第9話 ふたりの朝

 4月20日土曜日の目覚めは、空腹感という、肉体的な反応によってもたらされた。

 休日は、特にアラームの設定をしていない。

 そのため、目が覚めるた時が起床時間になる、というのがお約束だった。


 ベットから体を起こして、時間を確認する。

 今は、午前10時を過ぎたところだった。

 寝る時間こそ遅かったものの、十分な睡眠をとったためか、昨日程の疲労感はない。


  ――この調子なら、今日1日をゲームの練習にてても、問題はなさそうだな。


 昨日の成果を思い出しながら、頭の中で、軽く今日の予定をたてる。


 昨日は結局、20メートル離れたところから、止まった的に弾を当てられる様になるので精一杯だった。

 それ以上離れた場所から撃つと、途端とたんに弾がバラつき、狙ったところに、全く当たらなくなったのである。

 これは、大きな問題だった。

 弾を再装填する時間や、今の射程距離から考えると、今夜のイベントでは、相手の視覚外からの闇討ち戦略を採用しようと考えていた。

 狙ったところに当たらない、というのは、その戦略をとる上で、致命的な弱点と言えた。


 ――撃つ時の姿勢とか、銃口の向きとかを同じにしてるのに、なんで同じところに当たらないんだろう?


 フィーにも見てもらいながら調整を行ったが、それでもうまくいかないのが現状だった。

 しかも、問題はそれだけではない。


 ――あと、そもそも、あの銃が、どれくらいの威力が出るかもわかんないし……。


 昨日作成した簡易的な的では、使用する銃の威力が確認できなかったのである。


 体のどの部位に弾を当てれば、最も効率良く相手を倒せるのか――。


 これも、今考えている戦略を実行する上で、極めて重要な要素だった。


 ――弾は当たらないし、威力はわからないし、問題山積みだな……。


 「ふぅ……。」 

 今夜のイベントまでに、やらなければならないことの多さに、思わずため息が漏れる。

 

