第21日-3 籠の中の二羽の鳥
「……なんだこれは」
どうしたら良いのか判らんと頭を抱えている間に、開いたドア。そこに居たのは、なにやら暗くて重いオーラを背負った中年男性だった。赤茶の髪、水色の瞳、丸眼鏡。頬はこけ、痩せぎすで、シャツとズボンの姿は乱れてだらしない。二人の父親ジョナサンだとすぐに判断した。
ジョナサンは、部屋の真ん中の壊れたオーパーツを見ていた。みるみる顔色が変化していく。その血走った眼が双子たちのほうを向いた瞬間、俺の背筋を悪寒が走った。
「何をした、お前たち!」
男の恫喝に身を寄せ合う双子の前に出て背後に庇うと、ジョナサンの視線が俺に向いた。水色の眼は、宝石のように澄んだ娘たちとは異なり、濁っていた。
ジョナサンはこのときはじめて俺を認識したようで、その瞳に一瞬だけ訝しげな色が浮かんだ。
「なんだお前は」
それから、オーパーツの残骸を指差して、
「……お前がやったのか」
その押し殺した声に憎悪が込められているのを感じ取って、咄嗟に返した。
「だとしたら?」
背後の二人の緊張が高まる。制止するかのように服が引かれるが、無視して立ち上がった。
奴の視線は、俺に釘付けだ。
「よくも……よくも邪魔をっ!」
そう言ってジョナサンが俺に突きつけたのは、メガホンのような形のものだった。大きさは拳銃より大きい程度。ラッパ型の曲面の穴は埋まっている代わりに、先端に丸いものが取り付けられていた、奇妙な道具。
その正体を知ったのは、キアーラに背後から押し倒された後だった。
有孔壁に焼け焦げた穴。レーザー銃――オーパーツ。
「よくも……、よくも……っ!」
ばんばん撃たれるレーザー。躱すのと二人を守るに必死で、せっかく抜いた銃を構える余裕がなかった。娘たちがいるっていうのに、ジョナサンには俺しか見えていないようで構わず乱射された。
「もう少しで母さんを……呼び戻すことができたのに!」
正気を失っているのは明白だった。自分の妻を喪った状況を受け入れられず、娘を連れ回してオーパーツに手を出して、何処ぞの他人を犠牲にしようとして。
しかし、それだとしても。
「奥さん取り返す前にてめぇの娘を殺す気か、この野郎!」
発砲音に驚き身体を硬直させたジョナサンに接近し、オーパーツを持つ手を叩き上げ、手首を掴み、背中に捻って銃のグリップで頭を打った。体勢を崩したところをそのまま床に押し倒す。そこに飛び込んできた先輩たちが藻掻くジョナサンの手からオーパーツを取り上げて、拘束した。
ジョナサンががばっと頭を上げる。
「キアーラ、アーシュラ! 逃げろ!」
誰もがそのとき、父親の言葉を
「お前たちならあれを直せる! 母さんを助けてやってくれ!」
失望した空気が狭い部屋の中を漂った。俯いたアーシュラと、白けた目をしたキアーラ。そんな二人に哀れみの眼差しを向ける同僚たち。俺自身もがっかりした。せめて娘の身を案じる言葉であったら良かったのに、と。
取り押さえられたジョナサンの目は、常人のそれとは違った。何かに取り憑かれているような目だった。
常軌を逸した彼を、先輩が手錠をかけて連れて行く。
部屋の中では、双子が簡単に事情聴取を受けていた。母を喪った経緯。その後の父の発狂と、そして――
「私たちは、母は死んだと認められなかったあの
少女たちは、父親に監禁されていた四年間を語り出す。
そして。
「オーパーツは、出力部と回路くらいであれば、意外に身近な材料で代替は可能なんです。オープライトも、回路にどう繋ぐかくらいですし。でも、変換部は完全にブラックボックスで……」
独学で培った知識と経験を買われて、二人は技師の名目でO監の管理下に置かれることになった。一方で生活は監視付き。自由に外を出るのもままならない。
あの嘘みたいなセキュリティのマンションは、あの二人を閉じ込める檻。毎晩のように二人の家に行く俺は、彼女たちを見張る監視役。その事件から俺は、オーパーツ監理局の一員となった。
オーパーツ。人生を狂わせる、オーバーテクノロジーの遺物。
その未知の道具が齎す理不尽から彼女たちを解放する日を求め、俺は日々駆け回っている――。
うとうとしていると、人の気配を感じて目が覚める。ぼんやりと開いた目に飛び込んできたアクアマリンの眼差しに、まだ夢を見ているのかと疑った。
だが、柔らかく微笑むその顔は、六年前よりもずっと大人びて、現在という時を強く感じさせた。
「……アーシュラ?」
「ごめんなさい、起こしちゃった?」
どうしてここに。不思議に思いながら見ていると、俺の疑問を察したようにアーシュラは答えた。
「ホムラさんに連絡をもらったの。それで、キアーラに勧められて……様子を見にね」
それから、ご飯だ、と言って紙袋を差し出した。中はパンだ。真ん中に包丁を入れて、ハムとチーズとレタスが挟んである。ラップを剥いて口に入れた。
半分ほど食べたところで完全に頭が覚醒する。
「……局長から聴いたか」
アーシュラはしばらく何のことかと首を傾げていたが、やがて思い至ったらしい。
