MIDNIGHT・RENDEZVOUS

フクロウ

1 アサとヨル

 なんてことないごくごく普通の日常に、僕は生きている。

 毎朝7時頃に起きて、8時から15時半までを学校で過ごし、あとは家に帰って自分の時間を有効に使うだけ。

 世界中の多くの学生が、大抵こんな生活を送っているのではないだろうか。

 僕とてそれは例外ではない。

 家族もいるし、友人だって少なくはない。

 むしろ客観的に見たら『幸せ者』と呼ばれる部類に入るかもしれない。

 しかしただ一つ、僕は家に帰ってから……いや、正しくは世間的に言うところの日が落ちてからの時間の使い方が人とは違った。

 僕は毎日、夜になると家を飛び出して会っている人がいる。

 時刻は午後19時。

 今日もいつもと同じように早めに夕飯を食べ、必要な道具だけ持ってその人に会いに来ている。

 家から十分ほど歩いたところにある公園がいつもの待ち合わせ場所で、大抵僕が近づくと、向こうの方が公園から出てきてくれる。


「待たせた? ヨル」


 いつも通り、公園の側まで来たところで現れたのは全身黒ずくめの服装に身を包んだ僕より少し年上の女性。

 名前をヨルと言う。

 多分本名では無いが、僕が初めて彼女に出会った時にそう名乗られたからそう呼んでいる。


「私は基本的にずっと君のことを待ってるよ。アサ」


 アサ。

 それが彼女から僕に与えられた名前だった。

 彼女がヨルだから、僕はアサ。

 今でも思う、取ってつけたような名前だって。

 本名を名乗ろうとしたが、頑なにそれを拒否され、僕も諦めてヨルの前ではアサを名乗るようになった。


「今日はどうするの?」


「そうね……とりあえず、『飛んで』話しましょうか」


「……うん」


 僕とヨルは、この町を『飛ぶ』ことができた。

 これは人類の長年の夢である、『空を飛行する』ということと同義である。

 僕一人では飛べないし、ヨルも一人では飛べない。

 理由ははっきりしないが、ヨルが以前話したことによると二人のウマが合わなければ飛べないらしい。

 その意味はどういうことか分からないが、僕はいつからかそんなことはどうでもよくなった。

 僕とヨルが一緒にいると、この町を飛べる。

 それだけ分かれば十分だ。


「今夜は四丁目のビルを狙いましょう」


「四丁目……ってことは、あの一際目立つ大きなビル?」


「そう。あそこの四階でとある犯罪集団が良くない取引きをしているという情報を掴んだの。人数は多くはないだろうけど、全員が全員、武装しているものと思った方がよさそうね」


