第四章 綱渡り

第20日-1 ミッション・スタート

「成果は?」


 意地悪く尋ねる局長に、俺は自棄っぱちになって答えました。


「大したものはないですよ」


 カミロがサルブレアに出入りしていたことが精々、あとはサルブレアに勤めている連中が根暗で隠れて何かしてそうだってことと、キリブレア精工が大陸の片田舎にあるオーラスの子会社ってことくらい。カミロを追う手掛かりにならないことは明白だ。


「ふむ……だが、これでオーラスと繋がりがある可能性がますます大きくなったわけだ。施設に忍び込むのを止めるだけの情報は手に入らなかったが、ますます施設に忍び込む理由が出てきた。思ったより悪い報せではないな」

「それはどーも」


 それ、嫌みか。それとも皮肉か。どちらにしても俺は不愉快で、局長は楽しそうだった。


「ならば、予定通り今夜だな。心して掛かれよ」




 夜。待ち合わせ場所はサルブレアの施設から二区画離れたところにある喫茶店『ノーチラス』。一足早くそこに来て軽食を済ませた俺は、水も飲まずにリュウライを待っていた。


「もう、お茶の一杯くらい飲んでいってよー」


 俺が食べたサンドイッチの皿を洗いながら、喫茶店の店長ノースは口を尖らせた。


「嫌ですよ。仕事中にトイレ行きたくなったら困るもん」

「ヒトの店勝手に使っておいて……ケチ」


 ぶつぶつぐだぐだと文句いうノースを、今度埋め合わせするからと黙らせる。

 しんと静まり返った純喫茶。そこそこの広さの店内にこれだけ煌々と明かりが灯っているのがかえって寂しく感じられる。店内は、俺とノースの二人だけ。

 ただカウンタに座っていても面白くないので、二人で世間話などに興じつつ時間を潰し、夜十一時になった頃だ。ちりん、と入り口のベルが鳴った。


「お客さーん、もう閉店よ~」


 ドアの方を振り向くのと同時に、ノースが声を飛ばす。ガラスの嵌った木枠の扉の傍には、店主の意地悪に狼狽うろたえるリュウライくんが一人いた。ゆったりとしつつも動きやすそうな黒い服――拳法着に身を包み、ボディーバッグを身に着けている。準備万端、気合充分って感じだな。

 まあ、今ここで多少なりと削がれたようだけれども。


「俺の連れに意地悪すんなよ」

「え~だってぇ~」


 注意すれば、くねくねと身を捩らせた。こいつがそんなことしても可愛くないっていうのにな。そういうことするなら、イケオジの恰好をどうにかしろ。

 じと、と白い目で見ていると、ノースはびしっと姿勢を正しくしてもう一度リュウライを見た。


「でも、閉店なのは本当だから、表札裏返してくれる?」


 ノースの奇行の所為だろうか。呆然としていたリュウライは、ぼんやりとしたまま言われるままに表札を返した。いや、一応客なんだけど。使うなよ。


「それで、何する? 本日のカレーは野菜カレーで、チャイかラッシーとセットにするとお得なのだけれども」

「カレー屋かよ! つか、喰うか! そんな匂いのするもん。仕事よ、これから」


 まだ現実逃避して入口に立ち尽くす子に、何を言っているのかね、この男は。ほら、リュウライが目を白黒させている。


「こんな可愛い子と二人きりなんて、羨まし~」

「アホか」


 別に好みでもないくせに。

 だいたい、羨ましいも何もないだろう。ただの仕事だぜ?