「特捜のこと?」
やはり局長はもう二人に打診済みだったか。
「良いのか、お前たちはそれで」
「私たちの方は、特に支障はないわ。これからは特捜に関する物が回ってくる頻度が上がるっていうだけで、これまでとすることは変わらないもの」
貴方たちはそうではないかもしれないけれど、と付け加える。俺が特捜の仲間入りになることまで知ってるんなら、それはもう確定事項なんだろう。いつの間にか外堀を埋められてしまっている。
――いや、俺のことはいい。俺が何より気に懸かるのは、もう十年近く自由を喪った二人のこと。
「また、良いように使われるんだぞ?」
そうかもね、とアーシュラは何でもないことのように言う。
「でも、辛くはないわ。お父さんのところに居たときと違って、罪にはならないし、人を傷つけるわけでもないし。昔よりも自由だしね」
自由? 何処に自由があるってんだ。俺が居なければ、街を出歩くこともできないこの状況の、何処に。
食べかけのパンをラップごと布団の上に起き、アーシュラの腕を取って身体を引き寄せる。膝の上に座らせると、ぎゅっとその身体を抱き締めた。
「俺は……もうお前たちのことを解放してやりたいよ」
その身体はほんのりと温かい。安心さえ覚えるその温度は、アーシュラが正真正銘人間である証だ。決して狭い部屋に閉じ込めておいていい存在じゃない。
「グラハムは、私たちがオーパーツに関わっていることを、呪いかなにかのように思っているようだけど、私たちは現在の状況にそう不満を持っていないのよ」
機械いじりは苦痛ではないし、オーパーツを解析するのは楽しい。アーシュラは現在のこの状況がさも素晴らしいかのように言う。
「自由に外出できない生活は少し不便ではあるけれど、キアーラはいるし、家の中で過ごしていても楽しいし、たまに貴方が連れ出してくれるしね」
だがそれは、そう思わされているからではないか、と俺は疑ってしまう。付いていた枷が一つ取れただけで、自由になったように錯覚させられてはいないか、と。
俺はアーシュラに、キアーラに、もっと色々と求めて欲しい。普通の女の子のように生きて、楽しい人生を送ってほしい。そのために俺は警察からO監の捜査官になったというのに、六年経った今も、それを叶えられずにいる。
「むしろ私は貴方のほうが心配。気負い過ぎているのではないかって」
「そんなこと……」
ない、と自信を持って答えられないのは、何故なのか。
「なんだかんだで局長の命令を聞いてしまうし、リュウライくんのために無茶もしてしまうし。アスタくんたちのことまで抱え込んでしまって。やり過ぎているとは思わない?」
「アスタのことは、局長命令だ」
「そうだっけ?」
「そーだよ」
実際、アーシュラたちの家に匿うことに決まったと聴いたときは寝耳に水だったし。もし、局長の命令がなかったら、あの二人は……。
あれ、どうしただろうか。アスタは最悪俺の家に匿うか? でも、女の子のメイはどうするよ。家に帰すか? 命狙われているのに? それこそアーシュラたちに匿ってもらうことになるんじゃないだろうか。逮捕して拘置所なんて可哀相だし、かといって放り出すのも危険だし。レインリットさんに押し付けるっていうのも……。
「ほら」
くすくすと笑ってるけど、俺にはなにが〝ほら〟なのか全然解りません。
アーシュラは俺の腕の中から抜け出した。離れていった温もりが寂しい。
「そろそろ仕事でしょ? ほら、食べないと」
促されるままにパンの残りをもそもそと食べる。最後の一口を放り込む頃には、頭が仕事モードに切り替わってきた。局長には腹は立つが、今はバルマのほうだ。子どもたちにオーパーツを使わせるなんていう危険人物、早いうちにとっちめないと、それこそアーシュラたちみたいな奴らを増やすことになる。
口の中のパンを飲み下したあと、手渡されたコップを受け取り一気に仰ぐ。火傷するほどではないが、温かいブラックコーヒー。丁寧にドリップされた苦味の強いそれに胃が温まって気合が入る。
手櫛で髪を結い直し、引き出しから装備品を取り出して、よっしゃ、と気合を入れて立ち上がる。
「とりあえず、行ってくるわ」
いってらっしゃい、とアーシュラは柔らかい表情で手を振る。その姿にもう一度抱き締めたくなる衝動に駆られるが、人気がないとはいえ、ここは職場。TPOが判断できない男は嫌われるので、ぐっと我慢だ。
颯爽と部屋を出て、ジャケットを羽織る。気合を入れて、さあお仕事だ。きちんと許可が下りたのか確かめるため、忌々しい局長室へと向かう。
その途中、消し忘れた携帯のアラームが胸ポケットからけたたましく鳴り響いて、心臓と身体が飛び跳ねた。ドキドキする心臓を落ち着かせながら、慌てて騒音を止める。途中何度か携帯を落としそうになったのが情けなく、意気揚々とした気分がたちまち萎んでいった。
……なんか、出鼻を挫かれた気分だ。
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