第4話 新世界への切符
ついでに、ディスプレイに表示されている現在時刻を確認すると、午前8時15分だった。
――朝礼が始まるまでに、抽選に応募するくらいはできそうかな?
残り時間からそう判断し、鞄から、イヤホンとマイクがセットになった小型インカムを追加で取り出した。
そして、インカムを右耳に装着し、マイクに向かって声を発する。
「"make solution"で検索。結果は、画面に表示して。」
こちらの要求に対して、イヤホンから応答があった。
「かしこまりました。」
応えたのは、自宅のサーバで常駐しているコンシェルジュである。
近年、インカムや携帯といったデバイスも、全て個人所有のサーバに接続されることが主流となっていた。
ネットワークの検索をはじめとした情報処理を、サーバが持つ高性能CPUが担当し、人が持ち運ぶデバイスは、処理された結果を出力する。
これによって、各デバイスは、大掛かりな処理能力を持ったCPUや、複雑な機能を必要とすることがなくなり、結果、機能の分散化、小型化、低価格化の道を進むこととなった。
携帯は、その影響を大きく受けたものの一つである。
機体は、タッチ操作ができるディスプレイのみで構成されており、厚さ4ミリ、重さは90グラム程度のものが主流だ。
マイクやスピーカーなどの
この形式が発表された当初は、持ち運ぶ機器が多くなるとして、人々に敬遠されていた。
しかし、実際に発売され、その使用感が口コミで広まると、その需要は爆発的に増加したのである。
サーバに搭載されたCPUと高速回線が、通信や情報処理の大半を負担するこの形式は、ネット回線の一本化と、携帯1台につき1つの契約という、これまでの制約を打ち破った。
すなわち、従来の機能集約型のものと同等のことが、さらに安く、かつ、高速に行えるようになったのである。
新しいものの方が得ならば、消費者が、機種を新しいものに移行するのは当然の流れだった。
こうして、携帯の主流は大きく変わり、周辺機器も含めて、今なお、分散小型化を突き詰める方向にひた走っている。
そんな携帯の画面に、検索終了を示すポップアップが表示され、装備したインカムから、コンシェルジュの声が流れる。
「検索を終了しました。検索結果の表示条件はいかがいたしましょう?」
検索結果を、思い通りに並べ替えてくれる機能の使用確認だった。
ひとまず、抽選に応募するために公式サイトを見やすい位置に設定する。
「トップを、公式サイトで。」
「かしこまりました。」
そして、とっつきやすい所から情報収取を行うべく、条件を追加することにした。
「それと、利用者数の多い順で、ゲームの解説サイトを並べて。」
「かしこまりました。」
コンシェルジュが、そう答えた直後、手に持ったディスプレイの表示が変化する。
ブラウザソフトが起動し、検索結果を表示する画面が表示される。
一番上の項目に、指定通り、目的の公式サイトを思わせる文字列が並んでいる。
二番目以降の項目は、まだ表示されていない。
どうやら、サイトのピックアップと並べ替えに、少しかかるようだ。
ぼんやりと、携帯の画面を眺めていると、突然、頭上から声が降ってきた。
「ちょっと、ヒロ」
「ん?」
顔を上げると、目の前に、小柄な女子生徒が立っていた。
猫のような吊り目と、シャープな顔立ちが、どことなく勝気な性格を思わせる。
長い茶髪を後ろで纏め、ポニーテールにしていることと、制服のブレザーを少し着崩していることが、更にその雰囲気を助長している。
恭輔と同様、良く見知った顔だった。
こちらも、小学校からの知り合いで、名を冨野
「なんだ。美世か。……オハヨ。」
「はい。おはよう。」
手軽に挨拶を済ませ、用向きを聞く。
「んで?用件は?」
「――わかってんでしょ?」
「ハイハイ。いつものね。」
1年前くらいから、恒例になったやり取りだ。
そのやり取りを終え、美世が先を促す。
「――で、恭輔はなんて?」
予想通りの質問に、用意していた答えを返す。
「一緒に、ゲームをしようって誘いだったよ。"make solution"ってタイトルだってさ。今から、俺も入手しようとしてたとこ。」
「そ。サンキュー!」
そう言って、颯爽と立ち去っていく。
自分の知らないところで、
いつの頃からか、美世は、こうして、恭輔の動向を聞いてくる様になった。
もし仮に、美世が、そういう感情を抱いていたとしたら、まず間違いなく手が先に出ているだろう。
そこには、美世という人間に対する、ある種の信頼があった。
それらを踏まえると、単純に、自分の気持ちに素直になれていないのだろうとアタリをつける。
今の美世は、とにかく恭輔と一緒の時間を作ろうとしているように見えた。
その一環なのか、高校に入ってから、恭輔の所属するバスケ部のマネージャーにもなっている。
