第20日-5 三秒先を読め
悪寒を感じて、咄嗟に身を反らした。首筋スレスレをナイフの一閃が通り抜ける。
「こなくそっ!」
身を反らしたことで後ろに倒れそうになるのをそのままに、長い足を振り上げる。ナイフを蹴飛ばしてやろうと思ったが、そのときにはもう視界にいなかった。尻もちをついたのをそのままに、後転。片膝立てて銃を構え、気配を探ったところで背後にまた悪寒を感じた。
「危ないっ!」
ぶぉん、と音を立てて頭上を棒が通り抜ける。リュウライだ。
リュウライのおかげで、背後の奴が引き下がったのを感じた。
「助かったぜ、後輩!」
感謝を述べながら、後輩の後ろに回り込む。リュウライはピートとかいうあの男と対峙していた。
「気をつけてください。奴が例の黒スーツの男です」
「だと思った」
本当にいきなり急所を狙ってきやがったし。
それにしても、バルマが命令した途端にあのリュウライを無視して俺んとこにくるたぁ……こりゃ相当な使い手だな。リュウライより俺のほうが殺しやすそうとか思った可能性もあるけど。バルマと話している間放っとかれたし。侮られたもんだな、ちくしょう。
とりあえず、奴をどうにかしないことには始まらない。
廊下は人間二人が余裕ですれ違える広さ。三人並ぶにはちょいキツいくらい。リュウライが真ん中に立ち、紅閃棍を真横にして持てば、容易く通せんぼできる。リュウライが前に立って黒スーツの相手をし、俺が隙を見て撃つ、そんな感じだろうか。だが、申しわけ程度に点いた非常灯しかないオレンジ色の薄暗闇の中で、黒い服は影の塊程度にしか見えないし、きちんと見えたところでそもそも取っ組み合ってるところを狙撃だなんて精密射撃のスキルを持ち合わせていない。
一応銃を構えてはみるけど。さて、どうするか。
ふ、と黒スーツの姿が消えたかと思うと、ガギンっ、という音がした。男が使うナイフを、リュウライが棍で受け止めたのだ。刀身はご丁寧に艶消しされて、この僅かな光を反射しないものだから、その軌跡すら見えづらい。
頼れるのは、音だけ。ナイフと棍がぶつかり合う音と、二人の四肢が舞う音と。
絶え間なく聴こえる音に、俺が介入する余地はなさそうだ。
……よし。バルマを追おう。
あの女、いつの間にか居なくなってる。
さっきの時間操作のオーパーツの作動のサイン(と思われる現象)はなかったし、あの女が一瞬で身を隠せるところなんて三〇五号室しかない、と思って駆け出したら、リュウライを差し置いて目の前に黒スーツが現れた。振り下ろされる長い腕を、腕を掲げることで防ぎ、ナイフの刃からかろうじて身を守る。腕を押し上げて相手を仰け反らせ、その隙に中段蹴りを叩き込もうとするが、残念ながら躱された。だが、リュウライが射線から離れてたので、すかさず一発。カシュン、と小さな発砲音。……外れたのが判った。相手は止まらないから、トリガーを引いた頃にはもう射線上にいないのだ。
今度は左側から気配がする。奴め、ターゲットを俺に変更したらしい。飛び道具持っているし、バルマを追おうとしているからかな? 俺に貼り付けばリュウライの動きが制限されるってのもあるだろう。
判断力、身体能力、どれも持ってる。
よたよたと後退しつつ、もう一発。……やはり当たらない。
右に、左に、と横薙のナイフが迫る。思いっきりしゃがみ込んで躱した。黒スーツの上半身がら空きになったところにリュウライの棍が叩き込まれる。リュウライが背後に居たのはちゃんと気付いていました。俺を盾にしたつもりだったんだろうが、甘かったな!
ごろり、と床の上を転げて黒スーツの背後に回り、すかさず立ち上がる。
「はい、そこまで」
リュウライと対峙していた背中に銃を突きつける。今度こそ挟み撃ちだ。
「ちっ」
舌打ちと同時になにやらスイッチ音が聴こえたなと思った次の瞬間、黒スーツの姿は消え、リュウライは床上に吹っ飛ばされているところだった。ビデオのスキップボタンを押したときのような、急激な画面の変化。
視界の外、真下から迫る刃を仰け反って躱す。斬られることは避けられたが、身体に蹴りを叩き込まれた。体勢が不安定だったのもあって、そのまま床に叩きつけられる。
「くっそぉ……」
うつ伏せに転げて立ち上がる。すぐ隣に床にナイフを突き立てるように黒スーツが飛び込んできたからびっくりした。あのままそこに転がっていたら、俺死んでたな。
蹴りや打ち払いで黒スーツの攻撃をなんとかやり過ごす。
それにしても厄介だな、時間操作。いや、時間停止? なんでもいいけど、瞬きする間もない間に、とんでもないところに移動されるから、ホント驚く。しかも操作は手元で行えるらしいから、銃突きつけて「動くな」も効果がない。……油断なんてとてもできない。位置取りに注意してないと、知らんうちに首掻っ切られるなんてこと、本当にありそうだ。
……いや、でも待て。落ち着け。確か、リュウライの発言によれば、奴が時間を止められるのは、ほんの数秒だ。三〇五に入ったときも、今のも、三秒ほどの動作だ。
つまり三秒後を想定すれば、どうにかなる。
ま、言うのは簡単だけどな。
こう狙われてちゃ、そんな余裕持てるはずもないしっ!