「はぁ……また武装連中か。もっと楽な仕事は無いの?」


「残念ながら。この帝町で武装しないで犯罪を起こす連中の方が珍しいわよ」


「そりゃまぁ、そうだけどさ……」


 帝町。

 東京の地下に広がる犯罪が絶えない愚かな町。

 地図にはその存在は明記されておらず、警察も存在しない無法地帯。

 毎日子供でも死体を見るような最低な町。

 ここで生まれ育った僕たちは、空と良心を知らない。

 学校では生き残る術を教わり、全員が全員、地上への夢を見る。

 しかし本当はみんな分かってる。


 そんな手段あるはずがないってことくらい。


 これまで地上を目指した人間はいた。

 でもその人がどうなったかは皆知らない。

 地上を目指したと言いながらも、上に向かうために掘られた穴なんかどこにも無い。

 そんなことが何件も、何十件も、何百件もこれまでにあった。

 流石の僕も察することができた。

 少なくとも僕が生きている間に、帝町の住人が地上に出ることなんか不可能だということに。

 僕の中に眠るたった一つの夢が潰えた。

 ここで一生を過ごすことが僕の中で勝手に確定されてしまったのである。


 そんな時だ。ヨルに出会ったのは。


『君と一緒なら、私はこの町を飛べる』

 彼女はそう言って僕の前に突然現れた。


 ヨルはこの帝町で都市伝説にもなっている、とある『扉』の存在を心から信じていた。

 それは上に繋がる唯一の道であり、扉の奥には見るのも嫌になるほど長い階段があるそうだが、僕を含め、誰もその存在を信じてはいなかった。

 帝町は広い町だが辺りは壁で覆われており、やろうと思えば扉一つ探すくらい何てことはないはずだ。

 きっと、探そうとした人もいたはず。

 しかし誰一人としてその存在を知らないといことは……つまりそういうことなのだろう。

 だがヨルは、この町で唯一ヨルだけは扉を信じ、地上への夢を捨ててはいなかった。


 その理由の一つとしてこの町で蔓延る主な犯罪、『麻薬売買』にヨルは目を付けていた。

 麻薬は元は植物。

 太陽もないこの帝長で大量に培養するのは厳しく、電気を使った化学的な培養を試みようにも帝町で植物一つ育てる電気を得ようと思ったらシャレにならないお金が発生する。

 このことからヨルは、この町で売買されている麻薬は、地上から持ってきたものではないかと推察した。

 来ることができたのなら、出ることもできるはず。

 それを可能にするのは、唯一『扉』の存在以外ありえない。

 そこでヨルが考えたのが、麻薬売買という大きな犯罪を防ぐヒーローになりつつ、扉の存在を探る。

 ヨルからこの話を聞いた時、僕の心は久しぶりに高揚した。

 地上を目指す夢が、また僕の中で蘇ったのだ。


 どういうわけかヨルは喧嘩がめっぽう強く、その辺の犯罪組織相手ではまず負けない。

 僕も身体中傷だらけになりながらヨルに戦闘のいろはを教わり、彼女の足手まといにならない程度には成長したつもりだ。


 今日もまた、扉の存在を求めて僕とヨルは帝町を飛ぶ。


「今日の連中は扉のこと、知ってるといいね」


「知ってるといいじゃないの。絶対知ってるはずなの。これまでの連中が吐かなかっただけで、奴らは必ず扉のことを知ってるはずよ」


 もうヨルと出会ってから三カ月が経とうとしているが、扉に関する情報はゼロに等しい。

 やっぱりそんなもの、無かったのかもしれないと思う日もある。

 でもその度にヨルは、『扉は絶対ある』と僕に言い聞かせ、そのおかげで僕も希望が持てている。

 どちみちこの希望を失ったら最後、僕はまた地上への夢を諦めてしまうだろう。

 だから、今はヨルを信じ、扉の存在を信じるしかないのだ。


「さ、着いたわ」


 帝町四丁目のトレードマークとも呼べる大きなビル。

 その屋上に僕たちは『着陸』した。


「作戦は?」


「いつも通り、ノープランよ」


「せめて自信満々にそういうことを言わないで欲しいな」


「まぁいいじゃない。どうせ楽勝でしょ?」


「分かんないよ? 最近は僕たちのこともこの町で有名になってきてる。いつどんな対策されてもおかしくはないよ」


「そん時はそん時よ。それじゃ、行きましょうか」


「はぁ……僕はその内痛い目を見そうで怖いよ」


 僕はそう言いながら屋上に取り付けられた、建物内に繋がる扉に手をかける。

 ノブを回すが……。


「開いてないね」


「やっぱそーよね。これから悪いことするのに、他からの侵入許したらダメだもんねー」


 ヨルは顎に手を当て、可愛らしく首をかしげながらそう言った。


「で? どーすんの?」


「もちろん……」


 そして見せる不敵な笑み。

 それがどんなサインか、僕はもう理解していた。

 僕はため息をつきながらヨルと並んで扉の前に立つ。

 そして、


「「ぶち破る‼」」


 全く同じタイミングで放たれた二人の猛烈な蹴りによって、扉に取り付けられていた鍵は恐らく破損した。

 それが証拠に、ノブを触ることなく押すだけで扉は開く。


「やっぱこれに限るわね~」


「前に一回、引くタイプの扉蹴って開かなくなったの、忘れないでよ」


「アサ、そういう人の失敗を蒸し返すようなこと言うと、女の子にモテないゾ」


「別にモテなくてもいい」


「まったく、可愛気が無いんだから」


「うるさい。ほら、行くよ」


 僕たちはこうして、ビルの闇に消えていった。

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