 ――残り時間で、どれだけできるのか――。出たとこ勝負しかないかなぁ……。


 解決の糸口がつかめないことがもどかしく、目覚めきっていない頭で思考を巡らせ始める。

 その時、目覚めの要因となった空腹感が、一層、その存在感を主張してきた。


 ――とりあえず、先にご飯食べよ。


 生理的な問題を前にして、ゲーム内の問題を、いったん棚上げすることを心の中で決める。

 そして、差し迫った問題を解決するために、朝食を求めて部屋を出た。


 ● 


 洗面所で手早く顔を洗い、リビングに入る。

 室内は、明かりがついており、台所では、長い髪を後ろで束ねた母が、何やら調理をしていた。

 どうやら、こちらが階段を下りてきたことに気付き、朝食の準備をしてくれているらしい。

 そんな母に、朝の挨拶をする。

 「おはよう、母さん。」

 「おはよう。もう、ほとんど昼だけどね。」

 母の軽口を聞き流しながら、リビングスペースに移動する。

 リビングの中には、他の家族は見当たらなかった。

 母に、その所在を問う。

 「今日、父さん達は?」

 「今日も仕事だってさ。隼人はやとは、部活。」

 母から、想像の範疇はんちゅうの答えが返ってくる。

 特に驚くようなことはない。

 畳に腰を下ろしながら、生返事を返した。

 「ふーん。」

 次いで、母から今日の予定を問われる。

 「あんたは?今日、どっか出るの?」

 今朝決めた予定を伝える。

 「今日は、家かな。」

 「そう。私は昼出かけるから、ご飯は適当に買ってきて食べてね。」

 母は、昼間出かけるらしい。

 こちらも、特段珍しいことではなかったので、軽く了承を返した。

 「わかった。」

 朝食ができるまでの間、なんとなく、付いているテレビに目をやる。

 画面の中では、キャスターが今日の天気を説明していた。

 予報によると、本日は1日中快晴らしい。 


 ――まぁ、晴れでも雨でも、今日やることはあんまり変わらないけど。


 そのまま、ぼんやりとニュースを眺めていると、スピーカーから、フィーの声が発せられた。

 「おはようございます。ヒロ。」

 そう言えば、今日はまだ会話していなかったなと、今朝からの行動を思い出しながら、フィーに朝の挨拶を返す。

 「おはよ。フィー。」

 続いて、フィーが今日の予定を伝えてくる。

 「本日は、午後9時から、ゲームのイベント参加の予定が入っています。」

 フィーに了解を返しつつ、イベント開始までの時間の過ごし方を口にする。 

 「うん。わかってる。朝ご飯食べたら、また練習だな……。」

 こちらの言葉に、フィーが意気込んでみせた。

 「はい!目指せ優勝です!」

 1人熱気を上げる相棒に、こちらは、1歩引いてしまう。

 「さすがに、それは気が早すぎるよ。」

 それ言葉を聞いて、相棒の熱気がさらに上がった。

 「何を言いますか!まずは気持ちから、でしょう!」

 いよいよ、その勢いについていけなくなり、なんとか、生返事で話題をかわそうと試みる。

 「そんなもんかねぇ……。」

 「そんなもんです!」

 「まぁ、頑張ってみるけどさ……。」

 「覇気が足りません!」

 「そんなもの朝っぱらからでないよ。」

 「むぅ……。」

 どうやら、こちらの応対が、ご不満だったらしい。

 これ以上は、旗色が悪いと判断し、話題を転換する。

 「そんなことより、昨日の練習結果、データでまとめてくれない?」

 「了解しました。一先ず、命中精度の計算でいいですか?」

 この試みは、功を奏した。

 ついでに、いくつかの注文を加える。

 「うん。それと、撃った時の姿勢と銃の向きのデータと、その時、的のどこに当たったか、っていう結果も欲しい。」

 「了解です!朝食後、見られるようにしておきますね。」

 「よろしく。」

 指示を出し終えたタイミングで、母が朝食を持ってきてくれる。

 今日の献立こんだては、玉子トーストが1つと、サラダ1皿だった。

 料理の乗った皿を机に置きながら、フィーとのやり取りについて言及してくる。

 「あんたのコンシェルジュ、フィーって名前にしたの?」

 「うん。まぁ……。」

 「一日で、随分ずいぶん変わったわねぇ。」

 確かに、昨日の同じ時間に比べれば雲泥うんでいの差がある。

 要因は、1つしか思い当らないので、それを説明する。

 「昨日、ゲームと連携したから。そのゲームのキャラクターの影響だと思うけど。」

 「ふーん……。まぁ、事務的なだけじゃ味気ないし、いいんじゃない?」

 母の感想に、前と今、どちらの方が良かったか比較してみる。

 「どうかなぁ――。」

 どちらにもいいところがあるように思えて、すぐさま答えの出せるものではなかった。


 ――そもそも、まだ、1日しか経ってないし……。


 判断するには時期尚早じきしょうそう、と、返そうとしたところで――、

 「――あら、ヒロは、事務的な方がお好みですか?」

 唐突に、スピーカーが自己主張をした。

 フィーの声である。


 ――聞いてたのか。


 依頼した解析は、全てのリソースをくような量ではなかったが、まさか、マイクでこちらの音声の収音しゅうおんを続けていたとは思っていなかった。

 予期せぬ割り込みに、しどろもどろになりながら、自身の考えを言葉にする。

 「いや、そう言う訳じゃないよ。まだ、どっちがいいか判断しかねてるだけ。ただでさえ、変化が大きかったし……。」

 ここで、今度は母が会話に割り込んだ。

 「今のままでいいんじゃない?あんたの性格に、合ってるように見えるけど?」

 他人から見る評価は、そんな感じらしい。

 しかし、"なんとなくの流れ"で、それを認めることが釈然とせず、お茶を濁した回答をする。

 「まだ、よくわからないよ。」

 「ご希望があれば、いつでも言ってくださいね。」

 それを、ともとも言わず、フィーが話題を終わらせようとする。

 それを好機こうきとみて、話を合わせた。

 「うん。ありがとう。覚えとくよ……。」

 そのやり取りを見て、母が先程と同じ感想を述べる。

 「ホントに変わったわねぇ。お手伝いさんが増えたみたい。」

 改めて、そう思ったらしい。

 今度は、本当にそう思っている時の声色だった。

 その母の言葉にツッコミを入れる。

 「元々、コンシェルジュって、そういうもんでしょ。」

 「そうなんだけど――。」

 なんとなく、母の言いたいことは伝わっている。

 そもそも、自分自身、未だに戸惑うことの方が多いのだ。


 ――自発的なAIって、やっぱり珍しいよな。

 

 変化の経緯を見ていない人からすれば、驚きも大きいだろう。

 しかし、それを上手く言語化することはできなかった。

 それを誤魔化すために、"好み"という観点を持ち出す。

 「まぁ、人によってコンシェルジュの性格も、好みとかもあるんだろうけど……。」

 母は、特にその点について追及することなく、自身の思いを口にした。 

 「そうねぇ。今のやり取り見てると、私も、いろんな性格のモデルを試してみたくなるわ。」

 その言葉を聞いて、母に質問を投げかける。

 「試すの?」

 「うーん……。気が向いたら、父さんにやってもらうわ。」

 母の反応を見て、今後の展開が、軽く予想できた。


 ――これは、やらないな。


 "やりたいことは、自分でやる"が、母の信条だった。

 もっとも、"必ず、自分でやらないと気が済まない"、というお堅いものではなく、そっちの方が好み、という程度のものである。

 しかし、初めから他人をアテにする、ということはあまりない。

 これに加えて、"気が向いたら"、などという不確かな言葉がついているのだから、"無理してやらなくてもいいや"程度の気持ちなのだろう。


 ――まぁ、もしやる気でも、俺はやり方わかんないんだけど……。

 

 自分のやることが、不用意に増えなかったことに、内心胸をなでおろす。

 それを知ってか知らずか、母が話題を切り替えた。

 「じゃあ、私皿洗ってるから。さっさとご飯食べちゃって。」

 「あ、うん。いただきまーす。」

 挨拶をして、朝食に手を伸ばす。

 それを見届けて、母が、台所に戻ろうと歩き出す。

 その途中で、足を止め、こちらに釘を刺してきた。

 「あ、そうだ。あんたのことだから大丈夫だと思うけど、学校の課題とかも忘れないようにね。」

 その忠告に対して、トーストにかぶりつきながら言葉を返す。

 「うん。わかってる。」

 「ならいいけど。」

 そう言って、台所に入って行った。

 

 流れるテレビの音声をBGMに、頭の中で、今夜のイベントまでの時間の過ごし方を、入念にシミュレートしながら、朝食を摂る。

 "ああしよう"、"こうしよう"と考えながらの食事は効率が悪く、思ったより箸の進みが遅い。


 結局、朝食を食べ終わったのは、食べ始めてから30分が経過した後のことだった――。

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