終章 日常に還る

One week later(前)

「えーっと……〝このたび、わたくしは〟っと」


 カタカタ、とキーボードを叩く。青色が眩しいパソコン画面が、黒い文字で埋められていく。

 事件が終息して一週間。シャルトルトはずいぶんと様変わりした。なんていったってシャルトルトを支配するアルベリク・オーラスのオーパーツに違法関与、人体実験場となったモア・フリーエの設立を主導したことなどが次々に露見したものだから、島中はもう大騒ぎだ。シャルトルトの経済の大半はオーラス財団の事業で成り立っていたし、市民の半数はオーラス財団が関与した企業で働いていたものだから、明日にも路頭に迷うことになるのではないかと心配する人が大多数。そりゃあ、のんきに構えられるはずもない。

 その不安の所為なのか、街中は今息を潜めたように静まり返っている。季節性など全く感じられない近代都市は、ここ一週間ですっかり冬景色。色を失くして空風ばかりが通りを吹き抜けている。

 だが。

 そんな市民の不安は、おそらく想定よりもずっと小さい形で片付くことになるだろう。


 以前、ラキ局長は言っていた。〝オーラス財団は一枚岩ではない〟と。

 オーラス老の行動に不審を抱いていた各会社の心ある経営陣たちは、オーラス老が逮捕されたときのことを想定し、秘密裏に財団から会社の経営体勢を分離する準備を進めていたらしい。今回の事件でオーラス財団そのものは解体となるだろうが、各会社はそれぞれ独立して生き残る手筈となっている。

 つまり、突然会社の経営がストップしたりすることはなく、従業員たちの多くが突然路頭に迷う事態にもならないってこと。もちろん、光学研究所やイヴェール工場をはじめとしたオーラスの罪状に関わる事業を担っていた施設は操業停止となるために、全くのノーダメージというわけにはいかないけれど。シャルトルトの社会が崩壊する事態にまでいくことはないだろう。

 まあこれも、今はまだ事実確認のためにO監の調査が入っているから、表に出るのはまだ先で、市民が安心できるのもまだ先なのだが。

 局長は、こういったこれからのことを想定して、オーラス財団とのコネクションを取っていたというわけだ。


「〝私がこのような凶行に至った経緯としまして、まず、ハマー丘陵公園でのアルベリク・オーラス氏の逮捕未遂時に遡ります〟――」


 公園でオーラス老を追い詰めたあの日から今まで結局戻っていない。キアーラの推測通り、時空の穴へと落ちたのだろう。確認などできようはずもないのだが、オーラスが見つからない以上、このまま行方不明として処理される。そのうち死亡扱いだ。シャル島に君臨した王様の末路としては、ずいぶんとまあ呆気ない。

 因みにカミロは、警察のモーリスのいる部署の扱いとなった。かつてオーラスが手掛けた犯罪について、これからどんどん露見することとなるだろう。その反対に、オーラスのボディーガードはO監の扱いだ。一部、もと同業者がやらかした件があるとはいえ、彼らの罪の大本はオーパーツ不法所持になるわけだから。とはいえ、こちらの手続きはだいたい終わっている。

 あと俺たちに残されているのは、マーティアス・ロッシの件くらいか。


「〝加えて、トロエフ遺跡でマーティアス・ロッシに対面したときのことになりますが〟――」


 マーティアス・ロッシ。護衛ピートとともに逮捕された彼女は、あれからずっと黙秘しているそうだ。何を言っても反応なし。あの日以来ますます俺への塩対応に磨きがかかっているミツルくんが、今朝用事ついでにそう教えてくれた。

 ただ一度、ロッシは、リュウライについて取調官に尋ねたことがあるという。

 あのときリュウライは、彼女の親友の言葉を引用してロッシを止めにかかった。それが彼女の琴線に触れたのだろうか。だからリュウライのことが気に掛かった。

 局長たちがリュウライとロッシの関係を知っているかは知らない。けれど今日の夕方、仕事を終えたリュウライをロッシの面会に行かせるつもりだ、とミツルは言っていた。良い考えだと俺は思う。過去に生きるロッシに届く言葉を与えられるのは、過去の彼女を知るリュウライだけだと思うから。

