三章 最愛の敵
「フィル、君なんだろう?」
絞り出すようなその声に、僕の意識は今この瞬間に呼び戻された。
ユリア先生が何をもって僕と判断したのかは分からなった。僅かに出した声なのか、瞬間的に見えたその鎖なのか、背格好なのか。
いずれにせよ、もうかなりの確信を持っているみたいだった。
ユリア先生は左手に持った剣も納刀し、戦闘態勢を解いた。
「頼む、せめて無事だと、教えてくれ」
魔法結界によって外界と隔絶され、今この瞬間に動いているのは僕とユリア先生の二人だけだった。
このまま黙ってやり過ごすこともできたと思う。
けれども僕はどうしても我慢ができなくなって、フードとマフラーを解いた。
「ユリア……先生」
「ああ、フィル――」
ため息のような声が漏れた。
最後に会ったのは、卒業試験の前日だ。
つまり、僕の体感ではまさにそれは昨日のことだった。けれども、ユリア先生にとっては違ったらしい。
「私があの
涙ぐむその姿に、釣られて僕も泣きそうになる。
けれど、続く言葉に僕はすぐに現実に引き戻された。
「さあ、フィル。帰ろう」
それは、叶わない。
他国への侵略だけなら、もしかしたら僕の罪は闇に葬ることもできたかもしれない。それでも今回は自国の、それも僕がお世話になった学校への襲撃だ。今回の目的は人間の捕獲であると言っても、初等部の何人かはこの戦火の犠牲になるに違いない。
「ごめんなさい、ユリア先生」
帰ったとしても、僕に居場所はない。
この国の誰にも、僕が生きていることを知られるわけにはいかなかった。
「フィル、頼む――」それは絞り出すような声だった。「君の不安なら、すべて私が叩き切ってやる! 私が、すべてから君を守ることを約束する!」
「ごめんなさい……今日のことは、誰にも言わないでください」
「フィル!」
僕はこれ以上まともにユリア先生の顔を見ることができなかった。結界の外側から万が一にも僕の顔を見られないように、再びマフラーを巻き直し、ローブをかぶった。
「フィル、まさか、首のそれは――」
と、ユリア先生が何かに気付いて声を上げた。
「――『
カナルと、ナダルと呼ばれたその龍族の二人の魔力が、徐々にか細くなっている。このままだと、二人ともの命が失われてしまう。
僕は周囲の結界を確認する。
「ユリア先生、ここから僕たちを出してください」
この結界は、外側にある魔法陣が四方に面を作って出来ていた。強力な魔法などが使えれば内側から破壊できたかもしれない。けれど僕は発動後の魔法だったり、こういった魔法陣に直接作用できないものに対しては無力だ。
「それはできない」
そう言ってユリア先生が右手を僕の方にかざした。
「君が置かれた状況は理解した――少しの間、じっとしていてくれ」
ぼう、と巨大な魔法陣が展開される。
どくん、と心臓が高鳴った。
この術式は。
もしかしたら、ユリア先生なら――
刹那、首輪が脈打った。ひやりとした感覚が背筋を走る。
それからいつか感じたどろりとした魔力が流れ込んできた直後。
僕は得体のしれない恐怖に襲われて、気が付くと左手の鎖を発動していた。まさに発動せんとしていたその魔法は、僕自身の手によって破壊された。
「……フィル、今、君は何を」
くいと指を動かし放った鎖分銅を戻すと、かしゃんと悲しげな音を鳴らした。
ユリア先生は起こった事象を理解していないわけではないと思った。その表情は困惑ではなく驚きと、それと何か別の感情が入り混じっているように見えた。
僕が魔法陣を壊すことができるのを、ユリア先生は知っていた。魔力を帯びた攻撃を放つことができない僕の戦い方を一緒に考えてくれたのはユリア先生だ。けれども魔法を発動するような上級魔族との戦闘機会が初等部にあるはずもなく――下級魔族は魔力の塊を放ったり強靭な体で直接戦闘を行う――また、対人戦闘などという演習も無い状況では、ついぞ日の目を見ることがなかった。
だからこそ、ユリア先生の驚きはこの武器の発動速度とその伸縮という特性を見てのものだと僕は理解できた。
「純ミスリル製――だそうです」
左手を前方にだらりとかざし、五つの指輪をユリア先生に見せる。それぞれの指輪から、つららのように分銅がだらりと吊り下がっている。
ユリア先生はそれを見て苦い笑みを浮かべた。
「こちらの世界にはそんな代物は存在しない――君の力を適切に引き出すことができたのは魔族の方だったらしいな」
私ではなく、という言外の意図が感じられた。僕は何も答えず、黙って手を下ろした。
「ああ、フィル。展開された魔法陣を即座に看過する頭脳も、かつ的確に始動点を捉えるその技能も――魔族のものになってしまうなんて、私は耐え難い」
ユリア先生は僕をじっと見つめる。
正確には、この首輪を見ているようだった。
「それだけじゃない。君そのものを、他の誰かのものにすることをよしとしない私がいるのだ」
ユリア先生は先ほど鞘に収めた剣の柄に右手を掛けた。
「愛する君に刃を向けるのは心が痛むが……その枷、私が切って捨ててくれよう」
言い終わるや否や、ユリア先生が矢よりも速く飛び込んできた。
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