二章 魔の世は非常識
二章 隷属
目が覚めると、薄いピンク色が視界を埋め尽くした。
今僕はベッドの上で横になっていて、このピンク色が天蓋の布だと気付くのにしばらくかかった。
随分と長い時間眠っていた気がする。体はとても重い倦怠感に包まれていて、思考も満足に働かない。這い上がるようにして何とか上半身を起こすと、かかっていた布団が胸元からずり下がった。
「わ、なんで僕服着てないの」
目線を下に落として気付く。
「え、ちょっと待ってこれ今僕何にも着てない……?」
ベッドの衣擦れのせいで定かじゃないけれど、全身の感覚から察するに今僕はこの布団とベッドの間で生まれたままの姿になっている。
僕は寝るときはちゃんと服を着る派だし、そもそもここどこだっけ――
ふと、僕の腰元に何かの気配を感じた。
「ん、んー……あれ? あんた、目が覚めた?」
「えっ!?」
聞き覚えがあるような女の子の声。布団にこもっているようで姿は見えない。思わず身をよじると、腹部に痛みが走った。
「っ、痛ー……」
「まだ完全に癒えてないのね。でもあともうちょっとで馴染む頃か」
もぞもぞと、布団の中で何かが僕のお腹の上を這う感覚がした。幸いにも腕は動く。僕は掛かっている布団を払った。
「きゃ! ちょっと、もう、何するのよ」
そこにいたのは、まだ記憶に新しい少女だった。僕がはぎ取った布団をまた奪い返し、体に巻き付けた。
「なんでまた服着てないの!?」
ちらと一瞬見えてしまった肌に、思わず声を上げてしまった。
「なんでって、『後』だからに決まってるじゃない」
「……『後』?」
何の、後?
「もう。言わせないでよ」
え、ちょっとどういうことだろう。
お腹の痛みの感覚ははっきりしているから、夢じゃないと思う。混濁する記憶を辿りながら、僕は今自分が置かれている状況を理解しようとする。
うん。
まったく分からない。
さっきまで森にいて、鬼から逃げて、四天王と名乗るこの少女と対峙して、それからその後どうしてベッドで裸で寝てるんだろう。
布団の端はぎ取られてしまったものの、布の大きさが幸いして僕の下半身はまだ隠されていた。
「じゃあ起きたところさっそくで悪いけど、カナレット宮の地下牢からこの女性を救出してきて」
どこから取り出したか、一枚の紙を突き付けられる。
そこには写真のように鮮明に、一人の女性が描かれていた。年齢こそ異なるものの、この少女の面影を感じる顔だった。血族か何かだろうか。
「え、ちょっと待って。よく分からないんだけど」
何言ってるか分かんないし、状況もよく分かっていない。
「あれ、なんで? あたしの命に逆らえるはずが、あ、説明が足りてなかったのかな」
僕の言葉に、逆になぜかその少女の方がきょとんとした表情をした。
「えっと――」
聞きたいことだらけだけど、僕も何から聞けばいいのかすら分からない。とりあえず首を縦に振った。
「あっちの世界のことはあんたの方が詳しいだろうからそんなに説明はいらないと思ったんだけど」
前置きを置いた上で、少女は説明を始めた。
「カナレット宮は、リリエラ共和国の奥にある城みたいなものね。結界が何重にも張り巡らされてて、あたしたちにとっては近づくことも難しい拠点になってるんだけど、その地下牢に、あたしのマ――お母さまが幽閉されてるの。あんたがやることは、その地下牢を襲撃して、封印魔法を破壊して、お母さまを連れて帰ってくる。それだけ。分かった?」
僕はふるふると首を横に振った。
「これだけ丁寧に説明してあげたのに何が分からないのよ!? あんたバカなの!?」
「いや、聞きたかったのはそんな説明じゃないから」
僕がなんでここにいるのかとか、なんかもっとそういう前提的なことを説明してほしいんだけど。
「な、一度だけじゃなく二度もあたしの言うことを聞かないなんて――あ、そうか命令してないから?」
何かに気付いた少女は、僕に向かって両手をかざした。
布がずり落ち、上半身の白い肌が露わになる。
ぽう、と仄明るい光が浮かび上がった。魔法陣だ。
「ちょっ、何を」
咄嗟に左手に魔力を通わせるけれど、いつもの感覚が無かった。当然のことながら、鎖は没収されていた。今は文字通り丸腰だった。
「汝の主、ミルメア=ヴァニーユは、汝、フィル=レイズモードに命じる――」
少女は口上を連ね始める。魔力の流れと術式から判断するに、これは隷属魔法の『続き式』だ。
――ということは、いつの間にか契約自体は完了してしまっている。その事実を察して僕は軽い絶望を覚える。
せめてもと抵抗しようにも痛みで体を動かすことができないし、手が届く距離でもない。
「だめだめ! ちょっと待って!」
「――カナレット宮に潜入し、地下牢に潜り、えっと――ああ、もうめんどくさいな――とにかくあたしの言うことには絶対服従! 犬のように従うことを誓いなさい!」
「ちょっと!?」
そんな雑な隷属指定の仕方って無いよ!?
それでも通常ではありえない量の魔力が流し込まれ、その魔法陣は回路異常を起こすことなく発動し、消えた。
温かいスープを飲んだ時みたいに、僕の体の芯が熱を帯びた気がした。
「よしっ」
少女がぐっとガッツポーズをする。
「よくないから! ちょっともう何してくれたの!?」
「あ。ご主人様にそんな口の利き方していいのかな?」
最悪だ。こんな小さな女の子に隷属だなんて――
「命令! あんた、四つん這いになりなさい!」
何を思ったか、少女は唐突に僕にそんな命令を下した。
「嫌だよ! そもそも体が痛くて――あれ、ちょ、嘘」
意に反して、体はもぞもぞと布団を這い出る。体を少しでも動かすと響くように走っていた痛みが、今はなぜかまったく感じなかった――そして僕の体は、命令された通りの体勢になった。
「ふふん。いい子いい子」
まるで僕を犬のように扱い、喉元をちろちろと指先で撫でられる。
屈辱だ。
というか、普通に恥ずかしい。
「分かった、もう分かったから――」
その子は、ニコッとおそろしい笑みを浮かべて、それからとんでもないことを口にした。
「命令。私の体を舐めて綺麗にして」
嘘、でしょ。
何考えてるのこの子――
僕の体は、また意に反して勝手に動き始めた。
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