 それにしても、ミツルはなんで、わざわざそんなことを俺に教えてくれたんだろうか。


「手が止まってるぞ」


 とん、と肩を叩かれる。振り返れば、呆れた様子でミューリンズさんが俺の席のそばを通り過ぎていった。


「始末書、今日が期限なんだろ?」


 今朝、俺の席の前でムスッとした表情のミツルを見ていたんだろう、ヤツの伝言をミューリンズさんは繰り返す。

 ロッシとピートを捕まえて監理局に戻った俺たちは、局長に労いより先にお叱りを食らった。世界を揺るがしかねない危険なオーパーツとはいえ、なぜ破壊行為に及ぶのか、と。それはもう怒り心頭で、冷血かと思わせるほど普段クールな局長の顔が、珍しく真っ赤に染まっていた。

 そんな局長は、俺たちに始末書の提出を命じた。リュウライは何もしていなかったのに、とばっちりだ。


「始末書十ページって長すぎでしょ。こういうのって、簡潔に書くのが肝でしょう?」


 だらだらと長く書いたぶん反省が伝わるというわけでもなし、何故学生レポートみたいにページ指定されているんだか。

 これは絶対局長の嫌がらせと見た。枚数そのものがペナルティだ。リュウライは五枚、俺は十枚。これだけでも、局長の怒りの度合いと矛先が分かるというものだ。


「それで済んだだけ良かったと思えよ。本当なら懲戒されててもおかしくないんだから」

「まあ、それはそうなんですけれどね」


 なにせ意図的な証拠品の破壊行為だ。とんでもない責任問題、クビになってもおかしくはない。それをたかが書類提出――しかも公的記録とならない――で済ませてくれるっていうんだから、局長の親切には感謝しなきゃいけないだろう。

 俺の気持ちを汲んでくれたのか、それとも、実は意見が一致していたのか、それは分からないけれども。


 市民は明日の生活を心配しているが、実はそんなことよりもずっと大きなうねりがこれから先に待ち受けている。

 今回の事件を受けて、大陸は再びオーパーツに目を向けることにしたらしい。近日中に様々な専門家たちが海を渡ってやってくるという話だ。それは、十五年前にオーパーツ研究所が設立されたとき以来のこと。

 今更とも言えるし、ようやくとも言えるし。なんにせよ、シャルトルトは今後大きく変わることになりそうだ。

 それに伴い、オーパーツ監理局もまた、在り方を見直していくことになるだろう。シャルトルトの遺跡から発見されたオーパーツ。これらもきっと、より広い世界へ知れ渡ることになるだろうから。


「〝今後、このような事態を防ぐため〟――」


 ときに世界の法則を曲げるオーパーツ。今後、オーラスやロッシみたいなことを考える奴はきっとたくさん現れるだろう。そのために俺たちO監はなにができるか――どういう立場でいるべきか。その考えを始末書の中に書き連ねていく。

 リュウライとロッシ、アーシュラとキアーラ。あいつらの身に起きた悲劇を、これ以上繰り返さないために。




「終わったー!」


 椅子にもたれて両手を上に挙げうんと背伸びをし、それから目頭を指で挟んで揉み込む。目が疲れた。


「お疲れだなぁ」


 上長席からミューリンズさんが声を掛けてくる。


「これで晴れてお前さんも、局長の飼い犬というわけだ」

「やめてくださいよ、もー」


 あのおばさんの飼い犬だなんて、冗談じゃない。俺は特捜に入る気はないんだから。


「名誉なことだぞ?」

「パシリでこき使われることが? 冗談じゃないですよ。もうこんなこと二度とごめん――」

「そう言いながらなんだかんだ引き受けることになるんだよな。お前さん、人が好いから」


 可愛い後輩を引き合いに出されたら断れないだろう、と言われ、リュウライのことを思い出して、返す言葉を失くしたのでした。

 早く出してこい、とミューリンズさんは時計を見ながら言う。時刻は正午前。俺は午後から休暇を取っていた。今から局長室に突撃すれば、なんとか予定通り休みを取ることができるだろう。

