第7話 現出
ぞわっ。
その声はブルーノの背後から聞こえてきた。それはつまり、レイチェルの真正面ということでもある。彼女がほんの少し視線を逸らした隙に、その女性は姿を現した。
音量は小さいものの、ずしっとした声が骨を震わせた。
巨大な女性、ニコルもかなり長身だがそれよりもさらに一メートルは大きい上、体格もリリー以上ありそうだ。
漆黒の髪はとても長く、後ろは脚まで、前髪に至っては顔のほとんどを覆い隠しているが、風でも吹いているのだろうかゆらゆらと蠢いている。
その隙間から覗く眼光は完全に虚ろで視線も定まっておらず、それがより一層の不気味さを掻き立てた。
とてもではないが普通の人間とは思えない、そんなメイド服を着こんだ女性が神に向かって話しかけていた。
「……存じておりますが、アフターケアのためです、何卒ご了承ください」
ギギギと、音が立ちそうなほど硬い様子で神は振り返り、この新しく現れた女性に低姿勢で応対した。
「大婦長のおでましおでまし~」
「……
「遅かったじゃないかフェルゥレ、あんた本当に寝てたんじゃないだろうねえ?」
特に緊張した様子もなく三人組がやんややんやと囃し立てた。とはいうものの、このフェルゥレという女性……らしき人物……らしき存在は、どうやら現地の人にも化け物扱いされている様子が伺える。
「おい!大クソババア!レイチェルちゃんに何かしたらただじゃおかんぞ!」
いつの間にか、例のルタとかいうナンパ男がレイチェルの隣に現れたかと思うとおもむろに肩を抱き寄せフェルゥレを威嚇した、とんでもない蔑称と共に。
「これは死んだかねえ」
「死ぬなよ~、ルタ」
「ていうかどさくさに紛れてのセクハラとかむしろ死ね」
「死ねはさすがに……」
当のセクハラ被害にあってるレイチェル自身がドン引きするほど辛辣な彼の仲間。
一方暴言を食らった大クソバ……もとい巨大メイド服のフェルゥレは全く意に介してないようだ。
「……ぬ?レイチェルちゃん泣いておるではないか!? ええい貴様、何をした!」
勿論これは濡れ衣であるためレイチェルは慌てて彼を宥めようとした。
「いや、これは別に……」
「許せん!絶対に許さんぞ!例え貴様が相手であろうと、俺は全力をもって彼女を守――」
ぱっくんちょ
「ひいっ!? ひいいいっ!」
レイチェルは慄いた。とにもかくにも自分のために怒ってくれていた彼が、その何者とも言い難い存在に頭から丸かじりにされたからだ。彼女の口は、どう見たって先ほどより裂けている。
「無謀だねえ」
「死ぬなよ~、ルタ」
「いやそのまま死ね」
「え!? これでもそんなリアクション!?」
ルタは何とか抜け出そうと抵抗していたが、彼の仲間たちの声援?むなしく暫くたつと大人しくなり、そのままぷらーんと垂れ下がった。
というか、本当に彼女達は何故驚かない?まさかこれが日常なのか?とレイチェルは信じられない気分になる。
「失礼、しました。それでその、アフター、ケア、とは一体、どのような?」
フェルゥレはそのまま何事もなかったかのように喋っている。恐ろしいことに、口が動いてないのにもかかわらず発声に全く変化が生じていない。相変わらず骨をビリビリ震わせる。
「……レイチェルさんは現在魔法を使えないという特殊な状況下にあります。そこで一時的ではありますが、彼女が魔法を使って成そうとしたことを代理として行うことで、ケアと位置付けているわけです。実際先ほどもかなり危ないところでしたから、急いで追いかけて正解でした」
ブルーノも相当ドン引きしていたが、そこはさすがの
「あ……ひょ、ひょっとしてさっきの魔法が……」
レイチェルは自分がルタを助けようとしたときのことを思い出した。
「はい。あの時は
「そうだったんですか、ありがとうございます!お陰で助かりました!」
「いえいえ、全てはこちらが原因ですから」
と、そこでレイチェルはおずおずと切り出した。
「……あの、それでいつ頃私の〝
「勿論です。が、いつ頃になるかというのは、その、私の判断では何とも……」
「そ……そうですか」
がっかりと肩を落とすレイチェル。
ブルーノは少し沈黙した後、おもむろに口を開いた。
「……その、レイチェルさん?もしよろしければ、
「は、はい!勿論です!えっと……」
「あれ?神さんはレイチェルが居たところがわかるん?」
突然、赤毛の筋肉女が話に割って入った。自己紹介も済ませていないにもかかわらず気軽に、いや気さくに名前を呼んでくる。
「黙ってなリリー。神さん方の契約はそういうのがわからないと召喚の時とか困るんだよ。大体そうじゃなきゃここまで追ってくるのも不可能だろ?見てでもいない限りさ」
「へー、ハンナ詳しいね」
「すまねーな、話の腰を折った。続けてくれ」
代わってニコルが促す。
「あ、いや、えーっと……」
だがレイチェルは躊躇した。どういうわけか、
助けを求めるように神の方に視線を送ると、彼は困ったような表情ながらコクコクと首肯している。
