一章 人の世は不条理
一章 少年の最後の日常
木漏れ日が差す森の中、僕はじっと目を閉じ、静かに佇んで周囲の空気の流れを辿る。そっと吹いた風に草木がそよぐ中、別の何かが葉を揺らしているのを感じ取る。
僕は手首に魔力を集中させる。
ちゃり、と金属が擦れる音が鳴った。
それからゆっくりと目を開ける。徐々に見える景色と、瞼の裏に描いたその気配とを重ね合わせていく。
深緑の間を縫って、薄茶色の小さな点が確認できた。
刹那。
僕は通わせた魔力を一気に開放する。
足元に垂らされていた鎖分銅が、蛇がもたげた鎌首のように一度ぴくんと跳ねたかと思うと、まっすぐ矢のように標的をめがけて飛んでいく。その鎖の根元は、僕の右手に嵌った銀の腕輪に繋がっている。巻きつけられた細い鎖が、釣り竿のリールのようにキャリキャリと音を立てて解かれていく。
直後。
ぐん、と手応えがあった。
鎖の巻きが止まり、カシャンと一度大きく波を打つ。
僕は手首のスナップを効かせた。意思が伝わったかのように、伸びた鎖はまたキャリキャリと腕輪に巻き取られていき、そして分銅が手元に届いて、キンと小気味のいい鍔鳴りのような音を響かせた。
それからゆっくりと歩いておおよその場所まで辿り着くと、そこには目当てのものが転がっていた。
「――うん、この調子ならあと三匹はいけそうだね」
■
「おおフィル! 今日もまた大漁だな!」
「ハンジさん、魚じゃないんだから大漁とは言わないよ」
あの後も狩りを続けて、最終的には野ウサギ三羽とキジを一羽の収穫となった。町に帰りいつものお店にやってきた僕は、肩に担いでいた収穫物を台の上に下ろし、縄の代わりに使っていた鎖を指で解き始める。
「キジとはまた珍しいな」
ハンジさんは羽をつまんで広げ、状態を確かめている。
こうして僕が捕まえてきた獲物を、加工して町のレストランに卸したり他の街との交易品にするのがハンジさんの仕事だ。
「捕まえるのはウサギの方がよっぽど難しいけどね、見つけられるかどうかだけ――はい、どうぞ」
「ありがとな、フィルからの仕入れは獲物に変な傷が付いて無くていいんだまた」
「それならもっと高く買い取ってくれてもいいのに」
そう言いながら、僕は照れ笑いを隠せなかった。
解き終わった鎖に魔力を通わせ、シャンと巻き取る。僕が作ったこの武器は、分銅部分にあえて剣先や刃を作っていない。こうしておくと、弓矢と違って希少部位に変な損傷がつかない。もともとは単に僕自体が血を見るのが好きじゃないって理由からなんだけど。
「そうだな、今日はちょっとおまけしておこう」
そう言ってハンジさんは僕の手に銀貨を二枚と銅貨を三枚握らせた。
「あ、ちょっと冗談だよハンジさん」
貰いすぎた分を返そうとするも、突き返されてしまう。
「いいんだよ、餞別だ――これからは寂しくなるな」
「……お得意の仕入先がなくなって?」
僕は仕方なくもありがたく受け取った硬貨をポケットに入れながら言う。
「生意気な弟みたいなやつがいなくなることがだ、よ!」
「わっ! ちょっともう、そんな手で触らないでよ」
ぐしゃぐしゃと僕の頭を乱暴に撫でる。嫌がりながらも、跳ねのけるまではしなかった。
「それに弟というよりも息子じゃないの、年齢的に」
三十にいくつか足した年齢のハンジさんと、兄弟と言うにはちょっと無理がある。僕は今年でまだ十二歳だ。そしてこの年齢は、この国で魔法を扱うことができる人にとってはとても意味のある年齢だった。
「何を言うんだ。おじさんはまだまだ若いぞ」
「自分でおじさんって言ってるのに……」
なんとなくの空気を察したのか、ハンジさんはおどけてみせる。そして僕もそれに乗っかろうとするけれど、どうにも収まりがよくなかった。
少し不自然な沈黙があって、それからハンジさんは口を開いた。
「まあ、なんだ。元気でな。賢いし腕も立つお前なら十分やっていけるだろうよ」
「うん、ありがとう」
「謙遜くらいしろよ。ま、なにかあったらいつでも帰ってきたらいい」
「うん」
「レイラさんにはちゃんと定期的に連絡取るんだぞ」
「うん、分かってるよ」
「それから、帰ってきたときはついでに獲物も獲ってきてもらいたい」
「それが本音でしょ、もう」
ハンジさんがようやく僕の頭から手を離した。
改まっての別れの挨拶をしたくなかったんだと思う。
だから僕もいつも通り笑って手を振り、お店を後にした。
明日はもう、出発の日だった。
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