 パソコンから書類データを紙に出力し、その束を持って局長室に行く。デジタルデータをメールで送信、てわけでないところが馬鹿げているのだが、局長がアナログで提出しろって言うんだから仕方がない。あの人、アナログ信仰でもあったかね。


「途中から意見書になっていないか?」


 速読をマスターしているらしい。提出した俺の始末書を、ラキ局長はその場で読み始めた。次から次へと速いペースでページをめくった末に貰ったのが、その一言だ。


「いえいえ、心構えですよ。今後、そうなることを目標に仕事していきたいなーっていう」


 途中から始末書の定義が解らなくなって適当にページを埋めていました、なんて素直に言うはずがない。

 が、ラキ局長は、そんなことはお見通しだ、とばかりに鼻を鳴らした。


「……まあいいだろう。受け取ったよ。提出期限当日というのが、らしいがな」

「いやいや、つい昨日まで後始末してたんですよ? パソコンに向かうどころか、ずっと外にいましたって」

「リュウライは昨日提出していたぞ」


 あら、仕事の早い。


「……五枚で昨日じゃないですか」

「彼にも仕事があるからな」


 なんだろう、この贔屓感。

 局長は放り投げるように始末書を机に置くと、椅子の背にもたれ、腕を組み、睨むように俺を見上げた。


「ところで、子どもたちは今日家に帰すそうだな」


 子どもたちっていうのは、アーシュラたちの家で匿っているアスタとメイのことだ。


「ええ。いつまでも家出少年少女ってわけにはいきませんからね」


 事件も終わり、身の危険も遠ざかったアスタとメイは、アーシュラたちの家を離れ、それぞれの生活に戻ることとなった。アスタは〈輝石の家〉へ。メイは母のいる家に戻ることにしたらしい。本人たちにとって決して居心地の良い場所ではないが、そこで各々のこれからの生活について考えていくつもりだという。


『グレて家を飛び出したって、弱い立場なのを都合の良いように利用されるだけだしね。だから自分の力で生き抜く術を身に着けないと』


 メイ嬢は、俺も惚れ惚れとするくらいのしたたかさを身につけていた。堂々たる姿勢に、将来が楽しみになってくる。


『一度置いて逃げたけどさ、一応あそこにいる奴らも家族だから。これからたぶん生活が大きく変わるっていうのに、放っておくこともできないから』


 アスタは、はじめは〈輝石の家〉に戻るつもりはなかったそうだ。だが、オーラス財団の経営で成り立っていた養護施設が、別の(今度こそ真っ当な)財団に経営委託される事になったという話を聞くと、考えを変えたらしい。環境が変わることで不安を抱くことになるだろう〈輝石の家〉の子どもたちを支えるためにも施設に戻るとのこと。さすがペッシェで見ず知らずの子どもたちを纏めていただけのことはある。あいつはこの先、何処に行っても〝頼れるリーダー〟になることだろう。


『まあ、前歴ついたのは痛いけどね』


 アスタやメイ、それからオーパーツを持っていた奴らに限った話だが、こいつらは裁判所に書類送検される立場となった。オーパーツの所持は、それだけで法に触れるからだ。まだ少年の立場だし、情状酌量の余地もあり起訴されるかも分からないから前科持ちになるとは限らないわけだが、ペナルティが課されてしまったことには変わりがない。

 だから正直心配だった。これからも面倒を見てやりたいところだが、毎度毎度こんな風に他人の将来を抱え込むわけにもいかない。

 俺にできるのは二人を見送るくらいのことだけだ。

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