第3話 願望

 彼女達のすぐ傍を車が通っていく。車内の人間の表情は露骨なほど鬱陶しげだ。無理もない、ここは本来車道なのだから。


 それに軽く会釈しながら、ため息交じりにハンナが続けた。


「そこまで嫌なら、どうして里の外で相手を見つけようとしないんだい?広い世界には一人ぐらいあんたの事好きになる人がいるかもしれないのに」

「なんだかんだで婚約者のご帰還を心待ちにしてるんだろ」


「んなわけあるか!」


 皮肉げに唇を吊り上げるニコルにまたしてもルタが食って掛かる。


「そういえばルタって産まれてこの方里を出た事ないんだよね?何で?」


 リリーの疑問にルタは目を合わせず答えた。


「特に理由などない。強いて言えば大クソババアに止められてるとか、道場を妹に任せるわけにはいかんとか、それぐらいだ」


「そういうところは意外に真面目なんだよねえ……」


「いい歳こいていつまでねえさんの言うこと律儀に守ってんだよ、自立しろ自立」


「あれ?ニコルなら大婦長に逆らえんの?」


「……」


 と、意表を突いたリリーからの指摘にニコルは黙り込む。


「ほれ見たことか。さすがの俺もあんな怪物できれば相手にしとうないわ」


「でもそれを言われたのって結構昔の話だろ?今とは事情が違うんじゃないのかい?」


 と、ハンナ。だがルタはその疑問に真正面から答えない。


「……それに、女の子ならこの里にたくさんおるではないか。彼女達を諦めるなど、俺の矜持きょうじが許さん」


「その迷惑な矜持きょうじを諦めなよ」


 眉間に皺を寄せるハンナ。


「それにさっき狙ったのは旅人なんだろ?里の女じゃないぜ?」


「……何が問題だ?別に構わんではないか、視界に入ったのだから」


 ニコルに向けて、さも意外そうな表情を浮かべるルタ。ハンナが再びため息をつく。


「結局誰でもいいってことだねえ……」


「女の子が増えることに不都合など一つもあるものか」


「何が悲しゅうてこんな辺鄙なところに来てまでルタなんぞにナンパされ狙われにゃならんのだ。その女も災難だったな」


「でもこれでこの里の風物詩が他所にも広まるかもね」


「その悪評のせいで、もうこの里に新しい女性は来ないかもしれないねえ。ただでさえ人の出入りが少ないところなのに」


 この言葉にルタが目を見開いた。


「なんだと!? それは困る!」


「自業自得だな、諦めろ」


「だけどこの里の女子達からすれば、それはそれで困るだろうねえ」


「ルタとの鬼ごっこは、しばらく終わりそうにないね」


 三人娘がカラカラと笑う。するとルタは唐突に彼女達に背を向け歩き出した。


「そういうわけだ、じゃあな」


「待て、何処に行く」


 だがニコルが彼の頭をガッと掴み制止する。


「決まっとろうが。俺を待っている里の女の子達に会いに行くんだ」


「お前知らんのか?鬼ごっこは鬼を待つんじゃなくて鬼から逃げるもんだぞ」


「だからどうした。俺は鬼ではない」


「そうだな。変態だな」


「わかったのなら離せ。人の恋路を邪魔するな」


「変態なのは否定しないん?」


 リリーが突っ込みを入れたが彼は答えなかった。代わりにハンナがにんまりと笑う。


「良いこと言うねえ、ルタ。みんな自分の好きな人と一緒にいたいんだよ。人の恋路を邪魔しちゃ駄目だよねえ」


「だから急いで会いにいってやらねばならんのだろうが」


「みんな恋人持ちだよ」


「……なんだと?」


 その言葉が聞き捨てならなかったのか、彼はこの中で唯一自分より背の低い相手を凝視する。


「正味の話、あんた対策に続々とカップルが出来上がっていったんだよ。恋人さえいれば、さすがに諦めてもらえると考えてねえ」


「バ、バカな!? そんな話信じんぞ!」


「本当だよ。何せアドバイスしたのはアタイだから。みんなその手があったかって喜んで採用していったよ」


「な、ななななんという事をしたのだおのれは!」


 身を屈め、ハンナに掴みかからんばかりの勢いのルタ。だが彼女はしれっと言ってのける。


「良いことだよ?」


「ぐぬおおおお……」


 頭を抱えながら唸るルタ。と、長身の美人が軽く息を吐いたかと思うと、彼の頭をぽんぽんと叩いた。


「ま、いい加減諦めてもうあいつで決めとけって。そもそもお前には勿体ないぐらいのイイオンナなんだからな」

「そうそう」

「そうだねえ」


「どこがじゃ!目が腐っとんのかおのれら!」


 これにニコルがルタの頭を小突く。さっきより強めに。


「腐ってんのはてめーの頭と性格だ、アホ」


「何を言うか、身内びいきしよってからに」


「本当に贔屓ひいきしてたらお前なんぞと結婚させるか」


「あの子には悪いけど、ルタを抑えつけるための犠牲になってもらわないとねえ」


「なーにがあの子だ!犠牲になるのは俺の方だ!」


「そんなに嫌ならリリーにしときゃいいじゃん」


 と、そこで自分の名前を自分で言う巨体が身を屈めルタの顔を挑戦的に覗き込んだ。だが彼はさっと視線を逸らす。


「断る、貴様らだけは女の数に入らん」


 これには不満げに唇を尖らるリリー。


「え~?なんだかんだ言ってルタって結構贅沢じゃない?」

「それはそれで腹立つねえ、お互い様だけど」

「ていうかなんでお前が選ぶ立場なんだ。ぶっ殺すぞ」


 今度はそっぽを向くルタ、ふうっと一つ息を吐いて。


「……きっと居るのだ。俺の運命の相手が、ここのどこかに、たくさん」


「まず一人に絞ることから始めろ」


 うんざりした様子で頭を掻くニコルにルタはさも意外だと言わんばかりに目を見開いた。


「自ら可能性を絞るような真似をしてどうする」


「身勝手な愛をバラまいたところで、まともな人は誰も相手にしてくれないよ」


 正論を言うハンナ。だがルタは動じない。


「わかってくれる人はわかってくれる」


「リリーならわかってあげるよ」


 諦めず、半裸の女性がアピールする。


「お前はいらんと言っとろうが!」


「ようするに、リリーこいつみたいな女ってことだ」

「ヘンな女ってことだねえ」

「え?それリリーのことバカにしてる?」

「褒めてんだよ」

「なんだー、そっか」

「やっぱりヘンな子だねえ」


 女子三人組がワチャワチャやり出す。


 ルタは相手にしてられないとばかりに彼女たちと少し距離をとり、おもむろに空を仰いだかと思うと、急に叫び出した。


「あー!俺の運命の相手ー!空から降ってこーい!」


「あるわけねーだろ、そんな都合のいい話」


「あったとすれば、そりゃあ……」


「待って、あれ見て?」


 にやにやと何かを言いかけたハンナをリリーが制した。


 空から、何かがやってくる。


「まさか本当に帰って来たのかい?」


 これに最も背の高いニコルが首を振る。


「……いや、違うな。あれは別人だ」


「……だとすれば、あれは……」


 ルタの、いや全員の視線の先には巨大な山脈。問題は、そのさらに上空から飛んでくる。暫くもしないうちに、それは怒涛の勢いで彼らに接近する。


 そして、ルタは衝撃を受けた。あたかも、それが彼自身に落ちてきたかのように。身と、そして心にも。

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