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夜闇に火花が弾ける。
森のざわめきも落ち着き、気持ちの良い夜の風が頬を撫でる。
「――――改めて、御礼申し上げます。巫様」
静かで落ち着いた丁寧な口調。
セーラ・アルタイル。それが彼女の名前である。
ロップイヤーの兎族の女性。ベージュ色の長髪が特徴的で、その余裕のある立ち振舞は大人の女性を体現しているかのよう。痛々しい包帯姿でも、それを感じさせないほど冷静沈着な様子でこちらの方が戸惑うほどであった。
「話はステラさんからお聞きしました。危ないところをお助け頂き感謝してもしきれません」
「そ、そう……ですか。えっと……そう畏まらないでください。わたしはやるべきことをやったまでですので」
あの状況で見て見ぬ振りは……さすがに出来なかった。陰に対抗できるのは“巫”だけだとはいえあれだけの強敵相手では並大抵の者じゃ対処もままならないだろう。
(あのバカ女神はああ言っていたけど。ホントどうするつもりなんだ……?)
考えたところで答えは出ない。今の自分はただの巫に過ぎない。できることといえば、目の前にある物事を対処するのみ。結局はそれだけだ。人も神も神獣も……なんら変わりない。
「あ…あのっ。巫さま……?」
様子を窺うように恐る恐るといった声がかかる。
顔を向けるとそこには年端の行かぬ少女。名前はステラ・シエル。セミロングの髪に少しウェーブのかかった蜂蜜色の金髪。白いローブを着込み、長い杖を携帯している魔道士然とした娘である。
「簡単なスープですが……ど、どうぞっ。お口に合うかは分かりませんが……」
「ありがとうございます。……ステラさん」
差し出された御椀を両手で受け取る。
この子……なんだか知り合いに似ている気がする。誰だったかな。
と、喉元まで出かかったしゃっくりが途中で止まってしまったかのような不愉快な既視感。
「あ……あの、どうしました?」
「あっ。いえ……失礼しました」
不思議そうに首を傾げる彼女に慌てて視線を外す。ついつい見つめすぎていたらしい。
気を取り直して手元を見やる。そこには暖かな湯気が上がる美味しそうなスープ。
具材は質素なものだが、こういう旅路ではあるのとないとでは雲泥の差だろう。気持ちまでも温めてくれる食事はどこでだって人には必要不可欠なものだ。
(あ……お面外すの忘れてるじゃん)
と、今更ながら気がついた。
二人からのツッコミもなく、自然に会話していたので外すタイミングを見失っていたのだ。
ふう……と、俺はお面を外す。
この“狐面”の力はもともと自分の中にあったものだ。その為長くつけていると違和感がなくなってしまって少し困っている。
少し前髪を整え梳いてから頭の定位置に戻す。そこでふと彼女らの視線が自分に向けられていることに気づいた。
「あら……」
「かわいい……」
片や驚いたように、片や少し頬を染めて二人から言葉が漏れる。
「もしや……巫様は成人なされておられないのですか?」
「え……っ?」
おっと……そうきたか。
そういえば、この世界の成人は16歳だ。
確かに自分の見た目は幼い。精神的には既に二十歳を超えていてもこの見た目では誤解されて当然だ。しかし――――
(ここで否定しても……余計に怪しまれるだけかな……)
既に二人から見れば俺は怪しい者だろう。命の恩人だとはいえここまで丁寧にもてなしてくれたのは彼女たちの優しさゆえの行動……。これ以上怪しまれるのは避けたい。ならば――――
「はい、その通りです。今年で14になります」
と、言ったものの……中学2年生ぐらいか。うん、子供だな。まあ、これはアイツの趣味なんだけどなっ!俺じゃなく!
「そう…ですか……」
セーラさんはそう言って目を伏せる。なんだか思うところがありそうだが、追及は止めておこう。これ以上は流石に藪蛇だ。
「あっ。あのっ!」
「はい……?」
話が途切れたところへお次はステラさん。
「そのっ……ハグしていいですかっ?」
「はい――――はい??」
おっと、つい聞き返してしまった。おかしいな耳は良い筈なんだが……聞き間違いか?
「ハグ、して、いい、です、かっ??」
「……聞き間違いじゃないようですね」
言葉のままに勢いよく接近して来た彼女に俺はたじろぐ。思っても見なかった反応に二の句が告げず、黙ってしまう。それを気分を害したと思ったのか彼女は慌てて弁明しだした。
「ごっ、ごめんなさいっ。可愛くてつい……。そうだよねっ。嫌だよね! わたし可愛いものを見るとすぐこうなっちゃうんだ……。ぜんぜん気にしなくていいよっ ごめんなさい!」
わたわたと目を回すほどの狼狽えようは見ていて少し笑えてしまった。そして……その時ようやく思い出したのだ、この子が誰に似ているのか……。
(ああ……俺の初恋の人に似ているのか)
懐かしい思い出だ。それは生前の話、既に10年も前のことだ。今はもう顔すら覚えていない。今たまたま思い出せたのは似たようなことが生前にあったからだ。実際にハグした訳ではないぞ。
「……そうですね。少しだけなら……いいですよ」
「えっ!? ホント!?」
目を輝かせる。我慢できずそわそわしている彼女を見かねて了承したが、思ったよりも喰いつかれて少し笑顔がひきつる。
「え、ええ……。お、男に二言はありませんっ。どーんと来てくださいっ」
「?? その言葉はよくわからないけど……じゃ、じゃあ遠慮なく――――」
うわぷっ。
と、視界が埋まる。胸に飛び込んでくるのかと思っていたらそんなことはない。俺自身が彼女の胸に抱き寄せられてしまった。思っていたのと違う……。
「ああ……もふもふ……しあわせ……」
「あうぅ……す、すてら……さん」
ふんわりとした女の子の匂いが鼻腔を蹂躙する。
(あ……これ……やべ……)
現実逃避したい思考を自慢の嗅覚が現実から逃がしてくれない。いつもは頼りになる能力がここで仇になるとは……。
安請け合いはするべきでない。分かりきった教訓だが……改めて学ばされた。懐かしく思った気持ちが冷静な判断を鈍らせたのか。
頭が沸騰し、軽いめまいがする。
「ステラ…さん。……もうそろそろ――――ステラさん……?」
と、ストップを掛けようとしたところで変化に気づく。
彼女の手が震えていた。まるで何かに怯えるように。背中に回された腕に力が入り少しキツイ。
「……うぅ……ょかった……。わたし達は……ホントに……生きてぇ……――――」
この体勢では顔は見えない。しかし、泣いていることは容易に分かった。
今まで堰き止められていた涙が決壊したのだろう。今まで良く持ったほうだ。
見た感じこの子はセーラさんほど戦い慣れているようには見えない。過去に何があったのかは分からないが……本来ならこんな場所にいるような子ではない筈だ。
(はぁ……仕方ないな)
彼女の背に腕を回す。暖かな体温が一層伝わる。そして、そのまま背中をあやすように優しく叩く。
そうして俺は静かに彼女が落ち着くまで付き合った。
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