一章 勇者様

 この国は、魔族による侵略を受けている。


 どこからともなく魔族軍が現れ、災害のように街や村々を襲撃しては消えていく。一部の魔族は魔界とこの世界を繋げる渦を開くことができるらしい。襲撃された場所に住んでいた人々は、その渦を通って魔界に連れ去られてしまうとも聞いたことがある。


 一方で、そんな魔族軍から人々を守る存在もこの国にはあった。それが『王国魔法兵団』であり、そこに所属する魔法兵を育てる機関が『魔法学校』だった。

 魔法学校自体はこの国にいくつかある。それは単なる教育機関ではなく、才能を持った人を子供の頃から集めて訓練を施し魔法兵に育て上げることを目的としたもので、いわば養成施設だった。


 そして僕は魔力を持って生まれた時から、この魔法学校に通うことが決まっていた。


 魔法学校は大都市にしか無く、その近くに住んでいない僕みたいな子供は用意された寮に住み込みになる。


 つまり僕は今日、生まれ育ったこの町を一人離れることになっていた。



 そして今は、その最後の数分をこの町唯一の駅舎で過ごしているところだった。


「お弁当はちゃんと持った? 着いたらちゃんと連絡するのよ? 道中は魔物に気をつけてね? 学校で何かあったらすぐ戻ってきていいからね? それから――」


 昨日の内から分かっていたことだったけど、お母さんは駅に着いてからずっとこの調子だった。僕はぎゅっとハグされるがまま、こくこくと頷くことを繰り返していた。

 移動は列車だし、予想外にこんな僻地にまで軍の人がお迎えに来てくれたから道中の心配はない。

 むしろその迎えの女性がずっと冷めた目で僕のことを見下ろしていることの方が心配だった。少し短めの銀色の髪と、澄んだ水色の瞳が一層冷たい雰囲気を醸し出していた。


 そしてその人がようやく二度目の口を開いた。


「お母様。息子さんが可愛いのは分かりますが、そろそろ列車の出発の時間ですので――」


 苦しいやら恥ずかしいやらで、きっと僕の顔は真っ赤になっていたと思う。


「そう、そうなの。ほんとに可愛い子なの。この子がしばらくいなくなってしまうと思うと寂しくて寂しくて」


 似たようなセリフを、僕の入学が決まってから聞かない日は一度もなかった。


「ねえママ、大丈夫だし十分に分かったし大好きだからそろそろ離して、ね?」

 本当に小声で、お母さんにだけ聞こえるように耳元で囁くと、長い長い溜息をついてようやく離してくれた。そして膝をついた姿勢のまま僕のローブの皺を伸ばして、僕の頬に軽くキスをする。

「この子を、よろしくお願いしますね」


 涙ぐむかと思ったけどもうちゃんと他所行きの顔になっていた。そうしてると普通に綺麗な女性に見えるのに、僕のこととなると外でもこうなっちゃうのが残念で仕方がない。


 その女は恭しく頷いて、それから僕の方に顔を向けた。


「――では、フィル=レイズモード。これから君をカミーラ王の勅命に従って、ナステラ魔法学校に案内しよう」


 発車を知らせる笛が鳴り響いた。


 僕は助けを断り、大きな革の鞄を自分の手で抱えて車両に乗り込む。

 振り返ると同時、ドアが閉まった。

 窓越しに手を振る。お母さんは笑顔のまま――表情を崩さないように堪えているのが分かった――僕のことを見送ってくれた。


 一度大きく揺れ、そして列車は駅を出発した。



「いいお母様だな――最初は姉が見送りに来ているのかと思ったが」


 そうして駅を離れた頃、僕の後ろに立っていたその人が声を掛けてきて、僕ははっと我に返った。

「ごめんなさい、駅で時間を取ってしまって――」

「いや、謝ることではない。もともと発車の時間は決まっているんだ。それまでの時間をどう使おうが問題はない」


 ふっと、その女の人が笑みをこぼした。最初感じた印象と、今は随分と違っていた。白と鮮やかな青の服に身を包んだその人は、ピシっとした雰囲気から聞かなくても軍の関係者だとすぐに分かった程だった。それが今は、どちらかというと保育士さんだとか、そういう柔らかさが感じられた。


「立っているのもなんだ、部屋に案内しよう」


 最初、席と聞き間違えたかと思った。けれど車両の廊下を歩いてたどり着いた先のドアを開くと、そこはまさに部屋だった。


「荷物は好きなところに置いてくれたらいい。お腹は空いていないか? 夜には食事が届くが、その辺にあるものは好きにつまんでくれて構わない」


 この音と揺れがなかったら、列車に乗っているとはとても思わない。僕の家の部屋よりも二周りは大きい空間だった。豪華なソファーがテーブルを挟んで向かい合わせに並んでいて、そのテーブルの上には果物が籠に山盛りになっている。正面の窓にはしっかりとカーテンが備え付けられているし、部屋の隅にはベッドまであった。


 僕がそうして呆けていると、水が流れる音が聞こえてきた。どうやら洗面台まであるみたいだった。ちょうど向いていた方の、入り口とはまた別のドアが開いた。


「どうした?」

「あ、えっと、その、列車って、思ってたのと違って……」

「ふふっ、そうだろうな」


 笑われてしまった。


 なんとなく居心地が悪くなって、とりあえず荷物を部屋の隅に置く。それから僕は促されるままに、部屋の中央のソファーに座った。彼女もその向かい側に座って、そして口を開いた。


「改めて、自己紹介をしておこうか。名は、ユリア=ミルフィオリ。カミーラ王国近衛兵団の第二軍隊長を務めている」




 理解が遅れて、一瞬の間ができてしまった。


 それから僕は自分の自己紹介も忘れて何も考えずに口を開いてしまった。


「ゆ、勇者様!?」


 彼女はまたふわっと笑みを浮かべた。


「軍隊長がそういう風に呼ばれていることは知っていたが――面と向かって言われたのは初めてだな」


「あ、ご、ごめんなさい――」

「いや、そういうつもりで言ったわけじゃないんだ。謝ることではない」

「でも勇者様が、どうして」


 僕の言葉を、また柔らかな笑みを浮かべながら遮った。


「謝ることではないとは言ったが、そう呼ばれるのも居心地が悪い。できれば名前で呼んでくれるとありがたいんだが」


 名前。年上の女の人を名前で、呼ぶ。


「ゆ、ユリアさん……?」


 町では、そもそもあんまり女の人と接する機会が無かった――お母さんを除いて。でもお母さんはあの見た目でもそこそこの年齢だし、ユリアさんはどう見ても二十歳を少し超えたくらいにしか見えない。ユリアさんからしたら僕はそれこそ弟かなにかみたいに見えるんだろうけれど、僕はその綺麗な顔に母性よりも女性を感じてしまって、さっきから少しドキドキしてしまっていた。


「ああ、それでいい」


 僕の呼びかけに、満足気に頷いて応じてくれる。


「それで言いかけたのは、どうして私が君を迎えに来たのか、かな」


 先周りされたその質問に、僕は黙って頷いた。

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