二章 闖入者

 歪渦ヴェルテクスを通るのは二度目だった。


 一度目は、行き。

 二度目は、帰り。


 その感覚はひどく独特なもので、まだまったく慣れない。足を踏み入れた直後、上下左右に大きくシェイクされるような感覚がして、気が付いたらこの部屋の床に倒れていた。


「ところで、アリサちゃんとソニアちゃんは元気にしてるかしら。今はどこにいるの?」

「えっと。あの二人は――」


 しばらくの間は船酔いに遭った感覚に襲われていた。二人が仲良く話しているのをやけに遠くに感じながら、僕はがんがんと鳴る頭痛と眩暈に襲われる中、天井をぼーっと見つめていた。


 しばらく時間が経ったと思う。

 今ようやく気分が戻り始めたところだった。


「――あらまあ、そうなの! あなたがメアちゃんの『初めてのヒト』なのね!」


 と、急にこちらに話が振られた。聞いていなかったからどういう流れなのかは分からないし、まだ思考がまともに働く状態でもなかった。


「はい、まあそうですね」

「ちょっとママ、変な言い方しないで! それにあんたも! 適当に答えるな!」


 この一日、いや、もしかしたらもう二日くらいはあの試験の日からは経ってるのかもしれないけれど、ゆっくり休めた時がない。


 それでもなぜか、空腹感も疲労感も、眠気も襲っては来ないのが不思議だった。

 今僕は、例の天蓋付きのベッド脇の二人掛けのソファーに腰かけている。そして他にも一人掛けやらソファーは余っているのに、当然のように隣にミルメアが座っていた。今はもちろん元の大きさに戻っている。


「良かったわぁ、こんなに幼い子供だったもの。私なんかが初めてのキスを奪ってしまったんじゃないかと心配したんだけど」


 テーブルを挟んで僕の向かい側に座っているユニフェリアさん――ミルメアのお母さんが、悪戯っぽい顔でほほ笑んだ。


 綺麗な人だった。

 ミルメアと違って額に角が無く、髪も黒くさらっと流れるような髪だった。今は翼もどういうわけか仕舞われているようで、普通の人間にしか見えなかった。


「奪ったっていうか、そもそも命令されただけなので」


 ユニフェリアさんが悪い気になる必要は無いし、それに僕もこの人となら別に良かったと思えてしまう。


 というか、魔族にもファーストキスという概念があったことの方に少し驚いている。高位の種族は文化的にも思想的にも人と近いんだろうか。


――って、あれ?


「えっと、初めては初めてだったんですけど」


 そう言った後で、別に言わなくてよかったことだったと思った。ミルメアに毒されてそういう感覚がおかしくなってしまっている気がする。僕の口というか舌という意味なら、ここに来たばかりの頃の不埒な命令によって既に汚されてしまっているけど。


「あら、そんなはずないわ。あなた、メアちゃんと契約したんでしょ? だったら――」

「ママ! それ以上言ったら怒るからね!」

「え、ちょっとどういうこと――」

「あんたも黙ってて! というか、ママにキスしてデレデレしないでよ! あんたはあたしのなんだから!」

「あらあら、まあまあ」


 どういうことだろう。

 いや、どういうことも何もない。今の話の流れだと、僕は――


「ちょっと! 考えるのもダメだから! 命令よ、キスに関する思考を放棄しなさい!」

「しょうもないことに命令を使わないで!?」


 それは僕が叫んだのと同時だった。


 があん、と、壁が響いた。


 それはこの部屋の扉が勢いよく開いた音だった。


「おお、ユニ! 戻ったと聞いたが、ホントだったんだな!」

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