四章 黒幕

「あたしなんか呼ばずに最初っからこれでやっちゃえばよかったじゃないの」


 ひゅんと空から舞い降りながらミルメアが言う。


 戦闘が始まる前に割った深紅の球体には、ミルメアへの救援要請の魔法が組み込まれていた。この日ミルメアはちょうど今月開放する人間の引き渡しに人間界へ出掛けていたところだった。


 もしかしたら間に合わないか、来てくれないかもと思った。


 ちなみに翠のそれは『隠蔽デコイ』の術式だ。


「これは制御ができないの。あんな閉鎖空間で撃てば二人が巻き添えになるでしょ」

「あ、そ」


 興味なさげに言い捨てると、僕の手を掴んで助け起こした。


「で? 何が起きてんの?」

 ミルメアが直球の質問を投げる。

 その答えは、僕も持っていない。

「とりあえず状況だけ説明すると――」





「その役目は、私が代わろうか」



 凛とした声が響く。


 僕とミルメアは同時に振り返った。



 その声の主は、両手に剣を持ち、そしてカナとキーンの首筋にぴたりと沿わせるように当てていた。僅かでも動けば、首が切れる。


 白の甲冑に身に纏った彼女は、鎧兜までは身に着けていなかった。その体から一切の魔力を感じないこと以外は、すべて二年前の記憶のままだった。



「久し振りだなフィル」


 そこには、いつか見た僕の先生が立っていた。


 

 ■


 

 僕が魔王になったことで、魔界は大きく二つに分かれた。


 人間の解放を認める派閥と、変わらず奴隷として支配しようとする派閥だ。


 数としては、前者が多かった。それは四天王の二人が治めるヴァニーユ領とカタラーナ領がそうであったことが大きい。


 勿論、事態はそう簡単じゃなかった。


 当たり前のことだけど、人間を単に解放するだけだとそれまで人間に負わせていた労働を賄うことができなくなって、魔界が崩壊する。崩壊しないまでも、それぞれ困り事ができた種族が勝手に人間を攫ってきて元の木阿弥になる。


 だから僕は人間の解放を求める時、代わりとしてその国や地域に自分の子供たちを送ることにした。


 魔力の行使を封じた人間一人と比べると、僕とミルメアの属性を受け継いだ子供はその何倍、何十倍もよく働いた。それは単に身体能力の差異だけじゃなく、それぞれの作業に特化した魔法を使うからだ。それは魔石の探知であったり、植物の育成促進であったり。そういうわけで、僕たちが一人の子供を送り込むことで、人間が数人から数十人単位で解放されるようになった。


 そして、龍族率いる軍勢の侵略によって拉致された生徒たちがカタラーナ領から全員解放されるまでに、そう長い時間は掛からなかった。


 僕が直接手を掛けた侵略だったこともあって、贖罪の意味も込めてまず真っ先に解放した集団だった。


 ただし解放においては、一つ制約を加えたはずだった。



 それは、『僕に関係する記憶を、忘却魔法によって消し去ること』。



 いつかカタリナに説明したように、僕は人間世界において生きていると知られるわけにはいかない。だから僕はミルメアにお願いして――実際に魔法を掛けたのはユニフェリアさんだけど――記憶の抹消を施した。無論、僕に関する記憶だけじゃなく、魔界で過ごした記憶の全てを消すようにしていた。



 だから――



「なぜ私が君のことを覚えているのかが不思議だという顔をしているな」


 ふふっと悪戯っぽくユリアさんが笑う。見た目こそ、僕が記憶しているユリアさんだ。ただ身に纏う雰囲気はどことなく別人を思わせた。


 そしてとうとう我慢できなくなったミルメアが癇癪を爆発させた。


「ちょっと誰よあんた! 馴れ馴れしくあたしのフィルに話しかけてんじゃないわよ! それから私たちの子供を――」


 その叫びは、ひどく冷たくそして重い声によって中断される。


「子供が大事なら、少し静かにしておいてくれるか。恨みは無いが、魔族を斬って捨てるに私は些かの躊躇いもない」



 ユリアさんは本気で言っていると分かった。子供を二人も人質に取ったのは、何かあったときに一人をまず斬って捨てることができるからだ。


 今もその両の剣は二人の首筋にぴたりと当てられている。利口にも、子供たちは状況を理解してか今にも泣きだしそうな顔をしながらもぐっと堪えて静かにしている。


 ミルメアもそれを分かっているからか、叫んではみせたもののその場からは一歩も動かなかった。


 今はぐっと口をつぐんで、それから僕の方を睨むような眼で見た。僕は平静を装いながら、いつもの調子で口を開く。


「――ユリアさんが僕を覚えてるのもそうだし、そもそもここにいること自体が不思議だよ」

「ああ、そうだな。長かったよ、フィル。ここまで来るのに二年も掛かってしまった」


 ユリアさんも軽い調子で言葉を返す。ただそれもどこか上の空のようだった。


 その間にも僕は思考を巡らせていた。


 そして今この状況が――所属不明な人間軍による侵攻もカナとキーンの失踪も石神兵の稼働もすべてこの一人の人間によって計画されたものなのかもしれないという恐ろしい考えに思い至った。


 ユリアさんはまた口を開く。

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