第36話「甘い温もり」

「大丈夫ですか?セインさん……」

 日光にあてられ体調を崩したセインを木陰に連れて行って木の根元に座らせて休ませる。

 リリアナは湖の水で濡らしたハンカチを彼の顔にあてがい

「これ……少し、楽になるかと……」

 と優しく頬を撫でる。

 セインは呼吸を整えながら、ハンカチを受け取ると自分の額にあてた。

 濡れた肌を冷たい空気が撫ぜ、火照った体の熱を奪っていって気持ちが良かった。

「ありがとう……すまないな、いらない心配をかけてしまって」

 不安げな表情で見つめるリリアナを安心させるように弱く微笑むセイン。

「いえ、私のほうこそごめんなさい。セインさんの身体のこと、きちんと知らされていたのに気付かなくて……」

 泣きそうな顔になりながら謝るリリアナにセインは首を振る。

「……カッコ悪いな……俺のほうから君を誘っておいてこのザマだ」

 そう自嘲気味に呟き、湖を眺める。

 リリアナも視線を追ってから、再びセインを見つめ”そんなことない”と言おうとしたが

「……俺は未熟だ。もっと注意深く行動するべきだった。一人でいる事に慣れ過ぎていたんだな」

 ぼんやりとした目でまるで独り言のようにそんな事を漏らした。

 何のことを言い出したのかわからないリリアナは訝しげにセインを見つめる。

「アリスも……ラビアンも……俺が、もっと気を付けていればあんな目に遭わずに済んだ」

 セインは唇を噛む。その様子を見て、またリリアナが口を開こうとするが

「イリヤも」

 と遮られてしまった。その名にリリアナもどきりと身体を強張らせる。

「イリヤも……死なせてしまった。三人とも俺がもっと早く駆けつけられていれば、怪我をさせる事も死なせる事もなかった。……俺さえ、もっと……」

 セインはぎり、と歯を噛みしめる。

 リリアナは気の毒そうに彼を見つめる。

 この人はいつもこんなふうに自分を責めているの……?

 これまで何度も……そういえば夜中や早朝にこの人と二人になったことがあったけど、その都度、自分を責めて眠れていなかったとか……?

 そんな孤独な戦いを、あなたは、今の今まで……。

 今までのセインの姿を思い返して胸が苦しくなるリリアナ。

「セインさん……」

 リリアナが慰めのようにセインの肩に触れる。

 セインはその手に目を配ってから、その手を優しく握り

「挙句、君を笑顔にさせたいと連れてきた湖でも自分の中に流れる汚らわしい吸血鬼の血に負けた……女ひとり楽しませてやることも出来ん、惨めで醜い哀れな生き物だ」

 またも自嘲気味に口元を歪め、彼女の手を離した。

 自分を責め続け卑屈になるセインの、その手を今度はリリアナが強く握る。

「セインさん、あなたは自分自身を責めすぎです。どうしてそこまで……少しぐらい、甘えたっていいじゃないですか」

 悲痛にも思える彼女の訴え。

「甘える……?」

「そうです。そんなふうに自分で自分を責め続けて追い詰めて……苦しいでしょうそんなの。せめて誰かひとりくらいは甘えられる人がいたっていいじゃないですか。少なくとも私は、あなたの心を休ませられる場所になります!」

 泣き出してしまうのではないかと思われるリリアナの切実な言葉。

 その言葉と彼女の姿はセインの胸を締め付けた。

 ずっと誤魔化してきた自分の中にある、甘い、胸の痛み。

 セインはリリアナをそっと抱き締めた。

「セイン、さん……?」

 突然の事にやや驚くリリアナ。セインは尚も抱き締める腕に力を込める。

「ありがとう……そんなに優しく温かい事を言ってもらえたのは生まれて初めてだ……」

 セインの声は今まで聞いたことがないほどに穏やかで、甘えた響きだった。

 抱き締められたリリアナは……セインさんの匂いがする、と思った。

 あの何度も嗅いだ覚えのある甘く落ち着いた白檀の匂い。

 リリアナもセインを抱き締め返す。

「これからも甘えてくれていいですから……自分を必要以上に苦しめないでください」

「ああ……ありがとう……」

 甘い温もりが二人の心を優しく溶かす。

 そして、ゆっくりと身体を離しセインはリリアナを見つめた。

「……気恥ずかしいが、甘えるというのは随分と楽になるものなのだな」

 そう言いながら指で頬をこすった。

 その仕草が少し愛らしくてリリアナはクスッと笑った。

「もう少し、休んでいきましょうか。また太陽が隠れたら宿に戻りましょう」

「ああ」


 しばらく静かに湖を眺めていた二人。

 ほとんどリリアナが湖に対する感想を述べ、セインが相槌を返すという他愛もないやり取りをつづけていたが、やがて湖面が光を跳ね返さなくなった事に気付き

「……宿に戻って休みましょうか」

 とリリアナが切り出す。セインも

「ああ、そうだな」

 と立ち上がり、二人は宿へと戻って行った。

 

 宿に戻ったはいいが階段を上りきったあたりでリリアナは、はた、と立ち止まる。

 ……あたしは、自分の部屋に戻るべきなんだよね?

