三章 怒ってない!

 捕らえた人間に使い道の差があるとは聞いていなかった。


「……そうだ」


 僕が聞くと、なぜかむくれた表情をする。


「やっぱり私よりも人間の方が気になるのか」

「答えるのが難しい質問をするね」


 何となく、なぜカタリナがその服を着ているのか分かった気がした。それは初等部の低学年のものだと思う、カタリナの身長に丈が合っていない。特にスカートが短い。僕は白い肌をしたその太ももをできるだけ見ないようにしていた。見えてしまう分については仕方ない。


 それで、僕が一番聞きたかったことはユリアさんの安否だ。けれど僕はそれを直接聞くのは良くないと直感していた。


「人間側の――」


 もう一つだけ、僕には聞くべきことがあった。先にそちらを聞くことにしよう。一呼吸置いて覚悟を決め、その言葉を口にした。


「人間の死者数が分かれば、教えてほしいんだけど」



 聞きたくない。


 とても聞きたくない。



「ああ、今回は特に多かったぞ。拠点が拠点だったからな。確か千――ん? 捕獲の数じゃなくて死者? 私が捕らえた者は皆生きておったぞ」


 僕の表情を見て何かに気付いたカタリナが言い直した。


 千という数字を聞いて心臓が止まるかと思った。



「はあー……そうだよ、死んだ人の数を聞いたの」



 確かに、魔族からすれば何人殺してしまったかに興味はないだろうけれども。

 その僕の安堵は、一瞬にして絶望に変わる。


「あ、そういえば一人だけいたな、加減ができず腹を撃ち抜いてしまったやつが――あれは助からんかった」


「え?」


 嘘、そんな、まさか。


「魔力量も凄まじかったからな。あれは惜しいことをしたと思ったぞ。ただ現場に送るだけじゃなくて色んな使い道が考えられたからな」


 いくら僕が我を失ったとしても、ユリアさんを、まさか僕がこの手で、なんて――


「カ、カタリナ、僕、あの時の僕は、どうなって――あれ?」


 今、『現場』って言った?


「カタリナ、えっと、その死者って、誰が」

「誰が、って……私に決まってるだろ。加減しないとこっちがやられてたんだから、責めるなよ……」

「えっと、その人って」


 女性は、『貯蔵庫』に送るものと聞いたはずだった。現場だと男性の話をしていることになる。


「なんだよぅ、知ってる人だったのかよぅ。そうだよ、背の高い紫の長い髪の奴だよ……」


 知っている人と言えば知っている人だ。




 多分、校長だと思う。


「良かった――もう、紛らわしい言い方しないでよ!」


 いや、良くはない。人が死んでるんだから、良くはない。


「え、え? なにで怒られてるんだ私は!?」


 そうだ、カタリナにはまだもう一つ聞きたいことがあったんだ。


「貯蔵庫とかいう場所にはあとで案内してもらいたいんだけど。その前に、一つ教えて。戦闘中、強大な魔力に体を支配されて自我を失ったんだ、この首輪から流れ出る――」


 そこまで口にして、今さらながらにあることに気が付く。


 首輪が、無い。


 カタリナが、ようやく気付いたかと言わんばかりの顔をした。


「ああ。それはな、フィル」



 体を起こして僕の頬を両手でそっと撫でる。

 そして真剣な表情になって、こう言った。


「私たち龍族の王になる器の準備が整ったということだ」

 



 ■



 

 僕たちは、部屋を出て峡谷のような場所を歩いていた。上を見上げても吸い込まれるような漆黒しか視界に入らず、ここが外なのかそれとも先ほどの洞窟のような中なのかが分からない。


 岩壁から突き出るような水晶石が緑色に光り、それが辺りを照らす灯りとなっていた。


「ふぃるー……?」


 さっきからちょいちょい。僕の前を歩くカタリナがこうして後ろを振り返ってくる。


「……何」

「まだ怒ってるのか……?」

「怒ってない」

「ふぃるー……」


 しょぼんとした顔をして、また前を向く。

 普段は後頭部を超えるくらいに鋼のような鱗の尻尾が立っているのが、今はだらんと垂れ下がってずりずりと地面を引きずっている。


 そうしてしばらく進んだ後。また同じようにこちらを向く。


「ふぃるー……?」

「怒ってない!」



 怒っていた。


 僕はあれのせいで、ユリアさんに危害を加えてしまったんだ。


 後で聞いて結局無事だったと分かったものの、僕がどれだけ肝を冷やしたことか。


 それなのに、その理由をあんなふうに格好付けて誤魔化されるなんて。怒るに決まってるじゃないか。


 それに急に龍族の王だとか言われても――というかどうして皆勝手に決めるんだろう。カタリナもそうだし、ミルメアもそうだ。残り二人の四天王には絶対に会いたくなかった。


「ふぃるー……」


 カタリナがどんどん泣きそうな顔になっていくのを見て、さすがに僕もいたたまれなくなってきた。



「……もう」

「……ふぃる?」


 なんかもうそういう生き物に見えてきた。僕は肩の力を抜き両腕を軽く広げて「もう怒っていないから大丈夫だよ」のジェスチャーをしたつもりだった。


 それに関しては僕が悪かったと思う。「おいで」のジェスチャーと勘違いしたカタリナが、目を輝かせて僕の胸元に飛び込んできた。僕は「ぐえ」と鳴いた。


「フィル! フィル!」火を付けんばかりにその頬を僕の胸元に擦り付けるカタリナ。「私はフィルに嫌われたらもう生きていけないんだぞ……」


 どのタイミングからか分からないけれど、この子がおかしくなっちゃっていることだけは確かだった。


 それと、魔族をそういう目で見るのがおかしな話なんだと分かってはいるけれど、僕は女性に対する耐性が、正直なところまるで無い。鬼と遭遇して魔界に連れてこられてきた直後は錯乱していて何が何か分からない状態だった。だからこそ正常でいられたものの、今こうして色々と慣れてきた状態で、これは、かなり厳しいものがあった。


 ミルメアといいカタリナといい、こうも僕に好意を寄せてくれると僕の方もどうにかなっちゃいそうで怖い。


「ふぃるー……」


 甘えた声で僕を見上げるこの子の頭を撫でてしまいたい衝動に駆られながらも、鋼の理性でもって引き剥がした。僕の体から柔らかな感触が離れて行ってしまうことに対してとても大きな喪失感は感じずにはいられなかった。


 そして、もう一つ感じたものがあった。



 違和感だ。

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