第5話 家族ってこんな感じだろうか


 しばらくして、まだ俺は現実を受け入れられなかった。


「ここ、凄いな……」


 俺がいたのは、巨大なヤドカリの中の、豪華な一室だった。


 順を追って説明する。


 空を飛んで俺らは、王都の外に広がる草原へと出た。


 すると、水の精霊ウンディーネの【召喚獣】、とかいう自由に呼び出せる魔獣の巨大ヤドカリが草原に現れた。


 宿屋よりも大きなヤドカリは、巻貝の上半分が居住区になっているらしい。


 そうして部屋に入ると、ヤドカリが高速で走り始めた。


 座ったまま移動が完了している。まるで馬車だと思いつつ、馬車とは比べ物にならないと、ひたすら圧倒される。


 でも、さらに圧倒されるのは、部屋の豪華さ、いや、豪華なのかな?


 ヤドカリの中は、豪華でハデハデな、王族らしさはまるでない。


 内装も家具もデザインはシンプルだ。


 なのに、どれも、質感はまったく知らないものだった。


 リリス曰く、精霊界のシロモノらしい。


 名前をいくつか教えてもらった。


 緑色の絨毯の上に配置された布製のソファに腰を沈めると、脚が金属でできたガラス製のテーブルの上に、ソーサーに乗せたティーカップが配膳される。


 用意してくれたのは、一番小柄で子供のように愛くるしい、ノームだった。


 ちょっと舌っ足らずで幼い声で、


「どうぞなのです」


 とか言いながら、紅茶を淹れてくれた。


 今更だけど、ノームの格好ってお城のメイドさんたちに似ているな。


 メイド服にしてはスカートが短いしフリルも多いけど。


「アベイユの森に着くまで、しばらく時間がかかるわ。それまでお茶とお菓子で休憩しながら、お勉強でもしましょう。ノーム、お茶菓子にクッキーをお願い」

「はいなのです」


 声は明るく、だけど無表情なノームは、なんだかお人形さんのような印象受ける。


 でも、いやいやではなく、自らすすんで立ち働いているのがわかる。


 だって、足取りが弾んでいるから。


「そういえば、部屋、全然揺れないんだな」


 これだけ大きなヤドカリが全力疾走をしているのに、城の中にいるときとまるで変わらない。


 カップの中の紅茶も、波紋ひとつ立たない。


「自分のヤドカリクンはイナーシャルキャンセラーとサスペンション能力を持っているのであります」


 得意満面のウンディーネが、キリッと説明してくれた。


「他、ヤドカリクンは冷暖房能力、各種家電、電気水道ガス、バスルーム、トイレ、ネット、全ての設備インフラが整った完全無欠の万能移動住宅なのであります!」


 ――家電? ガス? バスルーム? ネットって網? よくわからない単語が多いな。


「ディーネ、地上は科学も文明も精霊界より遅れているのだから一度に説明してもわからないわよ」

「これは、失礼しました」


 ウンディーネは、恥ずかしそうに俺に頭を下げた。


「いや、そんな謝らなくても……」

「安心して、アナタには、これからあらゆることを教えてあげるわ。手取り足取り腰取りね」


 ――リリスの笑みから、軽犯罪の匂いがしたのは気のせいだろうか?


「クッキーなのです」


 とことこと歩きながら、クッキーを積んだ小皿を七枚、トレイに乗せたノームが戻ってきた。


 でも、そのクッキーは、俺が知っているものとは違って驚いた。


 クッキーと言えば、年に一度の建国記念日で、奴隷頭が茶色くてザクザクするのを食べて、お皿を片付けるとき、残りの粉をつまんで食べるアレだ。


 小麦粉から作るらしいそれは、ザリザリして、ほんのりと甘かった。


 でも、お皿に盛られたのは、ひだまり色で、嗅いだことのない、ほんわりとした香りがした。


「え、これ食べていいのか?」

「どうぞなのです。お口に合えばうれしいです」


 ノームが、一枚手に取って、俺に差し出してくれた。


 それだけで口の中にはヨダレが溢れて、俺は欲望のまま、クッキーにかじりついた。


 途端に、あごの付け根が痛くなった。

 味覚の刺激が強すぎたのだ。

 飲み込むと、喉を通って、お腹にたまるのを感じる。

 お腹に入ってもその存在感は絶大で、息が詰まった。


 体が、クッキーを味わうことに全精力を傾けているんだ。


 存在感が、お腹から、また喉を上がってきた。ソレは途中で左右に分かれて、胸いっぱいに広がっていく。


 生まれて初めて、こんなにおいしいものを食べた。絶対に。


 甘くて、サクサクしていて、味も、香りも、触感も、なにもかもが違う。


 まるで、今はじめて食べ物を食べたような、今までは、食べ物モドキを食べていたような気さえした。


 俺は、衝動のまま、自分の前に置かれたクッキーを次々ほおばり、全部食べてしまった。


 それから紅茶を口に流し込むと、これまた、呑んだことのない香りと味に驚いた。


 味が、口の中に納まらない。

 お腹に、喉に、そして、頭に抜けていく。

 涙腺が熱くなって、思わず涙をこぼしてしまった。


 すると、みんな、思い思いの言葉を口にしながら、俺に自分のクッキーを差し出してきた。


「そんなにおいしかった? じゃあボクの分もハニーにあげるね」

「フフ、可愛いわね。ワタシのもどうぞ」

「良ければ自分のもお食べ下さい」

「まったく、大袈裟ねぇ。ほら、まだたくさんあるからガッつかないの」

「軟弱ね。いや、それだけ辛かったのね。好きなだけ食べなさい」

「ノームのも食べていいのですよ」


 みんな、俺を見守るように、優しい眼差しだった。


 温かい部屋の中で、優しい人たちに囲まれながらおいしいお菓子を食べる。


 こんなの、まるで家族じゃないか。


 そう思うと、嬉しくて、ますます涙が溢れて止まらなかった。

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