第21日-2 イーネス

 振りかぶられた、錆びた椅子。横倒しになった機械を何度も何度も叩きつける、三脚。鬼気迫る表情で、だが苦しそうに顔を歪めて破壊活動をしていた、瓜二つの少女たち。

 涙に濡れたアクアマリンの瞳を、この六年間、忘れたことは一度たりとない。

 それが、俺がここにいる理由なのだから。




「もう、六年ですよ。もういいじゃないですか」


 感情のままに非難する俺を、局長は醒めた目で見返した。


「そうかもしれないな。だが、普通の人間とは事情が違う。解放するにも大義名分は必要だ。これまでのことも特別扱いだったのを忘れるなよ」


 ひやり、と心臓に氷を押し当てられたような心地がした。アーシュラとキアーラの二人に与えられるはずだった本来の処遇。これを思うと確かに今の状況は……特別なものだと言えなくもない。


「首輪さえついていれば、檻から出してやれるんだ。悪い話ではないと思うが?」


 さぞ自分は寛大だ、とアピールするような物言いに腹が立つが、これに噛みつくだけの切り札が俺にはない。


「枷付きでぶち込んどいて、よく言うよ」


 呻くように口から漏れたのは、負け惜しみだ。だが、なラキ局長は、俺を咎めない。意味深に微笑んで俺の反抗的な言葉を聞かなかったことにしてくれる。

 お前はすで私の掌の上だ、と言われたような気がした。確かに、繰り人形にでもなった気分だ。手足に糸が絡みつく――この人には逆らえない。


「……どの道、違法捜査までしてるんです。この件は今さら投げ出す気はないですよ。好きに使うってんなら、そうすればいい。でも、あの二人を道具扱いするんだったら、ただじゃ置かない」

「心得ておくよ」


 ああそうかい。是非とも覚えていてもらおうか。

 胸の中が荒れ狂って、暴れだしたい気分だった。ソファーから立ち上がって、扉へ向かう。


「休ませてもらうんで」


 振り返りもせず扉を開ける。リュウライが呼び止めようとしたのは気づいたが。話を聴く気になれなくて、無視して乱暴に扉を閉めた。

 エレベーターなんて待っていられず、西端の階段を使って一気に二階まで駆け下りる。

 飛び込んだのは、二段ベッドが四つ並べられただけの狭い仮眠室。一番近くのベッドの下段に倒れ込んだ。幸い利用者は誰もいないようで、ベッド毎に用意されたカーテンは全て開いている。

 寝転がったまま装備品をヘッドボードの引き出しに放り込み、それから折り畳みの携帯電話を開き、アラームを設定して目を瞑った。

 身体がずっしりと布団に沈むのを感じる中で、胸の中には局長に対して怒りが渦巻いている。


 アーシュラとキアーラ。俺の大事な双子たち。

 アーシュラは俺の恋人なので言わずもがなだが、その妹のキアーラだって大切な家族だ。だから、局長があいつらを便利に、良いように扱うのを看過することはとてもできない。二人の境遇を考えると、尚更に。




「――誰」


 銃を構えて飛び込んだ先で見つけたのは、二人の少女だった。歳の頃は十七、八。無造作に纏められた赤毛に、水色の眼差し。同じ容貌。互いに身を寄せ合うようにして、壊れた機械の前に蹲っていた。

 手前にいた少女は、腰を浮かせて奥の少女を庇い、きつい眼差しで俺を睨みつけていた。

 だが、俺はそれよりも、奥の少女から目が離せずにいた。部屋に飛び込んだときからずっとだ。涙に濡れた水色の眼差しに強く惹きつけられたのを覚えている。


「俺は……」


 誰何に応じようとして、自分の喉が干上がっていることに気付いた。なんとか唾を作り出して飲み込んで、もう一度口を開く。


「警察だ」


 銃を上げ、ゆっくりと部屋の中に入り込む。機材と配線ばかりの狭い部屋。潰れた劇場の映写機室。奥に転がる箱型の機械と、少女たちの足元に転がる椅子や三脚は、彼女たちが引き起こした凶行の跡だ。彼女たちが鬼気迫る表情でこの箱型機械を壊しているのを、俺は目撃した。


 とりあえず話を聴こうと銃をしまい、少女たちと同じくらいの目線になるようにしゃがみ込んだ。相変わらず手前の少女の視線は厳しく、胡乱な目で俺を見ていた。だが、奥の少女はというと、俺をまるで救い主のように見ていた。すごく気になってはいたのだが、あえて見ないふりして目の前の少女に話しかけた。


「さっきも言ったけど、俺は警察。バルト署の刑事だ。ここに不審者がいるっていう話を聞いて調査をしていたら、君たちを見つけた」


 身分証を掲げて見せると、四つの視線がその表面を走った。どうやら刑事というのは信じてくれたらしく、手前の少女からも緊張が解けていくのが判った。


「君たちは、ジョナサン・イーネスの娘さん、だよね?」


 は、と少女たちの顔が同時に上がる。ややあって、頷いた。


 まだバルト署の刑事だったときの俺は、その日、バルトのスラム・レッヘン街の廃劇場にいる不審者についての捜査を行っていた。不審者の正体はすでに特定されていて、それが『ジョナサン・イーネス』だ。