「ええと……」


 どうしよう。そんな顔をしていたリュウくんを助けるため、俺はスツールから飛び下りて自分の恰好を見せびらかす。


「どうよ、これ。なにか問題ある?」


 腕を広げて、自分の身体を良く見せる。潜入、ということなので、上下とも紺色の作業服を着てきたのだ。テーブルの上には野球帽キャップ。俺様の長いカーキ色の美髪はこれで隠す。


「いいえ。ないと思います」


 首を横に振ったリュウライは、やっとまともな会話ができると安堵している。


「お前さんは、逆に目立ちそうだけどな」

「これが一番動きやすいので」


 ふぅん、まあ、いいけどな。あっちの方が経験豊富なんだし。そもそも姿を見られる前提なのがいけないのか。

 うんうん、と頷いたあと、俺は腰に吊るしたシザーバッグを示した。


「オーパーツは銃以外持ってきていない。それも、レーダーに感知されないようにゴム製の袋の中だ。すぐには出せない。代わりに、俺の昔の相棒を持ってきた」


 背中の方で作業着のベルトに挿した銃を抜いて見せる。《トラロック》とは違う、黒光りする自動拳銃。刑事時代に使っていたものだ。


消音装置サプレッサー付きだ。援護はもっぱらそれになると思ってくれ」


 分かりました、とリュウライは頷くと、ぬ、とノースの顔がカウンターから伸びてきた。


「じゃあ、準備はいいのかしら?」


 よっこらしょ、とカウンターの下から大きな黒い袋を突き出した。


「勝手口はあちら」


 顎で店の奥を示す。カウンターと壁に挟まれた狭い通路の先に、扉があった。店の入口とは違う、ただの木板の扉だ。店の入口と反対側の通路に通じる裏口。


「はーいよ」


 髪を全部キャップの中に入れてから被り、ゴミ袋を受け取る。


「行くぞ、リュウ」


 リュウライに声を掛け、ノースに手を振って、そっちの木板の扉の方へ向かう。戸の前にはさらに三つの袋が待ち構えていた。リュウライに二個手渡して、扉を開けて外に出る。


「どういうことですか?」


 建物の間、ひと一人しか通れないような狭い通路を、縦に並んで進みながら、リュウライは訝しげな声を上げる。


「こんな人の居ない夜の街角で待ち合わせなんて、怪しいにも程があるだろ? だから、ノースの店を使った。で、表から連れだって出るのも怪しいから、裏口から出してもらったわけだ。店のごみを捨てる従業員を装ってな」


 実は、バルト署にいたときから、ノースには結構世話になっていた。あいつの本職は情報屋だ。喫茶店は隠れ蓑。情報を売ったり買ったりしたい俺みたいな連中は、奴の店に立ち寄って取引をする。昨日、昼間に奴の店に行って話を聴いたのも、きちんとした取引だったってわけだ。

 それで。俺はバルトにいた頃から、ただの客以上の縁がある。だからたまーに、今回のように捜査に協力してもらっていた。


「さっき顔合わせも済んだことだし、機会があれば頼ってみろ。協力してくれるぞ」


 特捜とかいろいろ面倒に巻き込まれそうなことをやってるんだ。こういうところと一個くらい縁があったって良いだろう、ということで、今回わざわざノースの店を待ち合わせ場所に指定した。もちろん、ノース経由でリュウライの近況を知れるんじゃないかっていう下心もある。


「……見返りは?」


 よっしゃ釣れたな。内心ほくそ笑みながら応える。


「ブロマイド」

「……は?」


 予想の斜め上だったんだろう。振り向けば、ぽかん、と呆気にとられた顔に出くわして、笑う。


「アイドルから、スポーツマン、レーサーなんていう代表格から、アニメのキャラクターなんていう、ブロマイドっていうには怪しいものまで。とにかくブロマイドなんて名のつくものなら、男女問わずなんでも」


 普通、この手の話を他人にすると疑わしい顔をするんだが、リュウライは実に素直に受け取っているようだ。そういうこともあるんだなー、みたいな。また一つ世間を知ったような顔。

 もちろん、そのようなモノを取引の材料としているのは、ただの趣味嗜好ってわけじゃない。現金カネはトラブルを生む。特に俺ら公僕は金の出処と使い道をうるさく言われるからな。そういうとき火の粉を被らずに済むってわけだ。


