一章 そして序章に

 人は、死の直前に、これまでの人生が圧縮された走馬灯を経験するらしい。


 今僕が見たものがそれだというなら、ひどく最近の思い出に偏っていた気がする。



「あんた……今、何したの……?」


 はっと我に返った僕は、目の前の裸の少女から受けた質問にすぐに答えられなかった。


「あたしの魔法を――いや、人間ごときがそんなはずは、ない!」


 注がれる魔力量こそ増えたものの、またさっきと同じ上級魔法陣が展開される。術式も、層の数も全く同じ。


 咄嗟に、左手の指が動いていた。中指、薬指、小指の三本。


 これらは、右腕の鎖の数倍早い。


――繰絡ノソウラクノツギ


 僕がこの学校に入ってから開発した、新しい魔道具だ。

 パン、と小気味良い音が響く。

 その鎖は、三層の魔法陣のすべてを破壊して僕の手元に戻ってきた。


「嘘、二度も――あんた一体、何をしたのよ!」


 焦る少女とは反対に、僕は少しずつ気持ちが落ち着いてきた。

 僕が操る鎖分銅は、魔族にダメージを与えられるような魔力を纏わない。ただその先端の一点にだけ、わずかに漏れ出すような魔力を帯びている。


 ただ、そんな量でも精密機械のような魔法陣を破壊するには十分だった。


「別に……壊しただけだけど」


 有無を言わさず魔力の塊で殴り掛かってくる『鬼』と違って、最上級クラスの魔族は人間と同じように魔法を発動するらしい。


「あ、ありえない、打ち消すならともかく魔法を『壊す』なんて――」


 うろたえるその姿を見てこの目の前の女の子が実は魔族なんかじゃなくただの人間なんじゃないかと思えてくる。


 魔法陣は、大きく三つの部品に分けられる。

 魔力を流し込むための『始点』と、流し込まれた魔力に意味を与える『回路』、それから魔法を発動するための『終点』だ。

 魔法陣に単に魔法をぶつけるような雑なやり方じゃもちろんダメで、ピンポイントで『始点』と『終点』を破壊することで『回路』への魔法供給を遮断し、魔法陣としての自動修復機能を断つ必要がある。


「『六感強化』、『身体強化』」


 隙ができた今のうちに、戦闘準備を整える。唯一後悔したのは、相手の魔力量が感知できてしまったことだ。


 五千を、優に超えている。


「は、はは、普通の女の子だったらどんだけ良かったか」


 どっちにしても服は着てほしいけど。

 僕の呟きは聞こえていないようだった。


「それなら――」少女は上空に手をかざした。「これは、どう! 魔界に古より伝わる最上級闇魔法――」


 空に、至極色の半径数キロもある魔法陣が浮かび上がった。

 濃密な、霧のようなどす黒い魔力が周囲に染み渡る。


「『此世終雷ヴェイルクライヒ――』って嘘……そんな……」


 詠唱の途中で、絶望の声が漏れ出た。


 硝子細工のようにその魔法陣はひび割れ、そして砕け散った。


 少女の魔力量が、半分以下にまでがくっと下がったのが分かった。



「あ、あんた、一体何者なのよ! 何もしてないのに、あたしの魔法が――」


 何もしていないわけじゃない。


 さすがにあの距離の魔法陣までは鎖が届かないから、術者と魔法陣との繋がりを断っただけだ。


 何が起きたかは、分かっていないみたいだった。


「まさか、あんた! あのオズモンド=メルファリアの血族ってわけね!?」


 違うし、誰それ。

 どういうわけか分からないけれど、もしかして『四天王』と自分で名乗ったこの少女は、魔法以外の攻撃手段を持っていないんじゃ……?


 それなら、もしかして。


 右腕の、繰絡ノ初を発動する。


 こっちは取り回しが効かず遅い代わりに鎖が太く、力がある。

 じゃっ、と繰り出したその鎖は、まっすぐに少女に伸びる。


「そんなもんであたしがっ、て、なっ、あんたまた……!」


 少女が迫る鎖からその身を守ろうと展開する防御の術式を、繰絡ノ継で次から次へと破壊する。


 物理防壁、多層結界、属性盾式、魔法障壁。


 膨大な魔力を費やしてありとあらゆる魔法陣がでたらめに展開される中、僕はその全てを即座に読み解き、網目を縫い取るように破壊していく。

 そして、放った鎖は、少女のすぐ横を通り過ぎた。


「あれ? って、きゃあ! 冷たっ!」


 直後、右腕を引いて、通わせた魔力を弾く。鎖はまるで生きているかのようにぐにゃりと宙で曲がり、少女の腰元に絡みつく。


「ちょ、あんた、それ、やめ――んんーっ!」


 そのまま僕は宙に文字を描くように右腕を操り、その鎖は縄のように少女の体を縛り上げていく。がぎっ、と腕輪が鈍い音を立て、鎖が伸びきったことを知らせた。


「わ、ひゃあ!」


 体の至る所を鎖で封じられたその女の子は、バランスを崩して地面に仰向けに倒れた。

 こんな状態になってもなお、いくつもいくつも魔法陣を展開して、妨害なり脱出なりを試みようとしている。当然、一つの発動も許さない。


 こんな魔力量で何か一つでも魔法が発動されてしまえば、僕なんて塵一つ残らず消し飛ばされてしまう。



「ね、ねえ、お願い、鎖、外して」

 身をよじりながらその子が言った。

「外すわけないでしょ!?」


「違うの、さっきから変なところに、当たって、んっ」

「そ、そんなこと言われても外せないものは外せないから」

「じゃあせめて見ないで」

「それもできないから」


 また二つほど魔法陣を発動未遂で破壊する。

 服を一向に着ようとしなかった自分が悪い。


「ねえ。君さっき『魔王軍四天王の一人』って名乗ってたけど……ホント?」

「何よ、疑ってるの!?」


 疑ってます。


 僕がそんな五指に入るような魔族の一人を捉えられるわけがないもの。



「そうよ。この角と翼が目に入らない?」


 僕がぐるぐる巻きにしたせいで翼は少し窮屈そうだけれど、解くわけにもいかない。


「私は、鬼と悪魔と淫魔の三つの種族の王なの」


 鬼が角で、翼が悪魔なら、淫魔はどこに消えたんだろう。


「あ、ちょっと今あたしの体見て失礼なこと考えたわねあんた!」


 考えたかもしれない。





「え、ちょっと待って今何の王って――」


 気付いた頃にはもう遅かった。

 空から飛んできた、六つの塊。それらは僕と少女を取り囲むように着地した。


 さっき撒いたはずの『鬼』だ。


 この子が何か魔法を発動した反応はなかった。何かの力で呼び寄せたに違いなかった。


 繰絡ノ初を捕縛に使ってしまったのが仇になった。切り離さない限り、走って逃げだすこともできない。





 詰んだ。


 次の瞬間、僕は腹にとてつもない衝撃を受け、そして意識が飛んだ。

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