四章 首輪

「とにかく私はこの状況を作りたかったんだ。フィル。君の魔力が一定以下になった状況を。そして、私の頼みを断れない状況をだ」

「……どういう意味?」

「ああ、そうだった。状況の説明を代わろうという話だったな」


 芝居がかった調子で、ユリアさんは言葉を続ける。


「私の記憶が残っているのは、フィル、君がさっきやってみせた芸当と同じことだよ。頭蓋の中で魔法を発動し、脳を直接守ったまでだ。忘却魔法が発動した事実までは確認できようが、実際に記憶が失われたかまでは確認のしようがないからな」



 言うほど、簡単な芸当じゃない。

 発動を誤れば脳神経を傷付けて重大な損傷を残すレベルのものだ。だからこそ、僕自身もよっぽどのことがないと『脳神経強化』は発動しない。ユリアさんにとっては、その記憶を失うことが自らの命に関わる程の重大な事だったんだろうか。


 それからユリアさんは人間界に帰った後の事の顛末をかいつまんで話し始めた。


 もともと歪渦の研究自体は人間側においても進められていた。但しそれは魔族の出現条件や場所、タイミングを把握するためのものであって、魔界に移動するためのものではない。


 ユリアさんはその研究内容を流用しながら独自に調査を進め、ついに人間側から魔界への入り口を開く手段を得たという。


「行方不明となっていた人間が多数発見され始めたことも私にとっては幸いした。人知れず魔族に殺されていたわけではなく、魔界に囚われていることの証明になったわけだからな」


 ユリアさんはどこか嘲るような口調で言う。


 僕は、人間の解放だけを目的としていた。それが人間世界でどんな影響を及ぼすかまでは、考えてはいなかった。記憶を奪っているから、問題にはならないだろうと。解放された人は、とにかく人間の世界で再び生活を送れることに感謝してくれるだろうと、そう漠然と考えていた。



 ユリアさんは僕の感情を敢えて逆撫でするような言葉で説明を続ける。


「私は何度も魔界に来た。それも、『現場』と呼ばれる、人間と魔族が共存する場所にだ。そこにいた者はまさか外部からやってきた自由な人間が紛れ込んでいるなんて思いもしなかった。だから私にとってはいい情報収集の場になったよ。特に子供たちが君のことをよく教えてくれた」


「……それじゃあ、僕の今の立場とか目的とはよく分かってくれていると思っていいんだね」


 感情を押し殺して、言葉を紡ぐ。


「ああ、その通りだ。だからこそ私は、君をその呪縛から解放してやりたいと思っている」


 呪縛だとか解放だとか、僕は誰かに強制されて今この場にいるわけじゃない。むしろ、全てが僕の決断の結果だと胸を張って言える。



「ありがとう――でも、大丈夫だよ」


 僕は慎重に答えを選ぶ。けれど何か説得の言葉を紡ぐ前にユリアさんに遮られてしまう。


「フィル。そうだな。これ以上言葉を交わす必要もない――動くなよ」



 ユリアさんはカナに対して冷たい口調で命令し、左手の剣を地面に刺した。その間も右手の剣はキーンの首を捉えて離さない。


 この間合いは、僕の鎖とユリアさんの反応のどちらが勝つかというギリギリの間合いだった。ただ僕が、その賭けを子供の命を賭けてまで挑戦できないだけだった。


 そしてどこから取り出したか、ユリアさんは半開きの手錠のようなものを僕の足元に放った。


 僕がそれが何かを確認している間に、地面に刺されていた剣は元のようにカナの首筋に当てられていた。


「フィル! 触っちゃダメ!」


 それが何かを確認しようと覗き込んだ動きをミルメアに見咎められた。さすがに触る気はなかったんだけど。



「『龍の爪痕レグノリア』じゃない――なんであんたが」

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