壁際に追い詰められ、後ろに逃げ場がなくなる。そこをリュウライが突いてくれ、なんとか右側に逃れることができた。あいつはリュウライに任せて、一目散に逃げる。
だいぶ距離を取ったところで、身を翻し、相手の様子を見ながら腰のバッグの中身を取り出した。真っ黒なゴム製の袋。これに入れて包んでいた《トラロック》を引っ張り出す。
……情けないが、銃と俺如きの体術じゃあ、とても奴には対処できない。リュウライの足手まといにもなりかねない。もうどうせ見つかってるし、これに頼るしかないんだよ、ちくしょうめ!
予め装填していた電気の弾のカートリッジ。球形状で、まずは一発。ビー玉程度の大きさの青白い電気の球が黒スーツを襲う。……まあ、鉛玉よりもずっと見えやすいものだから、躱されたけど。リュウライにオーパーツの使用を知らせるためのものだから、別にいいけど。
二発目。三発目。さすがにオーパーツはまずいと思ってくれたのか、こちらに距離を取るように動くようになった。視える弾だ、さぞかし躱しやすいだろうな。それだけにこっちも誘導しやすい。
黒スーツをリュウライから引っ剥がしたあと、体勢を整えたリュウライが男の右側から棍で襲いかかる。応戦しようとする黒スーツを、電気球で牽制。左側を封じる。さっきよりやりづらそうだ。
……よし、いい感じだ。
適当なところでサブバレルを取り出し、装着。これで弾の形状が針状になる。撃ちながら、今度は換えのカートリッジを取り出す。隙きを見てささっと交換。銃の窓の光が薄紫色から青白くなる。
俺を庇う位置にいたリュウライは、いつの間にか位置を入れ替えて、今は黒スーツの身体のほうが俺の居る側にある。さすがリュウくん。これなら撃ちやすい。
発砲音なく撃ち出されるのは、透明で細い氷の針だ。縫い針より少し太いくらいの細さだが、当然尖端は鋭くなっている。形の所為か球状の弾より弾速が早く、人体に容易に突き刺さる。致命傷は与えにくいけどな。相手の太腿と、ふくらはぎの辺りに刺さる。脚痛めちゃ、リュウライと戦うのは難しいだろ。
リュウライが棍で追撃にかかる。……そろそろか。カートリッジを元に戻し、サブバレルを外して目を凝らす。
黒スーツは左手のナイフを俺の方に投げつけ、スーツの内ポケットに手を伸ばした。ぱっと画面が変わり、リュウライと黒スーツの立ち位置が入れ替わる。
そこをすかさず撃つ!
青白い球が飛ぶ。黒スーツは身を捩らせたが。今度ばかりは当たった。スタンガン並みの電圧を持つ電気の球。気絶しないまでも、ダメージはあるだろう。
そして、そこを逃すリュウライではない。
すかさず黒スーツの新しいナイフを弾き飛ばし、腕を背中の方で捻り上げ、地面に膝を付かせた。
してやったり、てところだな。思わず溜め息が漏れる。
「大丈夫かぁ〜? 後輩」
「ええ。ですから、先輩はもう一人を――」
と、何処か壁の方を見て、リュウライは動きを止めた。いや、壁じゃない。部屋から出てきたバルマを凝視していた。何かを持ち出そうとでもいうのか、両手に鞄やら袋やらを抱えたバルマは、捕まった黒スーツを見て険しい顔をしている。
そのバルマを見て、戦いの所為で険しかったリュウライの表情が緩んだ。間の抜けた表情、と言っていい。
なんだ?
気になったが、それよりも表情と一緒に黒スーツを拘束する力も緩められているらしく、奴の捻り上げられた腕が少し下がってきていることのほうが問題だった。
「何をしている!」
「おいっ!」
バルマが黒スーツに恫喝する。俺もすぐさまリュウライに呼びかけるが、残念ながら反応は黒スーツのほうが早かったらしい、するりと拘束から抜け出して、リュウライを突き飛ばした。
慌てて銃を構える。
「待て!」
黒スーツは、俺のほうを見ると馬鹿にするように笑った。
次の瞬間には、目の前にいた。
がつん、と後頭部に衝撃を受ける。同時に呼吸困難になる。壁に押し付けられて、首を締め上げられている。銃のグリップの角で奴の身体を殴るが、力は一向に緩まない。
苦しい。
力が抜けて蹴りすらくれられない足が、宙でバタつく。
耳元で誰かが叫んでいるが、何を言っているか解らない。
くらり、と脳が転がるような、立ちくらみのときのあの感じが俺を襲い。
視界が暗転した。
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