気にしないでいいから、というよりは、奴らを刺激するなといった感じだと彼女は受け止めた。
「その……何があったっていうのは、私そこで魔獣駆除の依頼を受けたんでそれをこなしていたんけど、途中で急に魔法が使えなくなっちゃって……」
「それってすげーピンチだったんじゃねえのか?」
と、長身美女のニコル。そこはかとなく口が悪い。
「まあ、正直死ぬだろうなーとは思ってた」
「あんまり悲壮感を感じないのは何故なのかねえ」
と、ずんぐりむっくりのハンナ。どこかゆったりとした喋り方。
「正直、死ぬことより魔法使えなくなったショックの方が大きかったからかな」
「へー、そういうもんなんだね」
と、筋骨隆々のリリー。大きな図体の割には子供っぽい言葉遣い。
当たり前のように話しかけてくる初対面の面々相手に、レイチェルも普通に話すようになっていた。
「……何か、そこで魔獣駆除を行っている時に気づいたこととかありませんか?」
「うーん……そうですね。強いて言えば最初の頃魔獣は結構大人しい上に単体でいることが多かったので、倒すのも楽だったんですよ。で、途中……近くの村の人だったと思うんですけど、変な感じの女の人がうろついていたから注意したんです、危ないですよって。その人も何か言ってきてたみたいなんですけど、私魔獣の方に集中してたから聞いてなくて。そういえばそれからちょっと経ってからですね、急激に魔獣が狂暴化して、さらに徒党を組んで襲ってくるようになったのは。魔法がいきなり使えなくなったのも、丁度その辺りだったかなあ」
「何かその女怪しくねーか?」
美しい顔をしかめるニコル。
「今思えばそうだったかもね、見慣れない服を着てたし。その時はこの辺の民族衣装的なものかなって思ったんだけど」
「その人がその後魔獣に襲われて、その恨みでそうなってたりして」
「やめてそういうこと言うの……でも実際、状況考えたら保護してあげるべきだったよね。あの時の魔獣は大人しいし数も少ないから一人でも大丈夫だと思ってたんだけど……あの後狂暴化したことを考えたら、あの人も無事で済んでないのかも……」
「こらリリー、あんたが変なこと言うから彼女落ち込んじゃったじゃないか」
小さな女性に咎められて、リリーは困った表情を浮かべた。
「ごめんごめん、大丈夫だってレイチェル。その人はきっと黒幕だよ黒幕、多分すごくヤバい奴だよ」
「それはそれで何か怖いけど……」
「他には何かありませんか?重要なものを目撃したとか……」
ブルーノが促してくる。
「えーっと、特には。そういえば依頼を受けた村では仮に魔獣がいたとしても危険だから近づかない方がいい場所というのを教えてもらってましたから、ひょっとしたらそこに何かあるのかも」
「そうですか……わかりました」
「もういいんですか?」
レイチェルは意外そうな表情を浮かべて神を見る。
「はい。それではその場にいる残りの魔獣を我々が責任を以て対処するということでアフターケアとさせていただきます。形式としては実神召喚扱いということになりますが〝
「え!? でもそんな、いいんですか?」
「多大なご迷惑をおかけしましたので当然のことです。これで合意いただけますか?」
「は、はい!勿論です!」
「では魔獣の事は我々にお任せください……それはそうとレイチェルさん。神殿からのお達しはご存じですか?」
レイチェルは少し首を捻ったが、すぐに思い当たった。
「新国首都の神殿へ向かえという指令は承ってますけど、それのことですか?」
「いえ、おそらくそこで説明があると思いますので、魔獣のことはお気になさらず直接そこに向かってください、よろしくお願いします」
「やっぱり、何か重要な任務があるんですね。わかりました、可能な限り急ぎます」
ブルーノはフェルゥレの方にも向きなおった。
「あなたがたにも大変ご迷惑をおかけしました。事後処理は私どもが責任をもって……」
「必要、ありません。里で、起きたことは、里の者で、対処、します」
「いや、しかし……」
「構いません、神界の、方。それより、今回の件は、事情も、鑑みて、わたくしの一存で、不問と、致しますが、今後は、なるべく、このような事が、起らぬよう、お願い、致します」
「……わかりました、助かります。万が一の場合はまずご一報入れるよう改めて確認致します」
「了承、しました」
これに、ぺこりと頭を垂れるブルーノ。
「感謝します、それでは私はこれで。神徒レイチェルさん、今後とも我々主神ドルチロと末永く共にあらんことを」
「わざわざどうもありがとうございました!」
レイチェルのお辞儀に、神は言葉無く会釈で返し去って行った。レイチェル自身が飛んできた方角へと。
彼女は、その姿が見えなくなるまで姿勢を正し見送った。
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