 セインさん達の部屋は、気を失っていたから運ばれたわけだし……。

 リリアナが足を止めたのに気が付いたセイン。

 少し目を泳がせ、彼女が足を止めた理由に思い当たると

「……あの、リリアナ……」

 何やら含羞の色を浮かべながらリリアナに声をかける。

「は、はい」

「……俺は、寝ていないんだ。だから少し睡眠をとろうと思っているんだが……」

「はい……」

 シータスの言った通り、やはりセインは寝ていない。

 だが、珍しいのはこれまでも寝不足だった事のある彼が自分からそれを口にした事だ。

 リリアナはセインの次の言葉の紡ぎを待つ。

「その……嫌じゃなければ、俺が眠りに就くまでそばに、いてくれないか」

「えっ……そばに、ですか?」

「ああ……君は『甘えてくれていい』と……」

 そこでセインは顔を逸らして口元を手でおさえた。

 精一杯のセインなりの”甘え”のかたちだった。

 自分の胸の中でまた心臓が高鳴るのを感じながらリリアナは柔らかく微笑み、頷いた。

 それを確かめると二人は再び、部屋に戻って行った。

 部屋に入るとセインは少しため息をつき、さっさと服を脱いでシャツだけになった。

 脱いだものを手早くたたむと荷物の上に無造作に置き、首にかけていた瑠璃色のロザリオも外してベッドサイドのナイトスタンドに置いた。

 そして自分のベッドに腰掛ける。

 ……さっきはリリアナが寝ていたベッドだ。

 それを思い出して無意識にセインは枕に目をやった。

 ……茶色い髪の毛が一本、くっついてるのに気が付いた。

 セインはふっと笑い、わざと拾い上げたりせずに倒れこむようにしてそのまま自分の頭を横たえた。

 その一連の動作を見ていたリリアナは何も言い出せずに見守るのみで、セインがベッドに横になったのを見てようやくベッドサイドの椅子に腰掛けるに至った。

 ほんの一瞬前まで感じていなかった疲れが、横になったとたん急激に襲ってくる。

 ……俺はこんなに疲れていたのか。

 日光で身体がまいるのが早かったのもそのせいか……。

 色々考えているうちにも、どんどんまぶたが重くなる。

 出来るだけ抗うも、もうほとんど開かなくなってきた。

 リリアナがそばにいるのに……せめて一言でも何か言ってやらないと……。

 そうは思っても睡魔の誘惑に勝てないまま、結局セインはそのまま眠り込んでしまった。

 表情に力が抜け、静かにスースーと寝息を立てるのを見て

「セインさん……もう寝ちゃった……?」

 小さな声で呟く。

 部屋に入って、ベッドに横になって、ほどなくして寝入ってしまった。

 よっぽど疲れていたのね……無理もないか、一晩中あたしのそばについてくれていたみたいだし……さっきは太陽の光にも当たってしまった。

 リリアナはじっとセインの寝顔を見つめた。

 この人は、今までなんでも一人で抱え込んで、そうして自分に厳しくしてるうちにあんなに強くなったんだろうか、と今までのセインの姿を思い出す。

 その孤高の強さを持つ男が今は自分の目の前で無防備に眠り込んでいる。

 その姿の差にリリアナの胸に再びじんわりと熱が浮かぶ。

 愛しいその男の顔を眺めていると

「リリアナ…………」

 不意に自分の名を口にした。

 起きているのか、と驚いて改めてその顔を観察するが、先程と変わらず寝息を立て表情にも力が入っていない。

 どうやら寝言のようだ。

 そうだと分かると余計に胸が苦しくなるリリアナ。

 セインの手にそっと自分の手を重ねて

「セインさん……好き……」

 そう小さな声で胸を苦しくさせている気持ちを口にすると

「……俺もだ」

 再びセインの口が開かれ、リリアナの言葉に応えた。

「!」

 ビクッと体を強張らせて驚くリリアナ。

 やっぱり起きてるの……?

 再度、セインの様子を確認するが、やはり眠っているようだ。

「…………」

 寝た振りをしている、なんてこともなさそうだし第一セインの性格上、そうするとも思えなかった。

 偶然?

 確かに眠っていても耳は聞こえるのだから、話しかければ反応ぐらいするものなのかもしれないけど……。

 リリアナはもう一度

「……セインさん?」

 と呼びかけてみるが、特に変わった反応はない。

 ……偶然だったのね……。

 なんとなくホッとしたリリアナは、ふと、さきほどセインが置いたロザリオに目をやる。

 お母様の形見のロザリオ、肌身離さず常に身に着けているんだ。

 どんな人だったのかな……。

 きっと、セインさんのように優しい方だったでしょうね……。

 そう思いながら、リリアナの脳裏には育ての父である教皇ラジェスの優しい笑顔がよぎった。

 彼女は自分の懐から木彫りの聖母像を取り出すとロザリオのそばに置いた。

「おやすみなさいセインさん……いい夢が見られますように」

 微笑みながら小さくそう呟くと、音を立てないようにしながら部屋を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冥闇のヘリオス 高嶋広海 @hiromitakashima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