」

「ちょっとくらいはね〜俺も飲みますよ」

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