二章 略取

 別に大したことはしていない。


 一撃目は、跳躍する軸足をこの鎖分銅で思いっきり弾いただけ。カタリナが大きく転んだ後は、立ち上がるための支点にしようとしている部位を悉く弾いているだけだ。


「やあん、もう、さっすがあたしのフィル!!」


 ミルメアが後ろで声を上げた。貶したり褒めたり忙しいなもう。悪い気はしないけど。


「うわっ」


 カタリナのお尻から伸びる尻尾が、ひゅんと僕の首元を掠った。先端がナイフのようにとがっていて、薄皮一枚を切った。さすがに飾りじゃないみたいだ。これ以上は近づかない方がいい。


「くっ、この――」


 カタリナは地面にべたとお腹を張り付けたまま藻掻く。人間この体勢になったらもうどう足掻いても起き上がることはできない。

 女の子をこんな格好にするのは少し申し訳ないけど、あと三十秒はこうしていてもらう必要がある。僅かにでも筋肉に動きがある部位を、ばしばしと叩く作業を続ける。


「――――」


 カタリナが何か呟いたけれど、聞こえなかった。諦めたのか、体の動きが止まる。鱗に覆われたその尻尾も、だらんと体に沿うように力が抜ける。



 僕はすぐに異変に気付く。


 カタリナの魔力量が、爆発的に増加していた。警戒するも、大魔法の発動の兆候はなかった。カタリナの目が徐々に充血していき、そして瞳が猫のように細長く縦に切れ、紫色に光った。



「人間風情が――この私を見下ろすなぁぁあああ!!」


 大気を震わせる叫びの直後、何の前触れもなく発生した衝撃波で僕は大きく後方に吹き飛ばされる。



「ぐ、あっ」


 半壊状態の『繰絡ノ奏』を編み込み、ハンモックのように衝撃を吸収することで何とか体勢を立て直す。


 舞い上がった砂埃がまるで砂嵐のように吹き荒れる。その奥に禍々しい魔力と気配を感じる。


 視界がある程度見通せる程に回復した僕が見たものは、貴族の屋敷ほどの大きさもある漆黒の龍だった。




「は、はは」


 乾いた自嘲気味な笑いが漏れる。


 あと何秒だっけ。


 威圧感の塊のようなそれはくぐもった唸り声を上げた。



 さっきまで晴れていた空が、夜が訪れたかのように光を失っていた。



 龍はその天を仰ぐように首を伸ばし、開いたその口にありえない量の魔力が蓄えられる。



 魔法じゃない。



 今から放たれるのは、濃縮された魔力の塊だ。『龍の咆哮』と呼ばれるそれは、僕が読んだことのある歴史書には城を一つ消し飛ばしたと記されていた。



 首が、こちらを向いた。



「――――」


 鼓膜が破れんばかりの咆哮。



 直後、雷を帯びた漆黒がその口から放たれた。


 瞬間的に、避けられないと悟る。範囲が広すぎる。せめてもと両の鎖を僕の正面に可能な限り展開し、壁のように編み込んだ。意味が無いのは分かっている。


 僕は全身を小さく丸め、目を閉じた。




 

 ■




 

「ちょっと。そこまでやっていいって、言ってないんだけど」


 実際に流れた時間は分からない。


 数十秒くらいの時間の経過を感じた後、凛とした声がした。


 僕はそっと目を開く。


 そこには、龍と僕の間に立ちふさがったミルメアがいた。


 魔力制御を誤ったか、僕の鎖は無様にも足元に散らばっていて、何の役目もなしていなかった。僕たちは深紅の球体のような膜の中にいた。


「フィルちゃん、怖かったわよね」


 耳元で声がして、僕は尻餅をついた体勢になっていることに初めて気が付いた。後ろから抱きしめるような形でユニフェリアさんが僕の体に手を伸ばしている。


「あ、ちょ、ママ! どさくさに紛れて何やってるのよ!」

「なぁに、私もフィルちゃんをこうして守ってあげてただけじゃない」


 背中の柔らかな感触がふっと離れるのが分かった。


 僕はこの状況で、何も言葉を発せないでいた。


 口の中がからからに乾いているし、腰が抜けて立てもしない。


「ねえ! カタリナも! 聞こえてるんでしょ!?」


 ミルメアが、その黒龍に向かって叫ぶ。

 しばらく間があって、龍はとぼけるように小首をかしげた。

 さっきまでの恐ろしい威圧感を、今は感じなくなっていた。


「聞こえてんでしょ!? 早く元の姿に戻りなさいよ!」


 その言葉に反応するように、翼が大きく一度羽ばたいた。また巨大な砂嵐が巻き起こる。

 ややあって、その靄の中から聞きなじみのある声がした。


「元の姿って、こっちが仮の姿なんだが」


 砂塵が晴れ、そこには女性の姿になったカタリナが立っていた。


「どっちでもいいからそんなこと。それよりさっきの、どういうつもりよ」

「どうもこうもないだろう。私は定めに従って、次期魔王候補の力を試しただけだ」

「試す? 消し飛ばすつもりだったでしょうが」


 語調から、ミルメアが本気で怒っているのが分かった。そもそも事の発端はミルメアだった気がするんだけど。それは棚に上げていいんだろうか。


「それがどうした。私の上に立とうという男だ。あの程度の攻撃は受けきってもらわねば困る」

「それとこれとは――」

「フィル」


 カタリナがミルメアを無視するようにして急にこちらを見た。それからユニフェリアさんの脇を通り過ぎ、僕のすぐ前で屈みこんだ。


「すまなかった」


 そう言って、へたり込んだ僕に対して手を差し伸べた。それを見てか何か言いたげだったミルメアは口を閉ざした。


「あ、ありがとう」


 正直に言うとまだ怖い気持ちはあったけれど、真剣なその表情に僕は釣られるように手を取った。


 一瞬、カタリナがにやりと嫌な笑顔を浮かべたのが目に入った。

 優しく起こしてもらえると勝手に期待していた僕は、ぐいと思いっ切り引っ張られたその力に全く抗えず、カタリナの豊満な胸元に頭を突っ込んでしまう。


「悪いな、ミルメア。少し借りていくぞ」

「え、ちょっと!?」


 ミルメアが抗議の声を上げたのを後頭部で聞いたと同時。僕の体は接する地面を失ったかのようにどこかに落ちていく感覚に襲われた。

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