 まだ彼を見つけられていなかったが、目の前の二人がそのジョナサンの娘だというのは一目で判った。赤い髪と水色の瞳。特徴が一致していたのだから。


「ここで目撃されたのは君たちのお父さんだって聞いたんだけど、お父さんは? ここに居るの?」

「居るんじゃない?」


 俺の質問に対し、手前の少女の答えは素っ気なかった。不確かな返事に困っていると、奥の少女が補足する。


「館内の何処かには居ると思います。でも、具体的に何処に居るのかまでは分かりません」

「そっか」


 少女たちに断りを入れて、無線を繋ぐ。仲間に連絡を入れたあと、再び少女たちに向き直った。


「まずは自己紹介しようか。俺はグラハム。さっきも言ったけど、刑事ね」

「キアーラよ」

「……アーシュラです」

「二人はずっと、お父さんとお母さんと一緒に居たの?」


 と訊くと、二人して黙り込んでしまった。お互いに目を合わせることなく、俯いてなにかを堪えるような表情。

 しばらくして、躊躇いがちにキアーラのほうが口を開いた。


「父親とは一緒に居たわ。でも、母は……」

「母は、消えました。あの機械によって」


 それまではっきりとした発言をしてこなかったアーシュラが、急にはきはきと喋りだした。背筋を伸ばして、俺のほうをしっかりと見据えて。キアーラが横で驚いている。

 その真っ直ぐな眼差しを向けられて、何故か胸が大きく高鳴った。まだ幼さの残る幼気な少女だったというのに。


「原理は未だによく解りません。ですが、あの機械で写真を撮ろうとすると、撮影されたものはスライドの中に取り込まれる。その中で母は、化物に殺されました」

「え……あの、ちょっと待って」


 そんな中で突然魔法みたいなことを語られて、話が全然呑み込めなかったのを覚えている。


 ――これが、はじめて俺がオーパーツに関わった事件だった。


 写真を撮ると撮影されたものが消える、というオーパーツ《ファンタスマゴリア》。古い映写機みたいな形のそれは、映写機能と撮影機能を同時に有していて、二人の母親がそのカメラに吸い込まれてしまったのだ、と彼女たちは話してくれた。

 この時点で既に、四年も前のことだった。


「昔は、カメラで写真を撮ると、魂を抜き取られるなんて言ったもんらしいが……」


 その迷信が現実になったとしか思えない、本当に魔法のような出来事に、当時の俺は頭を抱えるしかなかった。

 嘘を言っている、とは思えなかった。見たところ二人に気持ちの余裕がないようだから、とても冗談を言う心境ではないだろう。それでもやっぱり素直には受け入れられないし、試そうにも機械は壊れていたし、でひどく途方に暮れたものだ。


「なんで君たちはそれを後生大事に持っていて、こんなところに運び込んだんだ? ――なんで、今になって破壊した?」


 あの機械はもうぐしゃぐしゃに壊されていたが、配線が接続されたりと、壊される直前まで何かの準備がされていたのは見て取れた。


「何をしようとしていた」


 自制できなかった怒りを、彼女たちはどう受け止めたのか。


「……下に、人が居るんですよね」


 目を伏せながら、アーシュラは言った。知っているのか、と苦々しく思ったのを覚えている。二人を見つけたと報告したときに、俺もまたその話を同僚から聴いていた。


「なら、その人たちはきっと、《ファンタスマゴリア》の実験体になる予定だったんだと思います」

「あれの……」

「お父さんは、今度は出してあげられるはずだって言っていたけれど、私たちは検証してないから、本当にそうか分かりません。下の人たちは、もしかすると、お母さんと同じようになっていたかも……」


 ぐっ、とキアーラが唇を噛み締めて俯いた。アーシュラも表情を曇らせたが、それでもキアーラのように俯くことはせず、こちらをずっと見据えていた。


「私たちは、それが怖くて、今になって、あれを壊しました」


 ごめんなさい、とアーシュラは頭を下げた。それをキアーラが困惑したような、それでいて何かを堪えるような目で隣の姉妹を見ていた。


「……なんで謝る」

「だって、こんなの人殺しと同じでしょう? そうじゃなくったって、オーパーツを持つことは一般人には禁止されている。シャルトルトの人間なら、オーパーツを見たことなくても、それくらいは知っています。私たちはそれをずっと持って、使っていた」


 それはもう、犯罪でしょう?

 十七歳の少女が悟ったり諦めたりした風であるのが、痛々しかった。自ら望んでこうなったわけでもないことが判るだけに余計。そして自分が彼女たちのねじ曲がった運命に介入するのかと思うと気が滅入った。


「私たちはもう、嫌なんです。だから、逮捕してください」


 二人とも諦念の中に何処か憑き物が落ちたような表情をしていた。十七歳の女の子の表情とはとても思えなかった。彼女たちが四年間ずっとそんな想いをしてきたのかと思うと切なく、己の無力さに腹が立った。

 シャルトルトに居ながら、これまでずっと感じてこなかったオーパーツという名前の不安要素。

 その脅威の一端を、俺はこの瞬間にはっきりと知覚した。

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