二章 一本勝負
「で、結局こうなるのね」
一定の距離をとったカタリナが準備運動をしているのが見える。
制限時間は三分間。
その間、一撃も受けずに逃げ切ったら僕の勝ち。逆に一撃でも入れたら、カタリナの勝ち。どうしても戦いたいカタリナと、どうしても戦いたくない僕の折衷案だ。
「命令! すべての攻撃を絶対にかわしなさい!」
もともと一撃も受けるつもりはなかった僕に、ミルメアが気合の入った声で告げた。そもそも一撃でも当たるとバラバラになっちゃうと思うんだけれど、そこは大丈夫だとユニフェリアさんが強く言うから万が一の心配はしないことにした。してもしょうがないし、現に『鬼』の一撃を受けて吹き飛ばされた腹部は、こうして見事に修復している――青白い鱗みたいな質感にはなってるけど。
ちなみに僕がなんとなく落ち着いていられるのは、カタリナの魔力量を事前に測ってみたからだ。結果は、三千を少し超える程度。五千を優に上回るミルメアと比べて、かなり劣る数値だ。それでも、普通の人間の何十人分にもなるんだけれど。
「ねえ、フィルちゃん」不意に、ユニフェリアさんが僕に声を掛けた。「強化魔法は、何か使えたりするのかしら?」
「えっと、僕ですか? 一応、『六感強化』と『身体強化』は」
「まあ、そうなの。じゃあ今のうち使っておくといいわ」
ふわっと柔らかな笑みが投げかけられ、僕の心拍数が上がる。淫魔の類は、魔法を発動しないまでも何かの効果を周りに与えるのかもしれない。
「ちょっとママ! こいつに何してるのよ!」
「何にもしてないわよ――それじゃ、そろそろ少し離れておきましょうか」
言われた通りに僕は強化魔法を二つ発動した。確かに、やらないよりはやった方がいい。そういえば、魔族の魔力が流れるようになってから『身体強化』の方は使っていなかった気がする。使う必要がないくらいに身体能力が向上していたから、忘れていた。
「二人とも、準備はいいかしら?」
少し離れた場所から声が上がる。いつの間にかユニフェリアさんは距離を取って少し大きめの砂時計を手にしていた。
「いつでも」
カタリナが答えた。
「いいよ」
僕は半身になって、鍵盤楽器でも弾くように両手を宙にかざした。
「フィル! カタリナなんてやっちゃいなさい!」
まるでこれから
期待されても、この三分間は僕がカタリナが発動する魔法を破壊し続けるだけの退屈な時間になるだけなんだけど。
そんな僕の生易しい考えは、次の数秒で叩き壊される。
「それじゃあ――」
宙に浮かんだ砂時計の頭にユニフェリアさんが手を掛けた瞬間。
ぎり、っと、筋肉の軋みが聞こえた気がした。
――え。
もしかして、カタリナって――
「始め!」
くるんと砂時計が回転した。
直後。
どうと土ぼこりが上がる。
まるで弾丸のように、カタリナがこちらに真っ直ぐ飛んでくる。
こちらに向けられた手は、何かを掴むような形をしていた。
「――っ!」
声を上げる余裕も無く、僕は大きく横っ飛びに回避する。目の端でかろうじて捉えたのは、闇夜を煮詰めて固めたような、どす黒い剣閃だった。
無様に地面に転がった後に向き直った僕は、その漆黒が魔力でできた巨大な爪だと分かった。カタリナの手から伸びるそれは十本。実体を伴っているようで、まるで杖のように地面に突き刺しカタリナはこっちを見ていた。
「よくこいつを見切ったな」
魔力の流れと予備動作もあったけれど、迫るカタリナから、ただとにかく跳んで逃げただけだった。けど、それで正解だった。手刀か何かを中途半端に回避するような判断だと、瞬間で発動したその爪の餌食になっていた。
「魔法じゃ、ない……?」
僕は思ったままのことを口にした。
「ああ。これは私の『力』だ。ミルメアが淫魔として『隷属の契約』を使えるのと同じようにな」
ミルメアが「そんな禍々しいのと一緒にしないでよ」と言ったのが聞こえた。
そして、カタリナは僕の愕然とした表情を見てかさらに言葉を続けた。
「ん? なんだ。魔法が通用しないと分かってる相手に、魔法で挑むわけがないだろう」
正論だった。
普通の魔族は、例えば鬼やハイオークのような、魔力の塊のような強靭な肉体を持った直接戦闘を行うものがいることは知っている。
「ちょ、ちょっと待って――ミルメア!」
「え、あたし? 何?」
「何じゃないよ!? 僕はこういう戦い方はできないの! 中断! ストップ!」
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