 ゴミ集積所にぽい、と黒い袋を捨てる。

 その背後の高いコンクリート塀。見上げれば有刺鉄線が引いてある。――目的地、サルブレア製鋼の裏手に到着だ。


「――行くぞ」


 無線の回線をONにする。


「お待たせ、ミツルくん」

『よろしいですか?』


 冷淡なミツルの声。


『工場の外形は頭に入っていますね?』

「……ああ」


 敷地は正方形。その中に四つの建物がそれぞれ角となるよう配置されて、また四角形を作っていた。左上は四角の建物、左下はL字を横に倒した形、右上と右下は同じ形の建物。そしてそれぞれが通路によって繋がれている。


『何はともあれ、まず敷地内に入ってください。予定通り、G8地点からの侵入をお願いします』


 G8? 何処だ、そこ。

 得意そうに返事したっていうのに、初手で躓いた。ちら、とリュウライを見る。


「ミツルが見せた見取り図に、マスが引かれていたのに気づきませんでしたか? ミツルは、そのマス目を元に指示して来るんです」

「……面目ない。そこまで記憶してなかった」


 確かに、地図にはだいたいマスが引かれているし、俺も地図見るときは参考にしているけれど。普通そこまで覚えないよなー。

 そもそも俺、画像で覚えるの苦手だし。地図だって、昼間のうちになんとか頭に叩き込んだ程度だ。


「事前に言わなかったこちらのミスです。僕がちゃんと覚えてますから、大丈夫です」


 ついてきてください、と言って、リュウライはゴミ集積場の前を離れる。

 リュウライについていった先は、例の施設の北側だった。正門は南にあったから、ちょうど反対側というわけだ。目の前には、二メートル半ほどのコンクリート壁が広がるばかり。裏門の類いはなさそうだな。リュウライはそんなものは当てにしていなかったらしく、何も言わずに壁の左側……東のほうへと移動する。

 なるほど、見取り図は覚えていないがなんとなくわかってきた。施設の敷地をチェス盤――横はA~Hまでの八列、縦は手前から奥に向けて1~8の八行の計六十四マス――に見立てたわけだな? で、地図は普通南を手前側にして見るから、さっきミツルの言った〝G8〟はおおよそ北東の角近辺。この施設の敷地は、見事に北を上辺とした正方形だったから、このコンクリート壁の角よりも少し手前側辺り、というわけか。

 案の定、リュウライはもう少しで角というところで立ち止まった。


「見てください」


 リュウライは壁の上を指差す。壁の上には有刺鉄線が張り巡らされていて……ってあれ?


「あそこだけ、空いてんのか」


 三行で張られていた有刺鉄線が、リュウライの指し示した部分だけポッカリと空いていた。三本とも底の広いU字状に曲げられている。パイプでも立てかけたのか? で、そのまま放置したのか。なんにせよ好都合ではあるが。


「あれ、登れるかな」


 いつものブーツじゃないものだから、ちょい不安だ。


「アシストしましょうか?」

「……いい。どうにか越えられるだろう。このまま行って良いのか?」

『今より五分以内が警備巡回の穴です。今のうちに、早く』


 モタモタしている時間はないってことね。全く、スリル満点じゃないの。


「下に茂みがあります。下りたらそこで待っていてください」

「OK」


 答えてから壁から少し離れる。助走をつけ、壁の手前で一蹴りして跳び上がり、さらに壁を蹴って高さを稼ぐ。なんとか壁の端を掴むと、懸垂の要領で身体を持ち上げた。壁を小さく蹴りつつそのまま下半身も持ってきて、有刺鉄線に触れないように向こう側へ行って、飛び下りる。

 なんとかなった。けど、これだけで相当な運動量だ。疲れた。歳の所為か体力の衰えを感じる。

 ミツルに息の荒さを悟られないように呼吸を整えているうちに、ひらりとリュウライが下りてくる。華麗だねぇ。さすがとしか言い様がない。


「……なんですか?」

「いや、若いって素敵だなって」


 なに言ってんだ、って顔になった。

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