第20日-2 痕跡

『それでは、H5から屋内への侵入をお願いします。あと三分ほどで警備が来ますので、急いで』


 ミツルの指示に従い、目の前の建物を左に回っていく。警備は建物の外周を時計回りに回っているそうなので、同じ方向へ動けば鉢合わせする可能性は低くなると聴いていた。だから即行動というわけだ。

 建物の東側に回り、さらに奥へ向かう。壁には大きな窓がずらりと並べられていたが、全てブラインドが下ろされ、中が見えないようになっていた。リュウライは左から三番目の窓に近づくと、上を見る。窓の上に開いた換気用の窓がある。

 リュウライの手招きに応じ、傍に寄る。アシストを頼まれたので、手を組んで足場を作ってやった。俺の手に足をかけ、壁に手をついて身体を支えたリュウライは、片方の手で窓を限界まで押し広げた。大きな隙間ができる。これで入り込めるようになったわけだ。

 アシストついでにそのままリュウライを中に送り込み、俺も続く。ちょい高い位置だったが、リュウライが下りる前にどっかにワイヤーを引っ掻けてくれたので、それを頼りに登った。……また、腕の力を使って自分の身体を持ち上げなきゃいけなかったわけだが。早くも腕がビリビリしてきたよ。


 入った建物は工場区画であるらしい。なにやら大きな機械が立ち並んでいる。が、それらは布を被せられていたり、埃を被ったりしていて、放置されている印象だ。稼働していないのか? リュウライに目配せしてみると、頷いた。


「調査の間、機械の音はまるで聞こえてきませんでした。工場はもう機能していないようです」


 それはこの建物だけでなく、南側のもう一つの工場についてもそうなのだという。


「調べてみるか?」


 尋ねてみるが、リュウライは周囲を見渡したあと首を横に振った。


「機械を搬出した形跡があります。おそらく何処か外部へ移動させたのでしょう。部品や製品が置かれている様子もないですし、目ぼしいものが見つかるとは思えません」


 俺は近くに放置されたプラスチックのケースを覗き込んでみた。中には樹脂をモールドしたなにかが入っている。基本型状は一緒だが、ところどころ違う部分がある――破損品や欠陥品をまとめたものらしい。一応手掛かりにならないかと、一個貰い受ける。


 チャックつきのポケットにしまったあと、リュウライに促されて部屋の奥側へと移動する。扉を開けて工場区画を出ると、右手側に階段があった。そちらを上っていくらしい。

 壁には、古びたポスターが貼り付けられている。昨年度の年号で、目標らしき標語が書かれているものもあった。遅くとも今年度からこの工場は稼働していないらしいな。

 Uの字型の階段を上り、右へ。非常口を示す明かりに照らされて、金属の扉が一つあった。扉の脇にしゃがみこんだリュウライがそっと扉を開ける。隙間に薄い鏡の板を差し込み、通路の様子を窺っているようだ。問題はなかったらしい。扉を開けて通路へと飛び込んだ。

 棟と棟を繋ぐ一本道だった。左右に窓ガラス。リノリウムの床の無こうに、似たような扉がもう一つ。

 あとに続こうとして、扉が金属製であることを思いだし、音を立てないようにそっと閉める。蝶番の軋みにも気を遣うから、神経使う上に時間が掛かる。この間に向こうから人が来たらと思うと……もう胃が縮み上がりそうだ。

 窓があるため、身を低くして廊下を駆け抜け、先に扉の前でしゃがみこんでいたリュウライに合流する。


「この先から研究区画です」


 施設全体の見取り図から、研究棟の間取り図に変更になるというわけだな。

 頷くと、リュウライは一つため息を吐いた。


「……この先、特に目的地があるわけではありません。人目を避けて闇雲に建物内を探し回ることになります。危険を伴いますし、成果があるかも分かりません」


 それでも行きますか?

 なんて、リュウライが心配そうに見上げてくる。


「何を今更なことを言ってるんだよ。もう乗り掛かった船だろ? ここまで来て引き返せねぇよ」

「……そうですね、すみません」


 馬鹿なことを訊いたな、って顔で溜め息を吐くリュウライは憂い顔。そんなに追い返したかったのかな、俺のこと。リュウライが心配なので、帰りませんけれども。


「で、闇雲って言っても、間取り図を見てるんだ。行き先の目星くらいはつけてんだろ?」

「はい。この研究棟には地下があります」


 そこが怪しい、とリュウライは言う。根拠をつらつら言っているところからすると、かなり間取り図を研究してきたようだ。


「OK。んじゃ、そこに行ってみるか。ミツルくんナビゲートよろしく」


 事前に見せてもらった間取り図によれば、この研究棟は三階建て。二階から三階は、俯瞰すると〝目〟の字を〝日〟の字で挟んだような感じで廊下が作られ、空いた部分に居室やら実験室が設置されている。一階は二、三階部分の南側がごっそりなくなってエントランスが広く取られていた。