2人がそういう関係になったと言う話は聞いたことがなく、また、雰囲気からも、それを読み取ることはできていない。
今はまだ、美世が片想いをしているといったところか。
――恭輔に自分の気持ちを言えばいいのに……。ホント、健気というか、なんというか――。
去っていく背中を眺めながら、他人事のようにしみじみとしてしまう。
最近では、友人の牛歩のような恋愛模様に対して、保護者じみた感情を抱いていた。
――まぁ、俺には縁のない話だけど……。
内心でそう結論付け、携帯の画面に目を戻す。
検索結果の並べ替えは、とっくに終わっていた。
最初に、ライセンスの抽選申し込みから済ませようと考え、コンシェルジュに指示を出す。
「検索した公式サイトから、ライセンス抽選の申し込み。入力する情報は、俺の個人データで。」
「かしこまりました。
その数秒後に、申し込みの完了メールが届いた。
どうやら、無事に申し込みができたらしい。
それを確認して、次の指示を出す。
「次は、2番目のサイトを表示して。」
「かしこまりました。」
サイトが表示され、"make solution"に関する様々な情報が目の前に展開される。
人気サイトなだけあってか、中々に情報量が多そうだった。
それらの情報に上から目を通していく。
その作業は、朝礼の時間まで続いた。
●
その後、何事もなく朝礼が終わり、1限目の数学の授業が始まった。
本科なので、リモートでの授業形式となっている。
生徒は皆、机に備え付けてあるディスプレイを見ており、その周りを、監督役の教師が歩いて巡回している。
生徒が見ているディスプレイの中では、それぞれ異なった教師が授業を展開されたいた。
個々の学力レベルに応じて、AIが最適な教師を選択しているのだ。
これによって、生徒と教師間の、合う、合わないという問題が解消されている。
一説によると、この方式の導入によって、学科テストの平均点が上昇したという話もあるらしい。
今日の授業範囲は、
画面の向こうで、40代半ばの男性教師が、グラフを書きながら解説をしている。
「このように、微分を行うことで、2次関数グラフの接線がわかり――。」
そう言いながら、教師は、下を向いたお椀のようなグラフと、そのグラフに接した1本の線を引く。
頬杖をつきながら、ぼんやりとその解説を聞く。
――それがわかって、いったい何の意味があるっていうんだ……。
今、画面の中で教師がやっているように、2次関数のグラフを書くことや、微分の計算をすることは、自身が記憶している限り、再現することができるだろう。
しかし、それを
――ホント、何のためにやってるんだか。
小学校の頃には、全く
この疑念は、数学に限ったことではなかった。
――まぁ、それを言い始めると、数学とか理科って教科自体、社会に出たら使わないんだろうけど。
実際のところ、社会に出れば、今やっている計算などを自分の手ですることはない。
仮に、微分をする機会があったとしても、微分ができる計算ソフトを持ってきて、そのソフトに計算をさせるだけだ。
そうであるなら、何故こんなことを勉強するんだろう――。
この疑問に対して、大半の教師は、"それがカリキュラムだから"と返すだろう。
かつてあった、"大学受験のため"という理由も、
ちなみに、その結果として、大学がかつて失いつつあった、"学術研究を行う高等教育機関"という、本来の役割を取り戻すことになったのは、大きな皮肉だった。
結局、"勉強すること"そのものが目的ということなのだろう。
――後、強いて言うなら、教促で良い企業に行きやすくするため――、くらいか……。
今では、答えのない疑念に対して、半ば、諦めに似た感情を胸中を宿している。
つらつらと後ろ向きの考え事をている内に、授業に対するモチベーションがどんどん低下していく。
それは、即座に、寝不足の脳に眠気を運んできた。
――昨日、夜遅かったしなぁ……。
そのまま、睡魔に身を
それによって、意識が急速に引き上げられる。
どうやら、メールか何かが着信したらしい。
退屈しのぎに丁度良いかと、監督役の教師の目を盗んで、携帯を取り出す。
周りに注意を払いながら、素早く画面を表示し、通知を確認すると――、
――マジかよ……。
思わぬ出来事に、思考が停止する。
画面に表示されたメールの送信元の欄には、"make solution"の文字が、そして、メールの件名には、"ライセンス当選のご連絡"の文字がある。
応募から、わずか2時間足らず――。
新しい世界への切符は、想像していたよりもずっと早く、手中に舞い込んだ――。
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