一章 血統
試験官が元の位置に本を戻しながらケルンを諌める。本人は特に動じる様子は無く、次の場所に向かおうとしながら、振り返って僕たちに言葉を投げかけた。
「あとでお前たちの結果も教えろよな! 大きいほうが勝ちだからな!」
僕は聞こえなかったことにして、目の前の様子を確認する。
用意されていたテーブルというのは、教会にある聖餐卓のような重厚な木造りの代物だった。その向かい側には、さっき本を取り上げた大人の男の人。
「次」
あまり愛想のよくないその人は事務的な様子で伝える。この人が先生だったらその授業はあんまり受けたくないなと思った。
「あ、はーい」
返事をしてサーニャが一歩前に出た。
「名前は」
「サーニャ=カヌレです」
その男の人は手元の用紙に何かを書き込んだ。
「手を上に」
「はい」
指示された通りにサーニャは右手を乗せると、仄白い光がぽうと灯った。それからすぐに手は離された。
少し待つと、その本の分厚く赤黒い表紙がぱたんと開き、それからぱら、ぱら、と頁がひとりでにめくれ始めた。どの頁も真っ白だった。
聞いていた通りのことが目の前で起こっていることは、分かる。
「ね?」
サーニャは振り返って僕に微笑みかけた。
「ね、って。ただ手を置いて離しただけに見えたんだけど」
結局何をやったのかはよく分からないままだった。
「うん、そうだよ。これは『組込型』の魔法具だから、魔力がある人が触るだけでいいの」
「へえー……」
魔法具、というのは僕が狩りで使っていたような、魔力を通わす武器のことを指すものだと思っていた。家にあった本で魔法については少し勉強したつもりだったけど、全然だったみたいで恥ずかしくなる。
と、試験官の人がパタンと測定中の本を閉じてしまった。そして慌てた様子で口を開く。
「――す、すまない、測定にエラーが発生したみたいで……もう一度手をかざしてもらえるだろうか」
「あれ、触るだけでいいって言わなかった?」
嫌味に聞こえないように、僕はサーニャにだけ聞こえるような声で言った。すると彼女は小首をかしげ、それからいたずらっぽく微笑んだ。
「ふふっ……変だね?」
サーニャは卓上の本に手を重ねる。そして手を離す時に、思い出したように口を開いた。
「あ、何回やっても同じだと思いますよ、お兄さん」
パラ、パラと、また頁がめくれていく。
もう既に百は超えたように見える。それでも頁は止まらず、開いた方の束が少しずつ分厚くなっていく。
お兄さんと声を掛けられたその人は、呆然とした表情で目の前の本を見つめていた。
「いやまさか、でもそんな、そんな……はずは……」
頁番号も無いから目算でしかないけれど、今二百を超えた。淡々と処理を続けていたこの人が慌てている様子を見る限り、相当に想定外が起こっているんだと分かった。
その様子が周囲にも伝わったのか、次第にざわつきが広がっていく。横の列の人も、僕の後ろに並んでいる人も、この卓を覗き込むようにしていた。
「三百――八十二」
ようやく頁が動かなくなり、その白紙にぼうと浮かび上がった数字を試験官が読み上げると、辺りがわっと湧いた。
あれだけ自信満々だったケルンの、その倍以上の測定値だった。
「これって……相当すごい数値なんだよね」
聞かなくても分かることを僕は口にした。
「どうかな? お父さんはもっとすごいから」
サーニャは変わらない調子で答える。自分の数値がどういうものかは分かっている上での口振りだった。
こういうのは大人と子供でそもそも差があるんじゃないかとも思ったけど、僕はより気になった方の疑問を口にした。
「ねぇ、君のお父さんっていったい――」
けれどその問いはふいに遮られてしまった。
『諸君。列を乱すな』
びり、と空気が震えた。
辺りが一瞬でしんと静まる。直後、風に乗るようにしてその声の主がふわっと地面に降り立った。
浮かんでいる時は比較対象が無かったから分からなかったけど、背がとても高い人だった。優に二メートルはある。ローブの腰紐を隠すほどに長い紫色の髪が、その長身をさらに高く見せていた。
その人はさっと本を手に取ると、指先でボールでも扱うかのようにくるくると回し、それから独り言のように呟いた。
「ふむ。『見初めの書』に異常は無い……正式な数値のようだな」
真っ黒の瞳は、サーニャをじっと捉えている。
拡声の魔法を消したのか、今は普通の音量が喉から出ていた。
こんな感想を抱くのは失礼かもしれないけど、遠くで見る雰囲気より案外年老いているのが分かった。
「サーニャ=カヌレか――リゴリア=カヌレの血縁の者かな」
「リゴリアは私の父です」
サーニャは、見上げながらもはっきりとした口調で答えた。
「――そうか」
そういって男の人は本を元の位置に返す。二人の間には何らかの繋がりがあるみたいだ。
「結構、次の測定に移るがよい――おや」
短い会話を終えたその人は、今度は何が気になったのか僕の方をじっと見た。その顔には深い皺が刻まれていて、これで髭でも生やしていたら立派なおじいさんだな、なんて余計なことを考えていた。
「君もどこかの血筋の子か」
「ええっと、違います」
サーニャと仲良くしていたから興味を持たれたのかもしれないけれど、僕自身は特別な家の出身じゃない。
「いいや、そんなはずはないだろう。名は」
半ばかぶせ気味にその人が言う。
自分の出自を他の人に否定されるのも変な気分だった。
何を根拠にかは分からないけれど、謎の自信が感じられる。けれど、僕は少なくともお母さんからはそういう話を聞いたことは無い。もしかして実は僕の家は世から姿を隠した貴族だったり……?
サーニャは興味深そうにこちらを見ている。
「フィル=レイズモードです」
僕の中で妙な期待と緊張が入り混じりながら、名前を言った。
返ってきたのはまったく想定外の回答だった。
「……知らんな」
知らんのかーい。
思わずツッコミの声を上げるところだった。
「それにしては――いや、いい。早く測定に移りたまえ」
あなたが話し込み始めたから遅くなってるんでしょ。
とは言わない僕だった。
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