 エレベータはちょうど中央。階段が隣に併設されていた。他、階段は東西の端に設置されている。東側だと、この連絡通路のすぐ側だ。

 東階段を下りて一階へ。そこから北東の隅へと向かう。地下への階段はそこにある。道のりはひどく単純。

 研究棟の廊下の照明は全て落とされていて、非常灯の橙色の小さな明かりがあるのみだ。少なくとも一階には誰かいる様子はない。ミツルが事前に調べてくれたお陰で警備の巡回は回避。あとはカメラだけ気を付ければ良い。

 順調だ。ここまでは。あまりに簡単すぎて恐ろしくなる。こいつらO監なんかより泥棒のが向いてるんじゃないか? 表向き警備課なのは、こういうときのスキルが発揮されるからかもしれない。侵入の手口を知っていれば、防ぐ対応取りやすくなるし。


 北東の階段を下りる。下りた目の前には扉だけがあった。そっと中に入ると、リュウライの予想通り資料室だ。リュウライが下に向けたペンライトに照らされて、パイプラックに雑多に本やらファイルやらが押し込められているのが見える。


「……最近人が入った様子はありませんね」


 些か残念そうにリュウライが言う。この埃っぽさ。ペンライトの明かりに照らされて舞う粒子の多さからしても、確かにそんな感じだな。

 リュウライはなるべく上方を照らさないようにしながら、ペンライトを動かす。真っ直ぐ延びていくパイプラックの通路。一番奥に左に折れる箇所があるのを見つけた。

 角からそっと様子を窺うリュウライ。視線が天井に向けられたとき、その目が大きく見開かれると同時に、眉根が寄せられた。


「ミツル、この部屋にもカメラがある」


 驚きがマイク越しに伝わってくる。どうやら想定外だったらしい。二人で慌ただしくやり取りをしていた。俺は黙って傍観。

 しかし。カメラの配置まで知ってるのか。何処で手に入れてくるんだ、その情報。


「続行する」


 リュウライが一度振り返る。目があったので、頷いた。こっちは問題ないよ、と。


 ペンライトの光量を絞りつつ、リュウライが身を屈めたまま角を曲がった。そのあとに続いて、ようやくリュウライが見ていた景色が見えてくる。

 壁に押し付けられた古そうな金属の机と椅子。それを囲むように並んだパイプラック。資料室の様相を見せつつも、机の存在が違和を訴える。

 ふと思い付いたのが、〝陸の孤島〟、〝左遷〟なんて言葉。よく『左遷されると資料室送りになる』なんて話があるけど、ここはまさにそんな印象を受ける場所ってことだ。

 ちらり、と天井を見上げてみると、確かにリュウライの言うとおり、パイプラックに隠れるようにして監視カメラが在った。机のほうに向けられている。あそこに座っていた誰かを監視していた? あり得そうだな。机の傍らに、打ち捨てられた古びた毛布がある。


 リュウライはペンライトの光量を上げて机の上を物色しているので、俺もシザーケースから小さい懐中ライトを取り出して書棚を当たることにした。

 背表紙だけ眺めても、何も書かれていないのでなんの資料だか全然判りゃしない。ファイルの一つにそっと手を伸ばし、開く。何かの測定結果らしき数値やグラフが並んでいた。ざっと読んだだけでは解らないので、次の資料に手を伸ばす。次は論文らしい。細かい文字は読みにくいので、タイトルだけ見て捲っていく。なんとなくだが、これは……。


「リュウ」


 呼び掛けてみると、リュウライは机の上の資料を眺めたまま深刻そうに頷いた。


「ええ。当たりですね。オーパーツに関する研究資料です」


 ピカ、ピカ、とリュウライの手元で強い光が瞬いた。手にはカメラがあった。間を空けてまた光る。

 そんなに面白いものがいっぱいあったのかと覗いてみたら、なんと資料のページを捲っては撮影していた。証拠としてではなく、内容そのものを持ち帰る気か。特捜の徹底ぶりはなかなかだな。


「……ん?」


 一通り撮影を終え、資料を片付けていたリュウライは、ふと机に立ててあった一冊の本に目を留めたようだ。本っていうよりは、手帳だな。開いてみると、中は走り書きらしきものでページがびっちり埋められている。罫線なんていらないんじゃないかと思ってしまうくらいに斜めに書かれた文章。大きさも違って乱雑。日付が振ってあるところを見ると、日誌か?


「……これは」


 ページを捲っていたリュウライの目が見開かれる。


「アロン・デルージョの手記だ」


 断定したリュウライにびっくりする。なんで判るんだよ。


「デルージョってぇと、RT理論の? ……ここにいるのか」

「ええ、もしかしたら。……でも……」


 リュウライは辺りを見回した。疑うのももっともだ。仮にも異端と呼べる理論を提唱した研究者様だ。自ら望んで、こんな打ち捨てられたような場所に居座るとは思えない。


「何かありそうだな」

「そうですね。これは、拝借していきましょう」


 リュウライはボディバッグに手記を押し込んだ。


「ここはもういいでしょう。頃合いを見て、他の場所へ」

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